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さらとマダムの謎 [温泉]

さらと夏空1.jpgさらと夏空2.jpg
Welcom.jpgこの体型の違いは何?.jpg
「さらの木」は個人宅にしか見えない。
(前は住居だったのかな?)
そういう説もどこかで聞いた。だが宿の前の薄暗い道路の歩道側に段差がない箇所があって、如何にも、ここからくるまが出入りしましたといった跡が残っている。
(個人の住居なら今の左の駐車場スペースだけで充分ではないか?)
敷地内の庭に赤茶けたアスファルト・・・(とは材質がちょっと違うような、ラバー、ゴムっぽい弾性のある箇所)・・・があって、並列に引かれたラインの名残があり、前は駐車場で数台停めるのが可能だったといった感じ。
歩道のスロープ.jpgもと駐車場.jpg
ブツクサ考えてたら、ちょうど、まさに飛んで火にいる夏のなんとかではないが・・・マダムの旦那さんが、庭に水を撒いているのに出っくわした。
「ここって前は何だったの?」
「ここはですね。以前・・・」(マダムの旦那さん)
以下は個人内容もあるので寸止めで。旦那さんはレストランだったと言っていた。あるファンの記事にもあったのだが、「平日はなかなかお客が来ない喫茶店だった」というのが定説になっています。
今は歩道、道路と垣根で遮られているが、当時はお客さんのくるまが庭に停めていたそうです。
「じゃぁあの歩道の段差の無いとこからここへ入ってきて、この位置へ停めてたんだ?」
「そうですね。庭のこの部分と、今、お客様が停められてる駐車場と、一帯になっていました」(旦那さん)
たそがれのさら.jpgセピアの照明.jpg
「さら」のマダムが、「さら」開業以前にどこそこで接客業、宿泊業に携わっておられた話を聞いた。そこは部屋数がもうちょっとあったそうです。
だが、あるきっかけで、
「山を下りて来たんですね?」
「まぁ、そうですね」(旦那さん)

庭から戻ったら、
「お帰りなさい」
「旦那さん、庭に水を撒いてた」
「もうっ、水ばっかり撒いてるんだから。。。」
「???」
勢い一気出し.jpg赤と白.jpg
熱川ポーク.jpg絶対にウエルダンの私.jpg
「軽井沢にも物件を探しに行ったんです」(マダム)
「じゃぁ何でこっち(伊豆)にしたの?」(ジャン妻)
「あっちは寒くて・・・」(マダム)
伊豆、静岡は温暖ですからね。もし、軽井沢に開業したらしたで繁盛したとは思いますが、環八が大嫌いな私らとはご縁がなかったかも知れない。
花火1.jpg花火2.jpg

朝のさら.jpg朝の陽射し.jpg
パン.jpgMORNING.jpg
「さら」を切り盛り、運営するからには、営業や経理といった知識も必要で、マダムはそれらを何処で得たのだろうか。
それらを叩き込まれた時代があった。マダムを鍛え上げた上司はかなり厳しかったそうです。
「朝からボケッとした顔してんじゃないって怒られたことがありますよ」(マダム)
「そんなこと言ったって顔なんか治しようがねぇじゃん」(ジャン)
「夕方になったって一緒の顔だよねぇ」(ジャン妻)
その上司さんは、今は「さら」のお客さんらしいです。
朝陽に眩いさら.jpg正装を纏ったワインボトル.jpg
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磯部温泉 日本最古の温泉マーク [温泉]

温泉マーク、[いい気分(温泉)]の元祖はドイツではないかという説があった。
測量術を学びに行った参謀府の軍人さんが、現地で19世紀の地図に載ってたのを持ち帰り、明治十八年か二十年に、参謀本部陸軍部測量局(陸軍測量局)が製図に採用したとする説。

別府温泉の父、観光王と呼ばれる油屋熊八という人がいた。今年は100周年らしい「亀の井ホテル」の元、亀の井旅館を作った人。
別府温泉を発展させて世に広めるべくイロんなプランを企画、誰もがやってないことを立案して実践した。
亀の井旅館に利用客の急病に備えて看護婦を常駐させた。
当時、桟橋が無かった別府港に大阪商船に談判して専用桟橋を実現させた。
自ら経営する亀の井自動車で日本最初の女性バスガイドを実現、定期観光バスや別府温泉地獄巡りの運行実現等、いろいろやったそうです。
この人が昭和六年(1931年)、手のひらの大きさを競う「全国大掌大会」を亀の井ホテルで開催。デカい手形が百数十枚集まった。
その中の一枚に、手形がはっきり写ってなくて、親指と小指を除く三本の指が写っていたんだろうと推測されますが、それが温泉から湯気が立ち上ってるように見えた。
これをヒントに温泉マークを考案し、別府温泉PRに利用、半被、幟、名刺、チラシ等に用いたら全国に広まったという。
私は新婚旅行で別府温泉にも行っているけど、ちょっと何処に泊まったか記憶がないのです。街じゅう湯気だらけだったのだけ覚えています。

前者は明治十八年(もしくは二十年)、後者も昭和六年。
もっと古い説がある。
北陸新幹線によって盲腸線に転落した信越線、磯部駅前にこんな石がある。
磯部駅前に.jpg近くで見ると.jpg
これは二匹のクラゲが泳いでるのではないです。
万治四年(1661年)日付、この地方の村々の裁許(さいきょ=裁判のこと)絵図によるもので、江戸評定所(最高裁?)の裁決文に、この地、中野谷村と上磯部村が、村の間にある原野の境界を争い、判決文に絵図が添付されていて、そこに温泉記号が二つ描かれていた。
なので、日本最古の温泉マークなのは間違いないようです。
中野谷から見た妙義山.jpgこの温泉マークが載った境界公事訴訟地域の中野谷、上磯部の地名は今でもあります。
これは中野谷から見た妙義山。
私はいつも、公用でこういう風景の地を走っています。
東京の部下、かつて登場したド忘れのU君という”行き遅れキャラ”は登山が大好きで、先日、「いつ帰って来るんですかぁっ」「妙義に登りたいぃ~」なんてギャァギャァ言ってた。「登りに来いよ。帰りに飲ませてやる」
「上級者向けなんですぅ」・・・
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-10-26

