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孫一さんは何人いるのか? [和歌山]

平井辺り.jpg南海和歌山本線普通電車.jpg
久々の和歌山ネタですが、和歌山市の郊外に飛びます。
南海電鉄本線で紀ノ川を渡った一つめの駅、紀ノ川駅のシャッター商店街の駅前通りを北東へ歩いた辺りを“平井”という。
途中、軽自動車も入れないくらい狭く入り組んだ路地は武家屋敷みたいで、雨の中、ある寺を探しまくったのだがなかなかみつからなかった。
紀ノ川駅.jpg狭い路地1.jpg狭い路地2.jpg
住宅なのか寺なのか、微妙な造りの寺は連乗寺といいます。
境内というか、庭の隅に供養塔が建っている。
伝承、雑賀孫一(孫市)の墓です。鈴木孫一、または平井孫一ともいう。
連乗寺.jpg境内に墓がある.jpg
農協にある説明版.jpg斉藤道三は2人いたというが、孫一さんも1人ではない。
3人、もしくは4人いるようです。
①鈴木重意(シゲオキ)。
②重意の息子、鈴木重兼(シゲカネ)。
③鈴木重秀(シゲヒデ)、これも重意の息子。重兼と兄弟だろうか。
④鈴木重朝(シゲトモ)、この人の家系が残る。
孫一(孫市)は雑賀衆の統領が代々継承する名前です。この4人は活躍した年月にかなりの開きがあり、鈴木氏の当主は代々「孫一」を名乗っていたとしたら、複数の人間が混在した可能性が高い。

紀州、和歌山という地は小豪族が割拠し寺社勢力が強く、例えば甲斐なら武田、越後なら長尾みたいに突出した者が現れなかった地です。
京に近くて戦乱の影響を受けやすかったが、守護大名の畠山氏、山名氏、大内氏とかが実質的には支配できなかったらしく、民衆に自立心が育まれる。
ここから近い高野山や根来寺が治外法権の境内都市だったのと同じく、雑賀衆や紀州の地侍たちは、「守護ハナク百姓持ニ仕リタル国ニテ候」と何かに記されるほど自立心が強く、平時は耕地や漁猟に従事しているのだが、合戦がある度に団結する。
これを「惣国」と呼ぶそうです。
堺に近いこともあって、南蛮の技術力の影響も受ける。
ややっこしいことに石山本願寺や一向衆、根来寺も絡んで来るし、同盟関係もあったと思うが内ゲバもあり、決して徹頭徹尾、一枚岩ではなかったかも知れないが、それでも誰にも支配されず自分らで土地を護り、外敵には立ち向かう力が蓄えられた。

信長が畿内で反信長網に包囲された時期、雑賀党は鉄砲隊を率いて織田軍を悩ませる。ではどの孫一さんが指揮を執ったのだろうか。
(ここから先は諸説あり、私も学者さんではないのでミスあらばご容赦)
私が調べた4人の孫一さんで、まず・・・
①鈴木重意
織田軍の紀州攻めで信長に抵抗~服属~雑賀内部の内輪揉め~信長に叛旗~服属~本能寺の変を機にまたまた独立~家康に擦り寄る~今度は秀吉の紀州征伐~降伏~
この間に鈴木重意とは別の人が孫一になった可能性もあるのです。
秀吉は雑賀党を危険視した。
誰か特定に支配されたくないのが根強く根付いているので何を考えてるのかわからん連中。危なくてしょうがない。何処かのタイミングで藤堂高虎か何者かが重意を謀殺したという。自害説もある。
この人の墓なのだろうか。

②鈴木重兼(シゲカネ)はコンピューターゲーム「信長の野望」で知られるようになった。①重意の嫡男という。

次に・・・
③鈴木重秀(シゲヒデ)だが、この人は天文15年(1546年)-天正14年(1586年)の人で、どうも①鈴木重意と活躍年代がダブるのである。
①鈴木重意の子で②鈴木重兼の兄弟と推測される。もしくは④鈴木重朝の父か。戦歴が重複するので詳細不明です。
連乗寺にあった墓は、これまでの3人の誰かのものなのだろうか。

最後に・・・
④鈴木重朝(シゲトモ)
③鈴木重秀の長男説と、①重意の子の説がある。出生の詳細は不明。
この人は殺されずに秀吉に仕えている。慶長5年(1600年)関ヶ原の前哨戦では西軍に与した。伏見城攻防戦の先鋒となった。戦後は浪人する。
伊達政宗に仕えた後、徳川家に直臣として3000石。その後、水戸家、徳川頼房の旗本として付けられた。

墓の由来.jpgどうも孫一(孫市)は、雑賀党首が名乗る歌舞伎の世界でいう襲名や、年寄株のようなものと推測される。不特定多数の重複する同一人物だったのだろうか。
全くの別人だったという説や、上方の軍勢を苦しめた兄の③重秀が孫一を名乗り、結果的に家を残した水戸家の重朝を孫市とする説もある。






