So-net無料ブログ作成
検索選択

酒房と陶器 GETU。。。 [居酒屋]

見てくださいこれ。
おしぼりがないぞ.jpgごめんなさぁい.jpg
「いらっしゃいませ」[わーい(嬉しい顔)]
「・・・」
眉間が険しい私。
「あら?」
おしぼりが載ってないんです。受けだけ。
「ご、ごめんなさぁい。すぐに持ってきますネ」

俺らはこの店を、3人以上の会合にも利用するようになった。東京の女性社員2名が来た時や、地元の会合で5名、テーブル席で利用した。
東京からジャン妻の上司が憤懣やるかたなくやってきて、尺八居酒屋の次にここへ。ハシゴになっちゃったりした。
誰を連れてきてもよくて爆笑、悪くて苦笑モードの連発である。

誰だったか、お連れした一人が「梅酒ありますか?」
「ございます。八仙といいまして、青森のお酒なんですけど・・・」[わーい(嬉しい顔)]
説明聞いてたら何か変。。。
「ママ、八仙って純米酒だろ?・・・梅酒だよ梅酒・・・」
ママが説明してたのは特別純米酒、生酒だったの。「すっごい効くよ」(ジャン妻)
「あっ、そうです。梅酒ですね。ございます。ヤダアタシ。」[わーい(嬉しい顔)]

皆さん異口同音に「オモシろいママだねぇ」
私は最近、あまり笑えなくなってきたね。それでも訪門数はついに12回に至りました。俄然、TOP!!
ソーセージ(素揚げ)盛り合わせ.jpgビールに合うんだな~.jpg

処理済~カウンターのお客さん.jpgこの写真はテーブル席から。
カウンター右端に、前にここで働いていたスタッフがいた。スレンダーでモデルみたいなすっごい美人だった。
その子は夏休み、1週間か10日ぐらいバイトするようなこと言ってたけど、その期間中、俺らは行かなかった。別にその子のせいじゃない。ママ以外に他のスタッフがいると、俺らが普段、浸ってる店じゃなくなるかな~って思ったんです。
若い美人をちょっと敬遠したのもある。
(ストライクゾーンが高めになってきたんです私)

揚げジャガです。新メニュー。
「バターが欲しいな」
「塩で味ついてるよ」
でもバターを貰った。
「足りないですか?いっぱいございますよ」[わーい(嬉しい顔)]
そしたら俺の隣の野郎も「バターください」って。
揚げジャガ.jpgバター追加.jpg
アスパラと茄子のバター炒め.jpgうざく.jpg
いつもの高清水.jpgつぶ貝の刺身.jpg
俺のマネをした隣のバター野郎は歯科医さんだった。
ママが止せばいいのに、「ワタシ、このトシになってから親しらずが3つも生えちゃって・・・抜いた方がいいのかしら」なんて相談持ちかけるモンだから、歯科医さんの診察ならぬ、所見講義が始まった。
話が長くてくどい。。。
熱を帯びてうるさいくらいだった。健康談義ともいえない口腔基礎知識。俺らの知らない話題もあったけど、抜いた方がいい場合と無理に抜かなくても大丈夫な場合とか延々。。。
俺は辟易した。テキトーに止めろよ。
そのウチ話がエスカレートしてきて、1回きりの患者だったら抜いちゃうとか、地元で通える患者なら無理に抜かずに時間をかける歯医者もいるとか、悪く言われる場合のケースも含めて業界の裏事情まで暴露。
こいつ、ウザッ!!
実は私も親知らずは生えている。
ちょっと変わった生え方をしているのだが、下手に口を挟んだらこっちに火の粉が飛びそうだったので、「ママ~、早く話、打ち止めにしてくれ~」って念じながら酒を口に含んだ。
いつまで続くんだと思った。私の険しい視線にママも気づいたみたい。
ママの方から話を打ち切った。
「ゴメンなさい。お客様なのに訊いちゃって。私ってわからないことがあるとすぐに訊いちゃうので」
マンションの奥にある.jpg
今日のお会計は完璧でした。
ママはいつものように見送ってくれたが、店の外、ドアが閉まったところで俺は切り出した。
「ママ、俺、親知らず上下で四本生えそろってるよ」
ママは目を剥いた。
「この人、原始人だから」(ジャン妻)
「抜かなかったんですか?痛くなかったんですか?」
「抜かなかった。いつの間にか四つ生えそろった。」
なので私は人より歯数が多いんです。上下左右に親知らずが生えてるので最低でも4つは多いハズ。痛くもないし出血もしなかった。
「だいたい、俺が最後に歯医者行ったのって中学三年ん時ですよ。それ以来今日まで行ってない。だから人の痛みがわかんないんだよね」
「じゃぁ、無理に抜かなくてもいいんですね」[わーい(嬉しい顔)]
「いいんじゃない?」(ジャン妻)
「あの野郎(歯医者)には内緒だよ」
「ハイ、言いません」[わーい(嬉しい顔)]

路地の角から撮影。
暗い路地です。右の明かりが天然ママの店です。
そして左に不気味に光るのが尺八オヤジ、○さんの店です。
尺八が聞こえる.jpgGETU。。。.jpg
この二つの店はすぐ近くなんです。
ついでに言えば、私らには丁寧口調だけど、昔からの常連さんにはべらんめぇ口調になる大沢親分の魚小料理屋はこの左写真突き当りを曲がって徒歩数分にあります。
[雷]が嫌いなウサギCafeも、この通りからちょっと離れたところにあるんです。
俺らのマンションはここから徒歩で10分ちょい。その距離にいきつけが数軒あるってなんとなく幸せなモンですよ。
コメント(6) 

 [居酒屋]