ちょっと余談ですが、私が小学生のガキに「お坊さんだぁっ」扱いされた安中市の資料を見たら、この温泉マークが添付された境界公事訴訟当時の中野谷村とその西、人見村(私が竹藪地獄にハマったところ)は吉良氏の領地だった。
赤穂浪士二番隊の噂もその辺りからきていて、悪役の上野介はこの温泉マーク境界解紛争時はまだ二十歳前半で出仕したばかりだったが、吉良氏はこの訴訟の他にも、領内を通る水路建設の妨害、草刈場の入会権とかで、近隣の領主と諍いがあった。
寛文年間、仙石久俊という旗本が上磯部、下磯部の領主だった時、吉良氏の人見村に取水口(人見堰)を作ろうと持ちかけたが、「人見村の吉良氏との関係もあり工事がはかどらなかった」(安中市資料)とある。
はっきり妨害とは書いていない。同じ市内の資料だから気を遣っているように感じる。
その後、磯部は天領になった。仙石久俊は領地を幕府に返上した。そしたら「何の問題もなく工事は順調に進み・・・」(安中市資料)
この水路建設について、「磯部の農民は上野介の妨害にあっていた」(新人物往来社書籍)、妨害、難癖とハッキリ言い切ってましたね。悪役は悪人と言わんばかりである。
(この調停に赤穂藩のある人物が関わった可能性があるのだが今回は本題ではないので省略する。)
上野介の意地悪めと言ってしまいたいところだが、定府なので参勤交代はなく、おそらくこの地には本人は来ないで家臣を派遣して治めていたんだと思う。
温泉マークがあったこの地の紛争に、中野谷村の領主だった吉良氏が関わっていたのは間違いない。もしかしたら上野介も知っていたでしょう。
どっちが勝訴したのかはわからないけど。
舌切り雀のお宿磯部ガーデン.jpgかんぽの宿?.jpg
妙義が見える.jpg碓氷川.jpg
この日本最古の温泉マークがあった紛争時の地図は今は県の博物館に保管されているが展示はされていないそうです。絵図全体はかなり大きい巻物らしいが、肝心の温泉マークは2cm四方程度の枠に収まっちゃう大きさでしかないとか。
磯部の人たちも、この温泉マーク発祥の経緯を誇大にPRしてるとも言い難いけど、街中ではためいている黄色い幟にもマークはある。
どうも温泉マークというよりクラゲみたいに見えますね。
駅前と、長寿館の足湯に、その地図を彫った碑があった。碑にはそのクラゲ。。。じゃなかった温泉マークの部分だけ朱で塗ってあった。
上磯部の塩の窪という地に沸いていたという。現在でもその地名はあって、塩の窪、塩水(湯)が出る窪みの意だと思う。塩川、塩入のような地名は、塩の流通もしくは、岩塩を含んだ温泉鉱泉のしみ出る場所という意味が込められている。
磯部温泉の幟.jpg足湯にある図面を碑にしたもの.jpg
湯はぬるっとした湯だった。
何処からか来たお婆ちゃん3人と、るるぶ観光ガイド本を持った地味ぃなカップル2人が湯に足を浸していた。私もお仲間入りしたが、5分程度で切り上げた。
「あら、もういいの?」
「うん。仕事中だから」
日帰り湯にでも浸かりなさいって?そこまでするとホントに仕事の気が抜けてしまう。あくまで仕事途中での立ち寄り取材ですから。
でものんびりしてますよね私も。都会にいた頃と比べてなんて長閑、ゆったりしたことかと自分でも思います。
処理済~足湯ー1.jpg処理済~足湯ー3.jpg
如何にも一時代前の温泉街といった感じの磯部温泉街は磯部駅の北口です。
南口は何もありません。信越化学工場と、私が靴に泥をくっつけてみみんさんの前で大恥をかきそうになった磯部城と田んぼしかないです。
うっかり南口から出ると北口の温泉街に廻るまで莫大な距離を要しますよ。
磯部駅.jpg排水溝の蓋はラックレール?.jpg
新幹線秘境駅、安中榛名駅との連絡バスがいた。
駅前の排水溝かマンホールの蓋がへんなギザギザになっていたが、これは碓氷峠を越えてたラックレールではないだろうか。
安中榛名駅行.jpg磯部温泉街.jpg
磯部温泉は歴史的には最古の温泉マークで間違いない。
これを全国に広めたのは、偶然同じような形になった別府温泉の方なのかも知れないけど。
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長寿の湯 倉渕温泉 [温泉]

「温泉に行きたい」(ジャン妻)
「・・・?」
「日帰り、立ち寄り湯とかないの?」(ジャン妻)
「・・・」
そりゃあるにはある。
「あまり遠くへ行かないで適当に」(ジャン妻)
そうはいってもある程度の距離はある。
温泉ランドみたいなのではなく、地味で古く、余りネットで知られていないのを選んだ。
倉淵渕温泉長寿の湯.jpg「ここにするの?」(ジャン妻)
「船山みてぇな近代的な建物を期待してたんじゃねぇだろうな」
倉渕温泉、長寿の湯
その名の通り、失礼な言いぐさだが、これ以上まだ長寿するんかいってな老人客がた~くさんいた。
1人500円。タオルは200円です。




倉渕温泉には二つの源泉がある。
内湯は黄色く見えた湯。リンスを薄めたような。それでいてサラっとしたような湯。
露天は無色透明の単純泉。
内湯1.jpg内湯2.jpg
露天1.jpg露天2.jpg
女湯からは婆さん軍団の嬌声が聞こえる。
後で聞いたら、ジャン妻は露天の湯船でウトウトしてたら、婆さん軍団の「ギャァハハハハハッ」の嬌声で目覚めたという。
大広間では食事後、一杯飲った爺さんどもが談笑している。
ロビーでも爺さん婆さんが寝ている。
まぁ古いし、くたびれてるし、オシャレで近代的なものを期待したらダメだよ。

だが、この宿にも、家族経営ならではのドラマがあった。割と近年の新聞記事が数枚、掲示してあって、私はそこに釘づけになった。
Sさんという女将さんが主役なんだけど、夫のHさんが東京で地質調査会社に就職し、日本中のダム建設現場を回ったところから始まる。
回っているうちに「温泉が出る場所」という目利きが磨かれる。
ポンプ.jpg1970年代後半、Hさんは東京にボーリング会社を設立し、倉渕ダム建設調査でこの地に来た。2億を越える年商の多くをここ倉渕村権田の温泉掘削に投じた。
掘削の根拠は、この地に流れる長井川の向かいの源泉櫓の下に、小さなお堂と薬師如来像があったからである。
「かつてここに温泉が湧き出て旅人を癒した証だ。絶対に出る」
掘削は650mか750m堀ったところで資金が底をついた。「もうちょっと掘って熱い源泉が欲しかった」そうだが、出たのである。
この辺り2ヘクタールの土地を購入し、1991年7月に温泉旅館をOPEN した。
だが、バブルがはじける。
雇って任せていたのだが、乱脈経営が発覚した。OPEN以来数年間、帳簿をチェックせず地元の人に女将を任せたのが失敗だった。
Sさんが登場する。SさんはHさんと結婚後、Hさんの経営するボーリング会社で経理を手伝っていたのだが、夫のHさんと子供(長男長女)を残して東京から現地へ来たら、借金が当時の金額で八千万円だった。
倒産するか。旅館を売って清算するかの選択を迫られるが、S女将は旅館経営を続行する。
最初は、東京の奥様に何ができるの?って言われたという。
「他にやる人もいなかったし。アタシがやるしかなかった」S女将の孤軍奮闘旅館経営が始まった。