孫一の館があったとされる伝承地です。説明版が無けりゃちょっとワカラン場所にあります。
説明版によると、鈴木佐太夫(重意)の末子が平井姓でこの地にいたと。③の鈴木重秀のことではないかなぁ。
平井説明版.jpg防火水槽に建っている.jpg
実はこれ、昨年5月末の写真です。梅雨でズブ濡れになった。ここまで結構探したんですよ。紀ノ川駅で道を聞いたら駅員さんよう知らんのです。地元の英雄をちったぁ勉強せんかと言いたい。
和歌山市ぶらくり丁の居酒屋「千里十里」の若旦那ですら「そんな・・・地元の人でもよう行かんところを」って笑ってたけど、若旦那は「孫一さん」って親しげに呼んでましたよ。やはり信長に一泡食らわせた郷土のヒーローなんでしょうな。でもその若旦那や「千里十里」スタッフも、雑賀孫一が1人ではなく複数いたことは知らないかも知れない。

テロップ.jpgこのテロップは、大河ドラマ「国盗り物語」で、雑賀孫一(孫市)を林隆三が演じたテロップ。
このドラマでの孫一さんは、秀吉からお市の方を妻にするという条件で秀吉に協力したが、約束を反故にされたためアタマに来て反信長包囲網に加わったとかいうスゴい設定になっていたようです。秀吉自らがお市の方に憧憬を抱くのはよくありがちだが、紀州雑賀の地侍の長にお市をくれてやるワケがないではないかと思う。そんな恩賞を安請け合いする秀吉も、信じた孫一もどうかと思わないでもない。
処理済~林隆三の孫市さん1.jpg林隆三の孫市さん2.jpg
ドラマは本能寺と山崎までなので林隆三さんは4人も演じていません。①の鈴木重意でしょうな。

ここ平井は孫一さんの館伝承地だが、いろんな文献や資料を見てみると、戦闘の詳報で、「雑賀川の底に逆茂木や桶、壺とかを沈めて織田軍の渡河を妨害した」という記述が必ず見られる。
だが戦闘があった雑賀川なんてここにはない。ここにあるのは①②③④の孫一さんのうち、誰かがこの地、平井を領したという伝承と、孫一さんの墓と伝わるもの。
織田軍は長閑なこの地、平井も攻撃したらしいのだが、織田軍の渡河を妨害した雑賀川とは現在の和歌川のことで、ここから南、和歌山市内に戻って雑賀川のある雑賀地方にある。和歌浦口です。
織田軍との主戦闘が行われたそこには雑賀城という丘がある。。。(続く)
コメント(4) 

コメント 4

GAYO

こんばんは。
私は歴史が地理についで苦手なので、難しいこと理解できませんが^^;

>孫一さんも1人ではない。
>3人、もしくは4人いるようです。

風雲児の影武者は、たくさんいたのではないかと私は思います。
当時は現代と違って面がはっきり割れていなでしょうし。
影武者は多い方が話が面白いもの(笑)
by GAYO (2012-01-10 20:15) 

船山史家

GAYOさんこんばんはです。
孫一さんは影武者もいたでしょうけど、ある時代を生きた3人、もしくは4人の鈴木何とかさんが「孫一」を襲名していたようです。
年寄株や歌舞伎役者のように、何代目雑賀孫一みたいになってたんじゃないかなぁ。
ウチの近所、隣の町内会に「雑賀」さんがいるんですよ。ピンポンして聞いてみたわけじゃないですが、ルーツは間違いなく紀州雑賀衆ですね。
by 船山史家 (2012-01-11 22:03) 

モノノフ

ちなみに鈴木孫一さんの実家の鈴木屋敷は、私の実家の斜め前に有りますよ(^o^)/
というか鈴木家の家紋とうちのは一緒で下がり稲穂紋です、鎌倉時代あたりにはうちのご先祖様の六郎さんと鈴木三郎さんが、源義経公の家来として討ち死にしました。
これで私の姓が分かりますね、そのうち鈴木屋敷の記事でも書きますね(^o^)/
by モノノフ (2018-02-21 17:53) 

船山史家

モノノフさんこんにちは。
夜が明けました。前夜飲み過ぎなければ朝が早い私です。
モノノフさんの姓わかりました。頼朝に起請文を持ってった人?お若くして衣川で討死されたようですね。
道が細かったですね。緊急車両も入れないでしょう。公道だと思いますが家を建て替えるのも容易ではないのでは?
この散策時も雑賀沖ほどではないですが結構歩きましたが、こっちの散策の方が辛かったです。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-01-15
鈴木屋敷の記事よろしくです。鈴木姓の発祥地とも?
by 船山史家 (2018-02-23 06:41) 

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