今日まで都合、4回来たけど、いつ来ても暗~い店ではある。
薄暗い照明と店内、悪筆なお品書き、ネクラっぽいマスター、美味しい料理まで暗く見える。
七.jpg七は二階建です.jpg
下手な字のお品書き.jpg暗~い.jpg
マスターは諸事情でくるまをお持ちでない。
「仕入とか困らない?」
「ええっと、ウチは北陸から直送されるんで・・・」
石川県や北海道から宅急便で直送されるそうです。でも、ええっと、宅急便だし、自分の目利きで仕入れてないから当たり外れはあるかも。刺身だったら大沢親分の店http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-07-26の方が遥かに美味しく、この店は焼き物や煮物、揚げ物の方が美味しいように思います。
ビールとお通し.jpgポテサラ.jpg
この店、何かに載ってた。コピーにこうあった。
「和をベースに余計なものは極力配さずにシンプルに造り上げた店内空間はスタイリッシュでありながら・・・」
すたいりっしゅぅ??
俺は笑ってしまった。
便所の100Wみたいに、あまり煌々とした店もどうかと思うけど、この店は余計なものどころか、もうちょっと灯りがあってもいいんじゃないって。
料理を提供する皿も地味で暗い。
上州牛の串焼き、これメッチャ美味いんだけど、もうちょっと明るいお皿で出せば映えるのにね。
○州牛の串焼き.jpgUP.jpg
赤城鶏モツ煮.jpg鰯フライ.jpg

それでいて、「料理を盛る器にもこだわり、舌だけでなく目でもお料理をお楽しみ頂けます」ってなってたけど、この暗~い皿もマスターの趣味でしょうな。
店内には食器や骨董品が並んでる。それも暗い。写真に収めようとしても暗くて何だかわかんなく写るんです。これで壁まで黒かったら。。。

私はこの店、和のBarだと思うのだ。
女性1人でも入れます。あまり長居せず、サッと出るのが粋だと思うんだけど。思うんだけど。思うんだけど。。。どこの店にもいそうな“その店だけの知り合い同士”という輪があって、そういう輩が来ると結構、騒がしいのね。

2階はこんな感じ.jpgそれと2階。
私は2階は行ったことないけど、25名まで宴会が可能らしい。
25名って奇数なのが微妙ですね。まぁそれはいいや。2階は紹介記事を見るとテーブル席ではなく板の間座敷になっていて、天井が高い。
座敷で天井高い席にグループ客が来たらどうなるか。
かなりウルサイんだな。下まで筒抜けです。


なので私らは空いてる時しかいかない。ウルサくなってくると出るようにしています。カウンター七席しかないからね。
以外にも飲み放題プランがある。私はこのプランって、店の品位をオトシめるものだと思って疑わないが、大人数を利用する側にとっては楽だし。
何とかブタバラのキムチサラダ.jpgビールに合います.jpg
「お盆、何処か行かれたんですか?」(マスター)
「行かないよ。ずっとここにいた」
(お盆を外して、伊豆に行っている。でもそこまで言わなかった。)
「ええっ、ずっとここにいたんですか?」(マスター)
「だって俺ら、東京からこっちに来て住んでること自体が旅みたいなモンだし。田舎に住んでて、田舎からどっか他の田舎へは行かないよ」って言ってしまったゼ。
処理済~マスター(お会計中).jpg処理済~マスター(髪を切った).jpg
この店、食べログにも載っていた。
感心したのは、あるお客さんのクチコミで、「最後の〆にと思ったけど、ご飯ものがメニューに載っておらずちょっとがっかりでした。」というコメにちゃんと返信していましたね。
「先日はご来店頂きありがとうございます。お客様の口コミよりご指摘のありました「〆のご飯」につきまして本日より改善させていただきます。日替わりではございますが新メニューといたしまして新たにご飯物のメニューを追加させていただきました。今後もよりよいお店作りを目指していきますのでよろしくお願いいたします。」
へぇ。
すぐ改善したみたいですね。この姿勢は、何処かの旅館の館長さんに通じるものがあるな~と思ったのだよ。
薄暗い通りにある.jpgとある日の七.jpg
コメント(6) 

不思議なラーメン屋たち [ラーメン]

田舎、地方を走ってると、蕎麦やうどんはまだしも、個人で営っているラーメン屋で、凝るくらいに首をかしげる店だったり、超の字が付くハズレ店に出っくわすことがある。

「お料理は人数分お願いします」の店が休みだったので、くるまを先の先の遥か先、数Km走らせたらこんな大看板のラーメン屋があった。
如何にも自信ありげの看板にしばし見とれた。
店構えもこれ。堂々たるもの。豪邸とまで言わないが、如何にもこの辺の地主さんが自宅を改造して開業したといった雰囲気。
処理済~大看板.jpg堂々たる店構え.jpg
入ってみて目を凝らした。
この小上がりの暗さ。この暗い小上がりの壁に、ヤツレてパリパリにめくりあがった紙にお品書きが殴り書きされてあるけど暗くて読めないんです。じーっと目を凝らして暗さに慣れてみたら、アタリマエというか醤油と塩と味噌しかなく、申し訳程度に、バター、コーン、コーンバター、メンマとかがあった。必要最低限のものだけ書いてあった。
カウンターの方が明るい。でもそこにはお品書きは皆無。
暗い小上がり.jpgカウンターとマンガ.jpg
よ~く見ると、カウンターも小上がりもきれいに清掃されています。というか、客がいないから汚れようがないといった感じだった。

オバちゃんが一人で営っていた。ご主人は田畑に出ているんだろう。
カウンターはそこそこ明るい。清掃はされている。
「暑いわねぇ。何処から来たの?」
よくオバちゃんに話しかけられるんです私。
「横浜から・・・」とマトモに返答しかけて止めたのは、今日は何処の帰り?という意味だなと理解した。
「ハローワーク」
就職活動じゃないですよ。実際、求人票を出しにこれから行くトコなんです。
「あぁそう」
もっと話しかけてくるかと思ったけど、そこで終わった。
この店、奥の右はWCなんだけど、正面の引き戸が半開きになっていて、そこはこの店の家の居間だったんです。
「トイレは右だよ~」の声がなかったら危うく飛び込むところだった。ガキ(お孫さんか)がバタバタ走り回る音がして、見たら玩具が散乱していた。ピアノやミニブランコもあった。お金持ちかもしれない。