長い拘束時間で生活環境が激変した。湯の管理、ボイラー管理や修理、接客と力仕事。。。
幸い、孤軍ではなくなる。東京で〇〇師をしていた長女がやって来た。
「母さん一人じゃ旅館経営は無理だよ。手伝う!!」職を辞して東京から倉渕に移ってきた。
大学生だった長男も毎週末に駆け付けた。亭主のHさん、長女、長男、一家が裏方で汗を流し、絶対に潰さない!!意志で切り盛りしていく。
「あの時期、家族一緒に過ごせたことが大きい」(長男)とのこと。

この家族宿が徐々に認知され知られて来る。草津に行く途中、ポツンと一軒あるあの温泉は何?みたいに。
サラリとした湯、二種類の源泉が再評判になり、地元の人々が利用するようになり、徐々に軌道に乗っていく。草津泉方面からの客が帰り湯、仕上げ湯で利用するようになった。
今は夫のHさんも会社を閉じて旅館に移って来た。まだ借金は残っているが、長女は県内で〇〇師に復帰したそうです。
露天3.jpg露天4.jpg
大看板.jpgまぁ若い男女にはおススメしないですよ。長寿の老人軍団が占拠してるような温泉だからね。

この日は土曜だった。
もしかしてフロントにいた洒落っ気のない女性は長女さんではないだろうか。

私らは初めての日帰り、立ち寄り湯でした。
宿のHPです。http://www.kurabuchionsen.com/spa.htm
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この夏、船山~湯神の連泊。。。 [温泉]

夏の湯神.jpg朝の船山館1.jpg
「ハイ蕎麦宿湯神で~す」(大旦那)
「○○です」
「ああ、どーも。元気ですか~」(大旦那)
「元気なんだけど、ええっと、いつ予約したか忘れちゃって。。。」
「忘れたって・・・(笑)・・・○○さん大丈夫ですか(笑)・・・ええっと、いつだったですかね。ちょっと待ってください。(予約台帳をパラパラめくる音)・・・○月の△日です。○曜日ですね」(大旦那)
(やはりその日だったか。。。)[たらーっ(汗)]
「わかりました。ではいつもの馬刺を。。。」
「アイ、わかりましたぁっ」(大旦那)
「お孫さんが産まれたそうで。おめでとうございます」
「いやぁ、産まれたんですけどねぇ。別々なもんで。本郷から通って来てるもんですから」(大旦那)
本郷とは会津本郷のこと。若がアパートを借りてるところです。若は通いです。

さて、確認電話も馬刺も予約しちゃったし。
決行するしかないか。。。[たらーっ(汗)]
これまでの私には絶対に有り得ない初めてのツアーを実践することになりそうです。

話は春に遡ります。いつもそうなんだけど、船山温泉をチェックアウトする際に次回の予約を入れた。夏の某日です。
予約をしておいたんだけど、転勤先で業務や人間関係構築に追われ、それきりいつ船山を予約したかを忘れちゃったのだ。最近、よく忘れるんです私。
やや落ち着いてから、そろそろ早めに夏季休暇を取得することになり調整を開始。そしたら「そろそろ会津に行けるかな~」っていう気持ちになった。
転勤先から直接、会津に直接行った方が早く距離も短い。首都圏を抜ける必要がないからです。
(だけどこっちは社用車なのでそれを私用で使うことは許されないだろうな。)

蕎麦宿湯神を予約したのが5月下旬。
「いついつ空いてます?」
「空いておりますっ!!」(大旦那)
それもまたそれっきり忘れた。電話予約だから記録が残らない。自分でメモするしかない。何年も通ってるのを甘く見てメモなんか取らなかったのだ。

しばらくして自分の中で、何か重要なことを見落としてるかのような不安がアタマん中をよぎったが、忘れてるんだからたいしたことじゃあるまいとタカをくくって日々を過ごす。

その後、あるブロガーさんから船山温泉について質問を受けたのをきっかけに、確認の意味で船山温泉T館長にメールした。
「私らの次回はいつだったっけ?」
「○月の〇日ですよ」(T館長)
ふ~ん。。。
この時も気に留めなかった。

オカシイと思い始めたのはその後、更に数日経ってから。
モヤモヤ気になりだした。
何か忘れてる。大事なことを見落としてないか。
そういう不安が日に日に募る。だが思い出せない。

こういうのってある日突然、閃光のようにスパークするものなのだ。ある夕方(冒頭、湯神に確認電話した日)、船山温泉の○月の〇日と蕎麦宿湯神の○月△日をダブルで思い出し、脳裏に胸中に雷鳴が轟いた。[雷]湯神の△日は船山の〇日の翌日で、1日違い、連続だったのを思い出したんです。
しまったっ、船山の翌日に湯神を予約してしまったっ!!![がく~(落胆した顔)]

冒頭にあるように、大旦那への確認電話の後、
「船山の翌日に湯神入れちまったよ」[ちっ(怒った顔)][バッド(下向き矢印)]
「???」
ジャン妻は、何やってんのという表情である。
「湯神を延期したら。。。?」
「延期ねぇ。。。」
先に抑えたのは船山だし。でも私は今、会津にも行きたいのです。
「距離的に可能なの?運転は大丈夫なの?」
可能は可能。ゲストのゆかりんさんだって昨年、はるばる大遠征して成功してるからね。

馬刺.jpg岩魚薄造り.jpg

このBlogで再三言ってますが、この二宿は私ん中では絶対的な位置づけ。
でも価値観が全く異なる。
それでいてどう異なるかは上手く言えないので困ってる。

私は神奈川県民なので、西の船山へ行ってから神奈川の家を素通りして東北の会津へなんて、これまではルート的に絶対に有り得なかった。
ゆかりんさんが連続ツアーを敢行されてます。へぇ凄ぇな~って思ったけど、私の場合は住まいが地理的に両宿の間にあるからね。