フツーのラーメンだった。左が塩で、右が味噌。(赤味噌っぽかった)
塩.jpg味噌(赤味噌か?).jpg
ふと見ると、厨房の冷蔵庫にサイドメニューがあった。ホワイトボードに殴り書きされている。
とうふ250
たんしお400
白モツ400
トマト300
春巻き400
豚バラ肉400
大和いも350
たこやき350
なんなんだこれは?
モツはいい。とうふって、ふつーの豆腐?
おそらくトマトは家の畑で採れたが、流通に乗せるられない規格外トマトをブツ切りにして出してんだなと。
春巻きって生なの?揚げ?
揚げ春巻きだったらそれだけ高級中華ではないか。
豚バラ肉ってさぁ。。。焼くのか煮るのかそれすら不明です。
たこやき???
何でたこ焼きが。でも、何処にもたこやき器なんてないぞ。
大和いも???
これって山芋?長芋?
まさか自然薯がそのまんま提供されるってこたぁあるまい。擦って揚げて海苔で巻くならわかるけどな。
オバちゃんの後姿.jpg餃子があったね。他はなし。炒飯も炒め物もご飯ものも何も無し。
コンセプトがさ~っぱりワカランこの店は夜は地元の一の一杯飲み屋になるのだろ。だが、こんな偏った中途半端なメニューで客が来るんだろうか。
夜に行けばいいって?
行きませんよ。この店はくるまでないと行けない田舎はずれにあるんです。



この店は全然、いい方なの。私はこの店の謎を知りたくて止せばいいのに3回行ってますからね。(Blogを継続するにはこういう好奇心、探究心、執念がある程度は必要なのだ)、

次の店も場所、店名は秘すけど、某街道沿いにあったコ汚い店。
あまりの汚さに写真はありません。その店の立地周辺を見ると、ロクに来ないバス停、田んぼ、果樹園、古い住宅地、住んでるのか住んでないのかわかんないボロい社員寮、これまた営ってるのか営ってないのか皆目不明なラブホ。。。
そして、失礼な表現で悪いけど、古い長屋が10軒ほどあった。

入ったら汚い店だった。ここも店内薄暗く、厨房もカウンター壁も凄い油汚れだった。
カウンターに肘をついたら何だかベトベトするぞ。
ここもオバさん一人で営っていた。一通りメニューはあったんだけど、よくあるサイドメニュー構成で焼き肉やモツ焼きがあった。
焼くコンロを見たら、網焼きのコンロから汚いガスホースがヘビみたいに伸びてる古いタイプ。煙が店内に充満するタイプですよ。
レバニラか何かで真昼間っから焼酎を飲んでるアル中のような先客がいたが、皿の料理はとっくに空いているのに下げもせず、ダラダラとくだらないTV番組を見ていた。

こりゃ失敗したなと思ったよ。私はこの時、炒飯を喰ったんだけど最悪だった。見てると中華鍋が上手く振るえてないの。案の定味がマバら。しょっぱかったり、味がしなかったり、飯が冷たかったり、焦げてたり。。。
スープの方がしょっぱかった。水で薄めようかと思ったくらい。給水器も汚かったね。
でもいい値段したんです。つり銭がベトベトしたよ。この店の前は今でも時折走ってます。不思議とツブれてないです。もう二度と行かないけどね。

もう一軒だけ。
屋台村みたいなのがあって、そこに小さい飲み屋とラーメン屋が寄り添ってた。
行ったら、またまたオバちゃん一人で営っていた。建物は簡易店舗っぽいんだけど、内装が新しくきれいに感じられたのね。
狭くない店なんだけどガラガラだった。地元の学生さんが2人だけいた。
ラーメンとつけ麺とあって、スープは豚骨と魚粉系とあって、魚粉に疎い私はちょっとそれにしてみたのよ。
供された魚粉ラーメン(正式な名称は忘れました。)は確かにニボニボっぽい香が強かった。
喰い終わるかどうかってタイミングの時に、私は“見て”しまったんです。

私は一人だったのでカウンターだった。私の前に店のオバちゃんが来て、厨房側から見てカウンター上の扉を開けた。棚か何かになってるんだと思う。背の低いオバちゃんは椅子か何かに登ればいいのに、チビのクセに無理して背伸びして、何かをゴソゴソ取り出そうとしている。
次の瞬間、ボトッと何かが落ちた。落ちた時とオバちゃんが拾った時に見えたのは。。。
カツオ風味のホンダシ。。。
味の素ですよ。間違いないです。カツオのマンガが見えたからね。厨房側に落ちたホンダシをひと箱手に持って、残りはゴソゴソ戻してた。オバちゃんは奥に去っていった。
これですよ.jpg味はまぁまぁだった。でもかなり興ざめしたよ。まさかニボニボダシはこれかい?って思わずにいられないさ。
そりゃぁ俺だって、他んトコで知らずにカツオホンダシや味の素を体中に摂取してるかもしれないよ。味の素やファーストダシがどうこうではなく、客を騙すんならもうちょっと上手に騙しなさいと言いたかったね。
カツオの目がこっちを向いて、ニコッって笑ったような気がしたからね。
この店も写真はないです。撮ったけど消しました。それっきり行ってません。
じゃぁ今日はこれでっ。[手(パー)]
コメント(2) 

上州電気鉄道未成線跡 [廃線跡]

オカシな構造物.jpg何だこれは?.jpg
民家の敷地内に、こんなのがあった。
この構造物があるのは、板鼻陸橋下という交差点脇にある。県道10号(上毛三山パノラマ街道)、26号、137号、3つの県道の交差点です。
庭で植木を切っていた住民さん、オヤっさんに訊いてみた。
「何ですかこれ?」
「ああこれはね。軽井沢の方へ伸びる予定だった鉄道の跡・・・
橋台、橋の台だという。
橋というからにはもう片方あったに違いない。現在は片側のみある。何やらアヤシイものの看板になっている。

実は私、これの存在をこっちに来る前に知っていました。故宮脇俊三氏の監修によるJTBブックス「鉄道配線跡を歩くⅦ」に紹介されていたんです。民家の敷地にある橋台というのがキョーレツに印象に刻まれ、発見した時、「何処かで見たな」って。
ブックスには、オッさんが言う「軽井沢方面へ伸びる予定だった・・・」とまでは書かれていなかった。そういう夢があった、夢を見た人がいたんでしょう。廃線は廃線なんだけど、この上州電気鉄道橋台は未成線なんです。未成線とは着工したけど完成しなかった、開通に至らず諸事情の為、途中で「止~めた」って放棄されたもの。
なのでこの橋台には電車は一度も走ることはなかった。

廃線跡シリーズ.jpg未成線(みせいせん)とは、計画、建設段階で中止され、完成しなかった鉄道路線のことです。
最初は鉄道関係者やマニアの隠語か造語だったらしい。一般人はこの造語を使わなかったというか、知らなかった。知らなくても日常に支障なかった。
それが故宮脇俊三氏監修の書籍他で広まったのは、「完成されていたらどうなっていたか」というロマンを辿る趣味の世界からだと思う。

未成線は枠が狭いようで広い。
着工区間があったか、もしくは営業までこぎつけて、そこから先は・・・・・・のように計画路線があれば未成線と位置づけられるようである。
私はこれまで、営業はおろか、全く工事着工しなかったものでも、地図に描くと全線が・・・(点線)・・・で表示されるものは未成線ではなく計画線、構想線だろうと思ってたのだが、免許を得られなかった(却下された)区間や構想段階、計画段階で消えたものも含めて未成線と呼ばれるらしいです。
例えば、軌道が全く着工しなかった熱海モノレールも未成線と呼ばれている。(熱海駅のみ着工した。)

JRでも私鉄でも、鉄道事業者が国土交通省に敷設許可を申請したとして、
免許線、これは工事は未着工。
工施線、免許から一歩進んで、工事が認可されたもの。用地買収や一部だけでも工事に取り掛かったもの。
これらは未成線扱いになる。

同じ線形だから、道路も未成線と呼ぶかも知れない。特に近世、予算凍結等で工事半ばで中止されたものは社会問題の的にもなる。

以下、難しい話で恐縮ですが、国鉄→JRの民営化に伴い、昭和61年に施行された鉄道事業法の前の地方鉄道法には、敷設免許の取得により、初めて鉄道会社の設立ができると定められるとあった。
上信電気鉄道株式会社の場合、免許取得が大正9年で会社設立は13年と伝わる。
最初の段階でもう4年もロスしている。資金が無かったのがうかがえる。

免許には期限があるらしい。同法には免許の失効に関する規定があって、期限までに工事ができなかった場合や、営業廃止となった場合に免許が失効となると定められているが、期限がどれくらいなのかはちょっとわからない。延長申請とかの救済策があったかも知れない。

この未成線の計画そのものは壮大だった。
群馬八幡駅から里見を経由して、吾妻や榛名湖、草津方面へ延長する計画で、更には県境を越えて長野県まで延伸する野望、夢もあった。なので冒頭のオッさんが言う「軽井沢の方へ」というのが確かにあったのです。
ただ、起点については諸説あって、当初の起点は群馬八幡駅ではなく、現在の上信電鉄の南高崎駅を起点としたという説もある。
軌間は1067mmなので我々が日常乗る電車の規格(軌格?)でしっかりした線路だった。

(この会社の本社は東京にあって、倒産前はこの橋台のある板鼻町に移転してきたとか。となると現在の下仁田まで走る上信電鉄とは無関係だったようだが、別項で出て来る“超”が付く謎廃線、里見軌道が資材を運んだ発電所との関係が怪しまれる。)

群馬八幡駅.jpgよくある話で資金難に陥ったようです。
金が無く工事が遅々として進まないうちに昭和3年、最初の予定ルートの免許が失効しちゃったので、起点をズラして当時は飯塚駅といった現在の北高崎駅を起点とするプランに変更した。
ところが烏川を渡る資金が無く、昭和5年に群馬八幡駅に変更された。南高崎→飯塚(北高崎)→群馬八幡です。
それでも金が無く、[あせあせ(飛び散る汗)]大正15年には安中~板鼻(この橋台のある辺り)と、上里見~何処かが失効し、昭和6年か7年には会社が倒産。翌8年には全線失効した。


実際の工事区間は2割だけと某資料にあった。冒頭に紹介した取り残された橋台はその名残です。
見た感じ、キョーレツで、最大の遺構のようだが、唯一の遺構というわけでもない。
この延長上には神社があって、この近くに車庫ができる予定だったと書いてあった。
神社の向かいにはこんな畑、用地がある。おそらく車庫予定地ではないか。
謎の神社.jpg車庫予定地と伝わる場所.jpg
まだある。
路盤の跡が残っているのです。民間会社の寮の側に、鉄路を敷設する築堤という盛り土が続いている。
この盛り土については、前述の本にも小さく載っていた。
路盤の跡1.jpg路盤の跡2.jpg
このスペースは現在、雑木林になっているところと、民間に払い下げられたか、もとの持ち主に返されたのか、畑になっているところもある。鉄道用地なだけあって平らだから耕し易いのでしょう。
近隣には新しい住宅も建ちはじめている。そこの住民さんたちはおそらく他から引っ越して来たのでこの廃線の
ことは知らないと思われる。
今ある路盤跡も、いずれは宅地になるかも知れない。
路盤の跡3.jpg路盤の跡4.jpg
いかにもそれっぽく見えるでしょう。でも実際にレールが敷かれるとこまで工事されたかどうかは不明です。
路盤の跡5.jpg路盤の跡6.jpg
路盤の跡7.jpg路盤の跡8.jpg
自然に還っていく.jpg盛り土部分は何となく、それらしく、鉄道用敷地といった感で細長く続いていくが、その先は自然に還っている。判然としなくなった。
この先、何処まで工事が着工されたのか。
中里見というところの泉福寺という寺付近に、二つの橋台が向かい合うように建っていたという情報もあったが私はそこまで行っていない。
廃線跡というのは、長~い路線跡をトレースして、そこにあるポイントポイントを抑えて行く根気が必要なのを感じた。私はそこまでしなかった。