それぞれの宿へのこだわりがある。これが最も大きい。
船山に行く前は甲斐モード、蕎麦宿に行く前は会津モードに切り替える。行く10日前くらいから、脳裏にあの宿の風景や人々、料理を思い描くんです。
I-PODにも船山行き、会津行き、それぞれプログラムがあって、日常のBGMでもそれを流すことで高揚させる。どちらかのモード全開で行きます。旅に行く前も。行ってる時はもちろんだが、行った後も。
一つに集中して120%楽しみたいんだな。過去に伊豆八幡野高原さらの木の翌日に船山に泊ったら、やはりどっちかがボやけちゃった経験があるし。
青い夕闇の更科庵風呂.jpg二人静2.jpg
比べるのもイヤ。私の中では全然別の世界だから。
でも過去にこの二宿を同列で論じた禁断の記事が一つだけあった。「船山温泉99の謎 87.T館長は蕎宿の何処を評価するのか。」http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-03-03-3です。
この記事は船山のT館長の口から湯神を高く評価するコメントがあったので、二つの宿を同列で評価するという自分の中でタブーを破った唯一の記事。
ジャン妻に釘を刺された。「二つの宿を比較論することで、どちらかの宿を貶めるようなものにしないで」
そういう記事にはしなかったつもりだけど後味は悪かった。
記事の最後に「違う世界で価値観が別なんだからもう並べて記事にはしない。T館長が蕎麦宿に泊まりにでもしない限りは。。。」で結んでいる。
連泊したらどちらかの宿に失礼ではないかという変な気持が拭いきれない。割り切って別々に楽しめばいいんだろうけど、そういう気になれない自分がいる。
頑張ってます蕎麦宿.jpg朝の船山館2.jpg
今回のはあくまで自分のミスです。決して狙った訳ではないです。
もう7月になってしまった。幸い1日のズレで良かったということにして、まさかこういう機会はそうそうないので、この夏に掟破りを敢行する予定です。(あくまで予定)
となると、船山に泊まった翌日、何処かでアタマを切り替えなきゃなんない。上りの東名か。首都高か。上手くチェンジしないと。

別々に楽しめばいいだけじゃんって言ってるそこのアナタ。私にとっては重大なことなんですっ。
このツアー、自己完結できるだろうか。
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心のふるさと 橋倉 [温泉]

看板.jpgこの宿が閉館したという。
はて?跡継ぎの若夫婦がいたように見えたけど、無理だったんだろうか。

山梨県大月市、甲斐国郡内の山ん中にあった宿。私は確か2008年に行っている。
この世界を知ったikitai.netの管理人、番頭さんの女将さんの滞在記から知った。http://www.ikitai.net/h/2005.10.22hasikura/index.html

当時、私は同じ甲斐国の宿の船山温泉にハマりかけた頃で、料理内容を比較して、「ちょっと俺にはボリューム不足かな~」とも思ったが、ジャン妻が「行ってみたい」と。
中央道大月ICで降りて、一旦甲府方向に戻って、中央道を跨ぐか潜って山ん中に入って行く。有名な真木温泉の近くって言えばだいたいわかるでしょう。
大月市内なんだけど、途中からは熊も出る一本道を行く。私が参考にした旅の女性は、大月駅から宿まで歩き、チェックアウト時には裏道を歩いて大月駅まで歩いたそうです。
途中、民家が途絶えてから周囲は落ち武者狩りにでも遭いそうな一本道で竹藪だらけ。道路は狭いながらも舗装されていますが、コンビニも自販機もありません。
宿への道1.jpg処理済~宿への道2.jpg
周囲は手つかずの甲斐の山々、大自然。
宿周辺の山々1.jpg宿周辺の山々2.jpg
宿周辺の山々3.jpg宿周辺の山々4.jpg
宿周辺の山々5.jpg宿周辺の山々6.jpg
宿は山の斜面にへばりつく様に建っていた。1階のフロント、受付を済ませてから、すぐ階段を上るとフロアと食事処、厨房もあって、私らの部屋はそこから更に階段を上がって3階?だった。
2階のフロアは吹き抜けになっていて、グループの寛ぐ声が丸聞こえだった。私の師匠の嫌いな剥製、熊一匹、狸二匹が鎮座していた。
板の間の広間2.jpg処理済~板の間の広間1.jpg
丸い露店風呂.jpg確か浴場も3階か、4階にあったような。
山の斜面に3階か4階の木造旅館がへばりついていたような宿だった。
温泉ではない。鉱泉です。
源泉は17℃くらいじゃなかったかな。沸かさない源泉の狭い石風呂もあって、ヒンヤリ。
今だって温泉知識や価値観が希薄な私は、冷たい鉱泉に浸かって「何で水風呂に入んなきゃなんないんだ」って思ったです。
沸かし湯の丸い露天、貸切は事前予約制だったと思う。


宿周辺は山々なので天候が変わり易く、物凄い豪雨になった。夕餉前には晴れた。これぞ甲斐の山々って感じでしたね。
雨が降る1.jpg雨が降る2.jpg
雨が降る3.jpg雨が降る4.jpg
雨が降る5.jpg雨が降る6.jpg
ライブラリー.jpgフロント後ろには薄暗い図書室があって、地元ならではの書籍がた~くさんあった。
私はここで初めて信州佐久郡志賀城の笠原夫人がここ郡内に連れて来られ、領主・小山田信有の側室になった話、悲嘆したであろうけど、地元の尊敬を集めながらこの地で亡くなり、墓もあることを知った。
その墓前にはこの時は訪門しなかったが、日を改めて訪門した。
そして、先日、志賀城の訪問につながることになる。


料理はヘルシーだった。後にも先にもあんなにヘルシーな旅館料理ってなかったね。
動物性蛋白質は特注の馬刺だけで、川魚の焼き物なんかも出なかった。こんな感じです。
前菜.jpg茄子味噌田楽.jpg
てんぷら.jpg処理済~囲炉裏.jpg
処理済~グイッ.jpg馬刺(別注).jpg
何だこれ?.jpg割ってみると.jpg
何だこれその2.jpg処理済~私です.jpg
個人的な感想だけど、馬刺が無ければ精進料理かい?
料理や酒を運んで来たオヤジさんのダジャレ。これは有名?で、この宿のウリでもある。受け入れる人とそうでもない人に分かれるとは思うけど、こんなこと言ってた。
「雨が降ってましたよねお風呂に入る時、雨に濡れませんでしたか?水も滴るいい女」
「このお酒はお土産に是非どーぞ。重いけどそれが思い出になるんです」
その場では笑ったけど。後で「毎回同じこと言ってんのかなぁ」って思った。

物足りなかったのが正直なところ.jpg橋倉吟醸酒.jpg
夜のディスプレイ.jpg朝飯も物足りなかった.jpg
朝飯もイマイチ、物足りなかったな~。ウコン粥なんて初めて喰ったけど。

それきりで終わった。
再訪はなかった。
子供(お孫さん?)の声もするし、フロアから吹き抜けへ声が響く。隣の部屋の声もする。グループ向きだと思ったです。
冷たい鉱泉も違和感があった。鉱泉ってこういうものなんだろうけど。
料理にボリュームがなかったし。漢方系の健康宿?