橋台に戻ります。
こんなものが庭にあったら、「ジャマじゃないですか?」
ところが所有者?のオッさんは意に介さず、
「そうでもないんだよ。これのおかげでトラックや大型車が突っ込んで来れないんだよね」
家を、庭を、敷地を護っている防波堤のような役割を担っている。風化していてわからないが、くるまがぶつかったり、かすったりした跡もあるのかも知れない。
処理済~脇から見る1.jpg処理済~脇から見る2.jpg
ポツンと残るコンクリの橋台だが、盛土は何処に転用されたのだろうか。
並行して走る県道に転用されたという説がもっぱらです。オーバークロスする高さが同じだし。確証はありませんが。。。
現在は、脇に電気の配電盤ボックスみたいなのが取り付けられていて、夜は妖しく光るのかも。

上州電気鉄道橋台と築堤位置関係.jpg←場所はここです。
この未成線が発端となって、ここから北2kmにある写真下の建造物について調査中ですが、某サイト以外は資料、文献が希少な状態なのだ。
記事はだいたい出来上がっています。近日中にUpします。
謎の橋台.jpg
コメント(6) 

Cafeとカミナリ [居酒屋]

雷雨のCafe.jpg外で雷が鳴っている。
稲妻が光っている。その辺りが明るくなる。[雷]
「ヒャッ!!」
Cafeの女性オーナーがオドロく。
クセなのか、首に両拳をあてている。目も見開き、鼻の穴もひん剥いている。ウサギみたい。
自分でも言っていたが、「私は高校生の時、先生に、お前はウサギだ、ウサ子だって言われて。。。」
確かに似ている。
雷におっかなびっくりのウサギといった感じ。

「雷がキライなの?」
「はぁい、子供の頃からダメなんですぅ。なんかイヤじゃないですかぁ。ヒャッ!!
また閃いた。[雷]
「そりゃ雷が好きなヤツっていないだろうけどさ」
また光った。その度、オーナーの調理の手が止まる。

前に来た時、オーナーが言うには、
「今度、お店をお休みして富士山に登るんですぅ[わーい(嬉しい顔)]
「ふじさん?」
その時は「行きたきゃいけばいい」って思った。だが、こんなに雷を怖がって、富士山はおろか、山に登れるんだろうかこのウサちゃんは。

この地の夕立は珍しくない。西の方から暗くなり、ゴロゴロドカドカ遠雷が響き、すぐに市内上空にやってくる。
三か所か四か所で同時に稲妻が光って豪雨になる。[雷]
この日、先にマンションに引き上げてた私は、事務所へ残業中のジャン妻を迎えに行った。
途中、〇さんの店(尺八居酒屋)はガラガラだった。そしてこの店、Cafeも誰も客がいなかった。ウサギさんは一人さびしくお店番をしてたので、小ぶりになった頃を見計らって店に来た優しい俺たち。
店ん中、ガラガラである。
ガラガラー1.jpgガラガラー2.jpg
「もうすぐ富士山、登るんでしょ?」
「はぁい、登りますぅ」
「山って天候変わりやすいんじゃないの?」
「富士山って高いから、雷が下や横からも来るよ」(ジャン妻)
「そ、そうなんですか。[たらーっ(汗)]ヒャッ!![雷]
ホントかね。オドすなよコイツ。イジメに来たのか。
雷が鳴りやまない。。。
何とかトースト.jpgなんだっけこれ?.jpg
茄子とベーコンのパスタ.jpg小皿に移す.jpg
以下は前回に来た時。
この店、食べログに載ったんです。
Cafe.jpg店内.jpg
メニューはニチバンテープ?.jpg食べログに載るくらいだからどんなフードメニューがあるかというと。。。
この写真がお品書きです。
ニチバンテープみたいなのに殴り書きされている。
カレー、パスタ、ソーセージ、ポテトフライ・・・
まぁB級ですね。
「あの店のカレーは美味いけど、ありゃぁ冷凍モン使ってんじゃねぇかなぁ」って悪口言ったのは尺八居酒屋の〇郎さんだが、冷凍は冷凍なんだけど、オーナーの後ろにある四角い冷凍庫から、手作りの冷凍ものを出して、解凍してひと手間加えたのが供される。

「あのCafeは最強の冷凍食品だよな」
「またそういう言い方を。手作りを冷凍してるんでしょ」
なので誤解のないようお願いします。

祭りの山車の話題になった。
「叩き合い見たんですかぁ?[わーい(嬉しい顔)]
「見たよ。連雀町の交差点で。田町と九蔵町がいちばん気合い入ってたね。羅漢町はちょっとお疲れ気味だったかな~。歩道でぐったり休んでたし子供も腕が上がってなかったし。今年出た町は来年は出ないんでしょ?」
「○○町以外は出ないと思います。輪番制みたいだし」
「だから、また再来年会おうぜ~ってなってたのか。」
[わーい(嬉しい顔)]
「最後のあまだれのアンコール、あれって観客じゃなくてやってる連中で暴れ足りないのがアンコールって連呼してるんだよな」
[わーい(嬉しい顔)]山車があっても、参加するにはお金も必要だし。集まらない町内ってあるみたいです」
「この店、(お金)出したの?」
「出しましたよ。」
金の集まる街と集まらない町とはどういう違いがあるんdなろうか。
「町内に銀行さんがあればいいんですけどね。お金が多くあつまるし。それとマンションとかあれば住んでる人が多いじゃないですか」
これについては「いやぁ、そういうこともないですよぉ」って言った小料理屋のオヤジもいた。
俺らはマンションに表札を出していない。もしかしたら集金に来てたんだろうか。
カレースパ1.jpgカレースパ2.jpg
「他に何処か行かれました?」
「一番行った回数が多いのはGETU。。。(陶器とママの店)」
「あそこは行ったことないです。何だか敷居が高い感じで」
敷居が高いぃ??
どこがっ??
「あの店の何処が敷居が高いのさ」
「ぜんぜんっそんなことないわよ」
ナゲット.jpgポテサラ.jpg
「○郎さんのお店(尺八の店)、よく行かれるんですかぁ?[わーい(嬉しい顔)]
「前はよく通るけど、最近なんだかいっつも混んでてさ。昼間に○郎さんと、こんにちは~って挨拶がてら会う方が多いかも」
「食べログに載って大変だって言ってましたぁ。[わーい(嬉しい顔)]
「言ってましたね。客が増えたってボヤいてた。でもこのCafeだってとうとう食べログに載ってたのを見たよ」
「へぇっ、ホントですかぁっ??」
「でも写真だけだったな。口コミはなし」
「食べログってお料理の写真撮ってぇ、お値段も載せてぇ、大変だと思うんですよぉ[わーい(嬉しい顔)]
「・・・」
俺はトボけた。無口になった。
このCafeの女性オーナーは知るまいて。私がBloggerであるということを。
何かのトースト.jpgいつものカレードリア.jpg
提供したトマト.jpgこれは地元の地主さんから貰ったトマト。
喰いきれないのであげた。そんなに甘くない。
出荷ルートに載せられない規格外トマトなので、酸味がある。
おそらくそのまんま出さないで、潰してソースにしたかも知れない。
置き方がなかなかいいセンスしてますね。
差し上げた俺らにトマトを向けて、それでいてサラッとディスプレイになっている。



「今度、お店をお休みして富士山に登るんですぅ」[わーい(嬉しい顔)]
「ふじさん?」
「何処から登るん?富士吉田から?」
「よく御存じですね。」
「だった俺、隣の神奈川県民だから。でも富士山なんてトシマの美人と一緒だってよ。遠くから見た方がキレイかもよ」って悪態つく俺。

そして今夜。。。
まだ雷が鳴っている。
稲妻が光ってその辺がパッと明るくなる。[雷]
「ヒャッ!!」
それまで私らだけだったのが、3人お客さんが来たのでこっちは安堵。会計して出た。
オーナーは次週、富士山を登りに行く。
「雨の中、ありがとうございましたぁ」
「じゃぁ気を付けてね」
「雷に打たれないようにな」
「はぁい。。。」
こっちにて半年に満たない俺が言うのもなんだけど、カミナリが怖くてよくこの地に住めるなぁ。
コメント(2) 

Kor Cafe [グルメ]

入り難い入口.jpgこの店を見つけたのはジャン妻。
「よさそな店があったよ」
「何屋さん?」
「2階にある喫茶店みたいな感じ」
「2階にある喫茶店?そんなのあったか?」
喫茶店ならランチでいいや。行ってみたら喫茶店ではなくCafeだった。
この店、酒悦七のすぐ近くだったんだけど、全く気付かなかったですね。
入り口に置いてある置物みたいな立て看板が、目線の下にあるからだと思う。

どうも何だか入り難い雰囲気ではある。
エントランスからモザイク状の階段を上る。あまりこういう動線は好きじゃない。最初の一歩で店内全体が見えない店はイマイチなんだよな~。
入り口も何か変な感じ。
モザイク階段.jpg2階に扉がある.jpg
入ったらもっと変な感じ。(笑)
色彩感覚も内装の模様も一風、変わってる。
店内は案外広いけど、カウンターはなく、テーブル席、2席×2、4席×3、窓際にはソファーみたいなのもあった。このソファーで恋人同士が寄り添ってたのを、一人で孤独な女性客が背中向けてブス~っとした顔してソフトドリンクを飲んでいた。
う~ん、ようワカラン.jpg窓際は明るい.jpg
店の奥は暗いです。
反面、道路に面した側は巨大なガラスが張ってあって、メッチャ明るいけど、向いのマンションの洗濯物が丸見えだった。
奥は暗い、向こうは明るい.jpgデカい窓とマンション.jpg
この地は若くして自分の店を出す人たちが少なくない。
酒悦七・・・http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-07-26-2
Cafe・・・http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-07-22-2もそう。
この店のオーナーも若い女性でした。

目を逸らして内装や小物を見ると、やはり不思議な雰囲気を醸し出している。
BGMも私が聴いたことないような不思議なサウンド。ポニョポニョ♪、プァカプァカ♪、フォワフォワ♪、変なBGMだなぁ。
Cafeらしく、この街で開催されるイベント、ライブとか、アートとかのチケットが置いてある。
http://ameblo.jp/korcafe/を見るといろいろ活動されてるみたいですね。

この店は4月にOPENしたばかりだそうです。
内装や装飾品はオーナーとデザイナーのセンスだと思いますが、見る人によっちゃぁ可愛いと思う人もいるんだろうけど、私が見た感じは「???不思議だな~」の店だった。
店ん中にいても私だけ浮いている感がするんです。私みたいに美術に造詣がないと違和感だけで終わってしまう店である。

ランチは美味しいですよ。ハンバーグ、カレー、豚の何とか焼き、どれもイケました。見ためよりボリュームがあったし。女性オーナーが一人で作っています。
チキンカレー.jpgカレーUp.jpg
ポークの何だったかな.jpgポークUp.jpg
ハンバーグプレート.jpgジンジャー辛口.jpg
「お飲物は?」って宇宙人が訊く。
「ホットコーヒー」(ジャン妻)
「このクソ暑いのにホットぉ?俺はジンジャーエール」
「ジンジャーエール?またそういう炭酸を・・・」
「いいじゃねーかよ」
私はカナダドライみたいなのを期待してたのだが、供されたジンジャーエールは“辛口”だった。ジンジャー=(イコール)ショウガだけど、かなり辛かったですよ。髭の剃り跡にシミた。
ギアみたい.jpg夜はこんな感じ.jpg
夜はこんな感じです。何だか事務所みたいに見えますね。
でも私はまだ夜には行っていない。平日の夜は21時まで。どうもカウンターがない店には入り難いんだな~。

店名は何ていうのか。くるかふぇ?
コメント(17) 

CoCo壱 カレードリアとサラダ野郎 [グルメ]