この宿が心のふるさとになった方ってたくさんいると思います。私もこうして記憶に残っているんだし、志賀夫人、志賀城へ至る扉を開いてくれた宿。。。

閉めちゃった理由は・・・これは私の想像だけど、山に寄りかかったような構造で階段が多いから昇り降りが大変になったんだと思う。
あのオヤジさん、大月市内に小さい居酒屋か小料理屋でも開いて、酔客相手にダジャレ言ってるかもな~んて想像したりします。
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山奥に一軒宿 [温泉]

その宿は、山の奥にあった。
対岸から.jpg宿への橋.jpg
宿側の護岸以外は、人口の手が加わっていない自然の川だった。
お宿が見える.jpg下流側.jpg
夜には煌々と灯が点くんだろうか。
お宿拡大.jpg周辺の山々1.jpg
周囲には山々、川、自然以外は何もない宿。
ヤフー地図だと、山ばっかりのせいか、400m以上に拡大できないんです。私はくるまできたけど、終着駅からだと20分から30分は歩くんじゃないかなぁ。この宿へ至る道は、何処か、甲斐郡内の橋倉鉱泉に行く道に似ていたように思う。
時折、雉?の鳴き声が聞こえたような。。。

この宿は、一部の料理素材が甲斐南部の某宿と重なるかも。
周辺の山々2.jpg周辺の山々3.jpg
あっ、別に、泊まったワケではありません。へぇ、ここかぁって見に行っただけ。
狭い道で人っ子一人、出会いませんでした。暗くなる前に帰ります。
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「さらの木」マダムは風邪をひいたらどうするか。。。 [温泉]

河津桜が目当てか、何処かの梅か、天気がイマイチなのに伊豆方面は断続的な大渋滞だった。スムーズに流れだしたのは宇佐美を過ぎてからだった。
渋滞が続く.jpgさくら.jpg
処理済~さくらのジャン妻.jpgさくらベッド.jpg
部屋は真ん中のさくら。
部屋は明るくはない。俺らが転勤席の社宅もこんな部屋かもなぁって思ってしまい、なかなか現実から遊離できなかった。
前菜.jpg刺身.jpg
揚げ物と手まり寿司.jpgええっと。。。.jpg
肉はウエルダン。焼き焼きです。
ウエルダン.jpg赤ワイン煮込み.jpg
ワインは最初、ボトル表面が凍りついていた。「ゴメンなさい、ちょっと冷し過ぎちゃって・・・」
キンキンに冷えていた。ビールより冷えていたね。
冷えた白ワイン.jpg並んだワイン.jpg
体調管理ができてない言い訳か自己弁護に聞こえるかも知れないが、私は温泉宿で一度でも体調を崩すか、体調不良になってこそ、その宿の常連であるという変な意識を持っています。
日常ならともかく、宿で体調崩すってのは確率的に低いからです。よほど日頃の行いが悪いか、同じ宿に行き続けないとそういう時ってあまりないと思うのだ。
甲斐南部の宿では、行く前日に右肩をヤッたことがある。宿では右腕が上がらなかった。
会津蕎麦宿では2回怪我をした。足を切って3針縫ったのと、足の小指を骨折したのと。
そして今回、4回目の「さら」では、無念至極なことに腸炎に罹ってしまった。
夜1.jpg夜2.jpg
夜3.jpg夜4.jpg
夜5.jpg夜6.jpg
マダムが風邪薬がたくさん入った白い袋を持って来た。
「〇〇さん(マダムの本名)、風邪ひいたりしないの?」
「あっ(ヤバい)って思ったら、すぐ風邪薬飲むんです」
風邪ひかないのなんて失礼極まりない質問だが、もう一つきいてみた。
「なんで一人でそんなに頑張れるんですか?」
「ええ、だってぇ。。。私一人しかいないじゃないですかぁ。。。」
俺は緊張感が足りないのだろうか。
デザート.jpg優しいお人形たち.jpg
朝餉は抜いて急いで帰京しました。ゴメンなさいマダム。
ジャン妻はそのまま出勤してその日は帰って来なかった。都内に泊まった。殆ど徹夜だったらしい。私は絶食状態でウンウン唸ってた。
今回の不調は、いつかリベンジしてやるっ。
コメント(7) 

決して交わらない二つの宿と、今年の決意表明 [温泉]

湯神6.jpg朝の船山館1.jpg
私はこれまで、「蕎宿湯神」と「船山温泉」を同じ記事で扱うことを避けて来た。私の中で価値観が全く違う宿なので、同列で論ずることがどうしてもできないからです。
コメントでも「会津の蕎麦宿」、「甲斐南部の某宿」ってボカして来た。比較したくないし比較できないし別々にしたいの。二つとも山間の宿だから水と油ってわけではないんだけれど、名前や写真を並べるとアタマん中が中途半端に混乱するんですよ。
今まで「どっちが好きですか?」って質問されたことはないけれどされたら困るだろうな。答えに窮する。例えは適切でないかも知れないが「和食と中華どちらが好きですか?」みたいなモンですよ。

一つの記事でこの二つの宿を取り扱ったのは昨年末の記事「3つの宿へ想うこと」だけです。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-12-28-1
これは年末の総括なので、伊豆の宿と併せて簡単にまとめたんだけど書いてて違和感があった。あの記事は伊豆の宿が3番手になりましたっていう意味合いの方が強い。
二つの宿を並べると何か変に見えるのだ。この記事の冒頭の写真並べてみても違和感アリアリ。

ゆかりんさんが二つの宿をハシゴされた時、私はマジで「すげぇなぁ」って思ったの。私が住んでる場所との地理的なものもあるけど、私の中でハシゴは絶対に在り得ないんです。

船山温泉99の謎で未完の原稿があって「武井さんは湯神のどの部分をちょっとだけ意識するのか?」というもの。ゲラのままで纏まらず放りっ放しになってます。武井さんにしてみりゃ自分トコの大事な顧客である(?自分で言うか普通?)私が船山を知る10数年前から船山以上に宿泊数を重ねてる宿だからちょっとは気になるでしょうな。
武井さんから「湯神」に対してなかなかユニークな答えが引き出せたんですが、私自身、武井さんの口から「蕎宿湯神」のコメントを聞いても「???」なんですよ。
いつかはUpするけど私の中でちょっと抵抗もあるんだな。「湯神」&会津ネタは別のBlogにしたかったんですがね。