CoCo壱某支店に一人、いいトシしたオッさんがいて、他のスタッフとの呼吸がよくない時がある。
俺たちの注文を受けて、「サラダワンです」ってオッさんに声掛けしたのは若い女性スタッフ。
CoCo壱のサラダは冷蔵庫に作り置きされていてキンキンに冷えている。でも瑞々しさはイマイチで、某牛丼チェーン店ほどではないが乾燥しかけている。通常は、カレーの前に出される。
ところが。。。
女性スタッフから「サラダお願いします」という指示がオッさんにいった。その時、冷蔵庫にはサラダがなかったらしい。オッさんは、大きい器から大量に切り置きしてあった野菜を皿に移したはいいが、サランラップに手を伸ばした。何枚かちぎってラップしている。
(ははぁん。さてはこの野郎)
このオッさんは勘違いをしている。
サラダを店の客の注文と理解せず、冷蔵庫に入れるストックを準備していたんです。いわゆる“予製”をしてた。

若い女性スタッフは俺のメンチカツ、ジャン妻のキャベメンチを揚げて油から引き上げるところだった。揚げる音でわかった。そこで気付いたらしい。
「スミマセン、サラダはお店の・・・」
「あっ、そーなのごめんなさい」
丸聞こえでやんの。オッさんは慌て調子でサラダを持って来た。「お待たせしました」そのすぐ後にカレーも来たからね。
私はこの時は何も言わなかった。
でも普通、サラダは先に持ってくる。何処のCoCo壱でもサラダは先に供される。後からメインのカレーと同時ってこたぁ絶対にない。

サラダなんてメインのカレーが来る前に喰い終わっちゃうからね。そういうもんでしょう。
指示がちゃんと届いてないのか、聞いて理解してないのかって感じだった。

熱帯夜が続いている。
暑い日はカレーである。satomiさんの記事でカレーモード状態だった俺は、晩飯をCoCo壱に誘った。
(後で見たんだけど、こういう日に限って尺八居酒屋はガラガラだった)
晩飯にCoCo壱に行くのは多分、初めてだと思う。
行ったらまら前回のサラダ野郎、オッさんがいた。もう一人の男性にメインのカレーをオーダーした後で、サラダと「缶ビール3本」
CoCo壱は缶ビールです。瓶や生はない。このオーダーに面食らったみたい。
「2本にしなさいよっ」
「ヤダ」
「後で1本追加すればいいでしょうっ」
それもメンドクサイ。ジャン妻はアタシたち、2人で来てるんだから2本にしなさいよという論法。でも3本で押し切った。居酒屋じゃないんだし。後で追加して計4本になったけど。
ところが。。。
またしても”ところが”である。
缶ビールを持って来ないんだな例のサラダ野郎のオッさんが。
オーダー取りに来た男性はメインの調理に入っている。オッさんに伝えたのか伝えなかったのか。
どっちでもいいけどこれで2回目なので、とうとう俺は立ち上がって厨房を覗いたら、オッさんはロースカツか何かをまぶしてた。
「オイッ」
「・・・???」
「ビール先に持って来いよっ」
「あっ」
そこで初めてもう一人から「ビール3本とサラダ」指示が再度、飛んでたからね。オッさんは「もうしわけございません」蚊の鳴くような声で缶ビールを3缶持って来た。
コイツは多分酒を飲まないのではないかとも思ったが、外は暑いんから先に持って来ないでどーするっ。

前回のサラダの件があるので、「サラダもね」ジャン妻がグサッと釘を刺した。
「ハイ、ただいまお持ちいたしますぅ」
このいいトシしたオッさんは脱サラだろうか。俺がよく行ったよく載せた藤沢の長後店で修業しなおせって思ったよ。あそこのM店長は厳しいからねぇ。返事しなかったら食らわせるからね。
缶ビール1.jpgサラダ.jpg
今回はカレードリアです。
私はハンバーグ、ジャン妻は茄子とホウレンソウ。
ハンバーグカレードリア.jpg茄子とホウレンソウドリア.jpg
ライスは少なめです。辛さの調節はできません。ルーは多めね~もNGだと思う。
割ってみたらこんな感じで、中から納豆でもでてきそうだったけど(爆笑)。
割ってみる2.jpg割ってみる1.jpg
缶ビール2.jpgカレードリア.jpg
「これはツマミだね」(ジャン妻)
うん。ビールに合う。
4本目の缶ビールの時は「すみませんもう1本」って、至極てぇいねぇいに言いましたよ。スッ飛んで来たけど。
小さく少ないけど結構、腹が膨れた。

翌朝の(土)、この日は横浜に戻らなかったんだけど、朝起きてからPC入れて、自分トコチェックして、他の方々をサッと見るんだけど、satomiさんとこの記事を見たらま~た朝飯兼昼飯がCoCo壱モードになっちまった。
行きましたよ。11時過ぎに。
トロいオッさんはいなかった。
(なんだ、いねぇのか。)
ツマンナイの。
ヘンな先客がいて、俺が入った時、一人でテーブル席に陣取っていて新聞を読んでるの。
そヤツがオーダーしたのはライス400gくらいにデカいロースカツ&ホウレンソウ?だったかな。それがが供されても、喰いもしないでずーっずーっと新聞読んでるの。
冷めちゃうんじゃないのか?
早食いの俺が会計済ませて、店を出る時も、まだ一口も喰わねぇで新聞読んでましたね。重度の猫舌かもしれない。
私の定番.jpg昼ビールも.jpg
俺の中でそのオッさんはもう”店のカオ”になっている。
次回もいるだろうか。いなきゃいないでイライラしたりして。

まだまだ熱帯夜が続く。。。
コメント(6) 

支那そばの「なかじま」 [ラーメン]

私が今いる地はうどんは有名みたいだが、ご当地ラーメンというのはどうも見当たらず、隣県や他県の地元ラーメンも進出してきていないみたいだ。
これまで載せてきたのは、ラーメン屋だけどモツ料理とかも出している半居酒屋風のラーメン屋や、昔から営っている中華料理屋、もしくは個人経営のラーメン屋ばかり。
牛、豚、モツ、地鶏、地場の肉の素材は多いので、鶏ガラや豚骨を見直したらいいのにと思う。

今日Upするこの店は、ある女性からの情報で知った。
外待ちはザラです。“この地で最も美味しいラーメン屋”という評価もあるのだ。
11時の開店早々を目指して行った。支那そば なかじまといいます。