その時の気分で必ずどちらかが1位と2位でその差は微々たるもの。でも私の中で絶対に交わらないこの二つの宿は、明治25年開湯の「船山温泉」は、今年は開湯120周年です。
何かプランがありそうだが内緒だって。
もし、船山温泉にスペースがあれば、武井家に眠る昔の秘蔵写真を引っ張り出して拡大して、壁に掛けてギャラリーを作ったらどうかと思うんだけど、それって興味あるのは私だけだろうか。
かたや「蕎宿湯神」もhttp://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-02-06-1で女将さんにいろいろ聞いた時、「蕎宿湯神」は平成4年開業だと。開業20周年ではないか。
自分でUpしていながら私はド忘れてしていた。
どちらも記念すべき年なんです今年は。

ジャン妻に聞いた。
「今年、何処か他の宿(新規のという意味)あるか?」
ジャン妻は考えるのも面倒くさそうに
「ないなぁ。さらでいいんじゃない」
私もジャン妻も何だか新規の宿を開拓する、追いかける気にならないのです。なので私は今年の決意表明というか決めたぞ。もうオワカリですね。
(蕨屋美和さんはあっさり私の意思を見抜いたけれど)
今年は新規の宿は行かないことにしました。[わーい(嬉しい顔)]
片や20周年、片や120周年なのに他の新規の宿なんか開拓、追っかけしてる場合ではない今年は。
あっ、あくまで新規の宿ですよ。二宿より家からに近いのに何だか予約の取り難い伊豆の宿には行きたいですね。日曜出勤溜めて平日に休まないとな~。

以下、余談。
昨年9月にスタンプカードが埋まっているんだけど、12月のジャン妻Birthdayの時は「アタシの誕生日に割り引きを使うな。現金で払え」と。
2月に行くんだけど、船山って1月2月はあまり儲からないって言ったら失礼だが盛況じゃない。99の謎で「何故、船山温泉は1月2月は儲からないのか?」っていう無粋極まりない記事も考えてますが、俺はあの宿が儲かってない1月2月に割引なんて使いたくない。
では4月、俺のBithdayの時に使うか。あのカードに有効期限ってあったっけか。
(私は2011年11月に取材がてら独りで宿泊していますが、この時はカード使っていません)
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-07-10-6
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「さらの木」 晩秋の再会Version(後編) [温泉]

今回はミニオフ会になる。マダムも私もそのつもり。だけど「さらの木」は個人の宿だしオフ会は夕餉と朝餉のみです。部屋に入ればお互い干渉し合わない。もう一組、他のお客さんもいるワケだしね。
1回だけベッドに寝転がったまま、「やっぱいいねここ」ってsatomiさんにメールしたら「ノミの心臓なんですからね。あんまり驚かさないでくださいよっ(^_^ゞ。では夕飯の席で」とあった。
さらの木はベランダのデッキテラスに露天がある。外でちょっと撮影がてら散歩したんだが、庭から道に出たら、satomiさんの「あぢっ」って声が聞こえた。
晩秋のさらの木2.jpg晩秋のさらの木3.jpg
夕餉は18時半で、降りてったら、あっ、もう飲んでる。早いな~。
乾杯時、satomiさんのグラスは空だったような。
さらの木は日本酒はそんなにない。「kazuさんはさらの木で何を飲むんです?」って訊いてみたら赤ワインだって。酒に関しては相等な博学を持っておられるKazu旦那は、チェックインの段階でもうワインの封を切ってデカンタに移してあります。
kazu旦那はジャン妻に赤ワインを薦める。ジャン妻はワイン、特に赤ワインを飲むとアブないんだよな~。前夜も静岡市内の居酒屋で赤ワインを飲みまくって口が紫色になっていたし。
グループ席.jpg前菜.jpg
前菜。前も出たけどこのマンボウの酢味噌和えと、ホタテの何だったかな。
satomiさんトコで、亭主、女房、どちらがワサビをするかっていうネタになってたけど、私は単に手先がブキなのでジャン妻にすらせてるのもあるんだけど。
マダムにお願いが。鯵はワサビでなくて生姜がいいなぁ。
刺身.jpg鰯のなんだっけ?.jpg
「ステーキの焼き加減はどうなさいますか。今回、いいお肉をご用意しておりますので、あまり焼かない方が・・・」
「レアにしなさい」(ジャン妻)
「レアかよぉ」
前にジャン妻がレア、俺がウエルダンでお願いしたら、ジャン妻のはミディアムになっちゃってマダムがゴメンナサイしたことがあった。
「なんでジャンさん生肉は食べるのにレアだめなの?」
「う~ん、それは育った環境の問題でして・・・」
ジャン実家、ジャン母は、俺がガキの頃、スーパーで買った安い肉を、焦げる寸前まで焼いて俺に食わせていた。肉は焼かなきゃダメだって言うのよ。今でも「生肉は食べちゃダメよ」って言ってる。まさか今、自分の愚息がレバ刺、牛刺、ユッケ、馬刺、鹿刺を食いまくっているなんて知らない。それと成人して社会人になってから北海道でラム肉、ジンギスカンでアタったことがあってね。それがトラウマになっているの。焼く時は焼く。生は生って徹底している。
satomikazuさんらも「鳥佳」や「紀尾井」は知っている。「レバ刺っって下手したらもう食べられなくなっちゃうんじゃないの?」って心配したりする。
「そうかも。来年の春頃にはもしかしたらね。だから今のうちに喰ってるの。だいたい飛騨の宿だって、俺が大丈夫って言ってんだから生肉喰わせろって食い下がったんだがダメだった。おカタい岐阜保健所め」
レアだったのかミディアムだったか覚えてないんだけど。このステーキは美味かったゼ。
茄子とサザエと平目のゴルゴンゾーラ.jpgステーキ.jpg
ワイン煮込み.jpg「ジャンさんは野菜は生の方がいいんでしょ。あれ見て笑っちゃった」
何のネタだったかなそれ。
前にマダムがHNジャンキーの由来を質問してきた時、マダムは「ビーフジャーキーではないですよね。お肉好きだから」って仰せだったが、ジャーキーとジャンキーでは日本語でも英語でも意味が全然違うしそれってマジで言ってんのかなって思った。
「さらの木」は肉料理と魚介料理が多い。野菜は少ないかも。



話と料理の流れは前後するけど、今回のバッティングの経緯、裏をお話したのよ。
「今日、そんなにビックリした?」
「ホンっと、ビックリしたんだから」
「第4候補日だったの今日は。マダムがsatomiさんたちも来るからどうでしょうかって薦められて、私が今日まで内緒にしといてくれって口止めしたのよ。マダムは内緒にできるかどうか自信なかったみたいなんだけど、ジャン妻がダメよ喋っちゃ、事前にバラしたらオモシろくないじゃないのって言うしさ。マダムは頑張って内緒にしますって。黙ってるのってホントはシンドかったんじゃないかと思いますよ」
「アタシたちは8月だった。先日、ジャンさんに料理のことで質問した時もシレ~っとして言わなかったじゃない」
「うん。訊かれたことにしか答えなかった」
だからマダムを責めちゃダメよみたいに言ったつもりなんだけど、酒と料理がススんだら俺は口が滑った。マダムが空いたお皿を下げに来た時、
「そりゃ驚くよなぁ。だいたいマダムが今日まで黙ってたのがいけないんだよ」
って言っちゃったらマダムは丸い可憐な目を引ん剥いた。
「そ、そんなぁ。〇〇さん(俺のこと)が内緒にしろって仰ったんじゃないですかぁ」
そ、そうだったっけ。ああ、そうだったな。事前に打ち合わせた「私が口止めしたことに」「俺のせいにしといて下さい」「当日、私がフォローしますから」のハズが、一転してマダムのせいになっちゃったのである。
「でもさぁ俺は別に喋っちゃってもよかったんだけどね。マダム、ホント今日までようガマンしましたね」
マダムは心外そうな表情だった。今までの苦労はなんだったんだってトコでしょう。
だがまだsatomiさんに言ってないネタがある。Satomiさんに耳打ちする。
「マダムはね、satomiさんは驚かれても、私に詰め寄ったりなさらないですよねって言ってましたよ」
「詰め寄ったりって何を?」
「そりゃぁsatomiさんがマダムの胸ぐら掴んでさ。よぉくも黙ってたわねぇぇぇぇぇっってやらかさないかってこと」
そしたら胸ぐら掴まないでも言っちゃってましたね。「マダムぅぅぅ。何で黙ってたのぉぉぉ」って。あ~あ、言っちゃった。
誰が悪いんだ?俺か?
スイーツ.jpg処理済~4人記念写真.jpg
記念写真です。「この宿に作務衣は似合わないよ」とジャン妻が言うので、普段着になりました。

途中、俺以外の3人がチョイチョイ中座するのが気になる。
「俺を除く皆さん、チョイチョイ席を立って何処へ行ってるんです?」
「WCよっ。ジャンさんが絶対行かないとこが1階にあるの」
書けないネタもあったのだがこの後は私も酔って覚えていない。最後の方で1回、笑い過ぎて椅子からズリ落ちそうになったが何のネタだったか。Kazuさんが何か言ったネタで爆笑したんじゃなかったかな。
いつ、お開きになったんだろう。
覚えてるのは4人で階段上がって部屋に引き上げる際、1階の階段脇にWCがあったこと。「ここよここ」って。私は1回も利用したことはない。(自慢にもならんけど)
夜の露天1.jpg夜の露天2.jpg
寝酒と夜食.jpg夜に灯る看板.jpg
私の中でちょっとだけ贅沢な杞憂がある。
これだけ楽しいいっときを「さら」で過ごしてしまうと、もうこれ以上の宿泊体験ってそうそうないんじゃないかって思ったりしたの。
それと、楽しいことの後には楽しくない現実が待っているんじゃないかって。実際、さらから戻った今、ちょっとだけ仕事の面でそういうヤヤコしいのに直面している。
だが俺は会社組織の一員。さらのマダムは一人でやってるんだぜ。そう思えると「どうにかなるさ」勇気も湧いて来るというもの。
私はここ数年、甲斐南部か会津蕎麦宿に継ぐ3番目の宿を近場で探していたつもり。前者の宿とは全くタイプが違いますが、ようやく私の中でナンバー3になりました。
「さらの木」って宿の魅力=マダム1人にかかってますからね。天然だけど凄い女性だと思う。
前回宿泊時は米沢牛の高級な肉肉肉宿の後、今回は飛騨の地味で地味で遠い遠い宿の後、いずれも「さらの木」に来たのは、それほど高くなく贅沢でもなく、日常手の届くところ、近いところ、自然体で飾らないところを欲していたんだと思う。
それと、この宿を紹介してくれて今回バッティングしたsatomiさんとマダムと私が同学年なのも大きい。
satomiさんは私の人生を変えた人といっていい。私もBloggerの部分は秘さなくてはならいので、誰かに会っても「この人が俺の人生を変えたんだ」って言えないけど。
晩秋のさらの木1.jpgさらの木看板.jpg
もともと殆ど観光しない俺らは、翌日は月曜だったのもあって真っ直ぐ帰還した。satomikazuさんとは宿の敷地内でご挨拶してお別れした。satomikazuさんは国道の方へ。
俺らは海沿い川名から伊東の方へ。
左右分かれた2台のくるまを見送るマダム。細い手を大きく振るマダムがリアウインドに消えていく。。。

俺の子供たち.jpg最後にオマケを二つ。
この人形は俺らの泊まったツインの部屋に置いてあった。
前もこの部屋だったがこんなのあったかな。
何で坊主アタマの子らが7体も俺らの部屋に並んでたんだろう。俺に弟子入りでもするんかっつーの。







処理済~コクヨ.jpg手作りの料理や、伊豆っぽいエントランスや小物でさりげなく彩られた「さらの木」ですが。この領収書、マダムのまん丸い字で殴り書きした手書きの内訳はなんじゃい。
「今回でさらはまた行きたくなる宿になったわね」と言うジャン妻は仕事が経理のせいか、「これってコクヨの領収書だよね。お店ならともかく、いまどきこんなの使ってる宿ってないんじゃない」ってケラケラ笑ってた。
まぁ、らしいといえばらしいですけどね。
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「さらの木」 晩秋の再会Version(前編) [温泉]

伊豆へGO1.jpg伊豆へGO2.jpg伊豆へGO3.jpg
この青空の下、私らの知っているもう一組のご夫婦が、伊豆、八幡野温泉郷「さらの木」に向かってくるまを走らせている。
だが、そのご夫婦は私らとバッティングすることを知らない。
「どのタイミングで逢うハメになるかな」
「さぁ、夕食の時じゃない」
「夕食の時まで伏せとくわけにもいかねぇだろ。向こうが先に入ったタイミングでマダムがバラすだろ」
「でも、こちらももう1時間くらいでしょ」
「1時間はキツイな。1時間半だな。やはり俺らが3時に入って迎えるのが礼儀だろうな」
「そりゃそうよ」
「しっかし驚くだろうな。マダムもよくガマンして黙ってたよな今日まで」
「苦笑」
向こうが先か私らが先かはわからないけど、多分、向こうは国道135号線から来る。俺らは伊東市で国道135号線から逸れて県道109号線に入る。汐吹岬から川名ホテルの前、やや細い道だけど、信号のない別荘地を抜けてさらの木へ。
ってぇのはですね。伊豆高原のメイン通りって変テコな人形や美術工芸の類が氾濫してるから毒々しいんですよ。俺らは閑静な別荘地を走るのさ。
「さらの木」到着は15時10分前。車中で15時まで待機。あくまでチェックインは15時を遵守します。

話は9月半ばまで遡ります。「さらの木」の予約画面は第1第2第3候補日まで入力できるようになっているのだが、9月17日だったかな。希望日を入力して配信したら3つとも満室だという。
さらの木予約フォームから.jpg
だが第4希望日があった。マダムからもその日を「如何でしょうか」と薦められた。その第4候補日は月末だったのでジャン妻はちょっとだけ躊躇したが、俺が強引にOKしたの。
マダムが言うには「その日、satomiさまがいらっしゃるのですが・・・」
ホホウ。。。
satomiさんご夫妻がねぇ。。。
そうかいそうかい。こりゃオモシロくなって来た。
(ここで誤解のないように。私は過去にsatomiさんとオフ会で3回、Kazu旦那さんとも2回お会いしています。マダムもそれを知ってて勧めてくれたのさ。知らない人の情報を教えてくれたわけではないので誤解ないようお願いいたします。)
だがまだ2ヶ月ある。先のことってどうなるかわからないのと、俺ん中で悪戯心が湧きあがり、俺はマダムに、「先方には当日まで内緒にしといて下さい」って言ったの。
そしたらマダムはちょっと困ってた。
というか自信が無さそうだった。「楽しみです。楽しそうです。」と仰りながらも。。。
「でも当日まで内緒ですか?。。。内緒にできるかしら。。。私に。。。。」
というものであった。
大丈夫かな。自信が無さそうだな。人の悪い俺は更に余計なひとことを付け加えてマダムの心を揺さぶった。
黙ってたら後でブッ飛ばされるかもね。でもまぁいいや。私が当日まで内緒にしてくれって言ったのも内緒ですよ」って。
それでいて、俺はいい人ぶって、「私が気にしてるのはもう一組のお客様は大丈夫かなと。そこは私も心に留めておきますね」って。
なんて常識人なんだろう俺。。。

飛騨に行って帰って来た後、確か11月1日だったと思うけど、マダムと料理の打ち合わせになった。その文言の後に。。。
「まだ、satomiさんに、こらえて話していないのですが、どうしましょう。。。」
こらえて?
どうしましょうって?
俺は笑ってしまった。「そんなに大変ですか黙ってるのって。う~んどうしようかなぁ。ちょっと相談してみます」
ジャン妻に相談した。マダムも黙ってるのツラいみたいだよ。もう今月だから自然に話しちゃってもいいんじゃないの。
ところがジャン妻は
「ダメよバラしちゃ!!」
何でさ。マダムにしてみりゃテーブルの配置とか、どのタイミングで今日いらっしゃってますって明かすか、もう一組のお客さんへの気遣いとか、結構気ぃ遣うと思うぜ。気の毒に。。。
だがジャン妻は譲らない。
「事前にバラしちゃったらオモシロくないじゃないの!!」
これはかなり強く言われた。言っておきながらニヤニヤ笑ってやがる。
「アンタが、俺がマダムに口止めしたってことにすりゃぁいいのよ。アンタが悪役悪役(ワルヤクワルヤク)」
悪役にされた俺はマダムにこう返信した。
「ジャン妻が、当日まで喋っちゃダメって言うんですどうしても。スミマセン。なので私に固く口止めされたってことにしておいて下さい。私が当日フォローしますから」
「私が口止めした」、「俺のせいにしといて下さい」、「当日、私がフォローしますから」、ここが重要です。果たして俺は後でどんなフォローをしたか。後でまた出てきます。
私はまたマダムに余計なことを言った。
「当日satomiさんは、何で黙ってたのって言うかなぁ。もしそう言われたら私はヘラヘラ笑ってますがマダムはゴメンナサイしなきゃならないのはお気の毒・・・って」
気遣ってるのか煽ってるのか自分でもワカラなくなってきた。「まさかsatomiさんらが俺たちと一緒じゃイヤだなんてこたぁ言わないと思いますよ」
マダムも意を決したようです。
「わかりました。頑張って内緒にします。Satomiさんも優しいですもの。びっくりはされても、、、
詰め寄ったりなさらないですよね。;
頑張ってったってそんなに頑張んなきゃなんないかね。いつもの自然体でいいのに。
しかも、詰め寄るって???
「何で黙ってたのぉぉぉぉぉ」ってマダムの胸ぐらでも掴むだろうか。そこまでするキャラじゃないと思いますけど。

いつだったかsatomiさんから「ジャンさんが前回、さらの木に泊まった時、肉肉でしたよね。その記事がみつからないんだけど」という連絡を受けています。その食事編の記事だけカテゴリが“温泉”ではなく“グルメ”になってたのね。
「さてはsatomiさんとマダムも料理の打ち合わせに入ったな」と、マダムが懸命に内緒内緒にする表情を想像してニヤニヤしたが、記事のカテゴリを教えてもバッティングすることは俺もシレ~っとして黙ってた。
晩秋のさらの木1.jpgさらの木看板.jpg
さらの木の駐車場は宿を挟むように右と左にある。
後で聞いた話だと、kazu旦那はさらの木の右駐車場に停まっていた俺らのくるまを横目に見て「横浜ナンバーのAVENSIS?まさかね・・・」って訝しみながら左手の駐車場に入ったそうです。ウチのAVENSISはトヨタカリーナ(コロナ)の欧州仕様車で、最初の販売は外国だったのと、国内ではあまり台数が少ないので。
俺らは右駐車場で15時を待っている。「そのうちマダムが、いいですよ~って迎えに来るだろ」
左手から男女二人が宿に入ってった。だが木々に隠れて誰だかわからない。もしかしたらもう三組目の客かも知れないと思って車内で待機。そしたらマダムが迎えに来た。後で聞いた話だと、マダムはsatomiさんkazuさんを玄関に残して、「もう一組のお客さん、声かけてきますね」って外へ出てっちゃったんだと。二人は取り残されて怪訝に思ったと推測されるが、俺らが庭を横切った時、kazu旦那は俺のアタマを見て「あれ?まさか?」って気づいたようです。
玄関ドアを開けたらsatomiさんの絶叫が返って来た。
「キャァ~~~っ!!なんでぇ~~~っ!!うっ嘘ぉぉぉぉぉっ!!」
なんちゅうデケぇ声。宿どころか八幡野温泉の別荘地に響き渡った。そ、そんなに驚愕するかね。
「前からご予約されてたんですよ」ってたまたま偶然を装うマダムだが、俺は「これには長い話が。。。後でお教えしますよ」って。
二組同時にチェックインしました。既にテーブルは2卓、くっついています。
いざ!!.jpg何故グループ席か?.jpg
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