この店は市内の幹線道路、信越線を越える末広陸橋を渡っててすぐ右にある。この幹線道路は2車線あって、後述するように信号間の距離が長く、つい飛ばしがちになり、あっと思ったらもう通り過ぎてしまう。
パトカーや覆面がいる時もあるからご注意を。
店にも駐車場があるらしいが、左に大型複合商業施設のウニクスがある。減速してそこに停めればいいのだが。。。
ここで問題が。。。[たらーっ(汗)]
ウニクスに停めて(もちろん買いましたよ)、目指す「なかじま」は幹線道路の向かい、目の前にある。もうすぐ11時でシャッターが開く前にもう客待ちがいた。
くるまが猛スピードでびゅんびゅん通る。
どうやって向こう側に、なかじまに渡るか。
幹線道路の向かいに.jpg見てると俺と同じ挙動のヤツがいて、「なかじま」に横断しようと狙ってる。傍目に見ても「君もなかじま君かい?」ってなモンである。
アブなくってしょうがないこの片側2車線、両側4車線の幹線道路はなかなか渡れない。信号のある交差点や横断歩道はかなり離れていて相当な距離を歩く。陸橋側の交差点まで100m、反対側、上越新幹線高架下の交差点までは200m。
横断歩道から「なかじま」までは、往復200mか400m。近くて遠い気がする。


横断歩道は遥か先にあるー1.jpg処理済~横断歩道は遥か先にあるー2.jpg
結局ダッシュするしかなかったですよ。何とかくるまの切れめを狙った。
足の弱い人や体力に自信のない人は絶対に止めてください。
なかじまです-1.jpgお品書き.jpg11時開店で、私は5番手だった。営業時間は15時まで。でも15時前にスープ終了で閉めてしまうことが多いです。
前に13時半前に通ったら「スープがなくなりました」営業終了になってたのを見た。13時半ですよ。営業時間は実質2時間半しかないのではないだろうか。
残暑真っ盛りだから空いてるだろうという読みはアマく、着席して15分後には満席になり、後ろの街席にもズラリ。
カウンター15席。座ってみると、完全なオープンキッチンで、スタッフの動きがようワカルのだ。丁寧な仕事っぷりでしたよ。
茹でる前の麺が黄色くないんです。日本そばに見えた。これには何か秘密があるらしいが、私は詳しくないのでその方面に詳しい方のBlogを見てください。
初回なので「支那そば650円」を注文。
10分程で着丼した。
スープは鶏&魚介です。
おっ!!美味いよ。しかも上品です。
(悪かったな下品で。)
惜しむらくはチャーシューというか焼き豚なのでちょっと固い箇所があることかな。箸でほぐれる柔らかい煮豚ではない。
メンマは細く、こりこりしていた。
支那そば.jpgスープは魚介系.jpg
メンマ大盛.jpg麺ズルズルッ.jpg
後頭部に背後で待ってる人たちの視線を感じるな。
俺の一つ空いて右隣にいる若い男女は、女性の方が先に食べ終わったはいいが、野郎の方が大盛なのかトッピングが多いのかなかなか喰い終わらない。食い終わるまでじーっと待ってましたね。さっさと出りゃいいのにと思わないでもない。
だって彼女さんだけでも先に立てば、私の右隣は2人客が座れるんです。後ろで待ってる次のお客は2人連れだったからね。その次はお一人様だったんだけど、あくまでも順番厳守のようで、彼女が出ないからといって、お一人様を先に俺の隣に入れなかった。
会計時もスタッフが拭き終わるまで、どーぞ、の声がかからなかった。
これも混む一因ではあるだろうな。
処理済~店内1.jpg処理済~店内2.jpg処理済~店内3.jpg
ええっと、個人的な総評をさせていただきます。確かに美味しいです。しかも上品。でもこのクラスは東京神奈川には探せばあると思いますよ。前に3回載せた世田谷区の「橙」http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-03-15-2を薄めに、脂少なくした感じでした。
魚介系の強さはフツーかなぁ。鼻にツンツンしない程度かと思います。
くるまに戻らんと.jpg喰い終わってからが大変。ま~た向こう側、ウニクスの駐車場に戻らなきゃなんないのだ。
この4車線を見たらゲンナリした。[がく~(落胆した顔)]
でもなんとか生還しないと。



構えてたら、向こう側から、「なかじま」に渡ってくる野郎がいた。
アブねぇなコイツ。
ハラハラしながらカメラ向けてる俺もどうかと思うけど。

処理済~アブないぞ.jpg処理済~渡れた~ヨカッタ~.jpg
無事に渡ったゼ。
だが他人のことを心配してる場合じゃねぇ。こっちもくるまの切れ間をぬってダッシュした。

この店に行くのは命がけですよ。自分も強行に渡っといてなんだけど、よく事故がおきないもんだ。
こんな凄い立地条件のラーメン屋は初めてです。喰いに来る客に命をかけさせてどーすんだって。運が悪けりゃあの世行きですぜこの店。。。
行く人は店側の車線からどーぞ。美味しいけど、こっち側から突っ切ったら命の保証はしませんからね。
コメント(4) 

久々のお役所グルメ⑦ 県庁昭和庁舎のCafe [グルメ]

県庁に行った。
凄い土居に囲まれていた。ここは城内なんです。
圧倒されるが、土塁に登らないでくださいっていう表示がところどころにある。
登っちゃダメよ.jpg土塁が伸びる.jpg
土塁のカット断面?.jpgクランクになった土塁.jpg
土塁が伸びている.jpg登っていいのかな?.jpg
この県庁=城塞は利根川の左岸段丘にある。
厩橋と呼ばれていた頃、この城は利根川の氾濫に度々翻弄されてきた。初期、長野氏が造った最初の頃とは場所も異なっているという。
泰平になってからは酒井氏が城主となる。有名な下馬将軍、酒井忠清を出すほどの名門でも利根川は言うことを聞かず、城を浸食しまくったのでいつしか本丸も移転した。
それでもかつては三層の天守があったという。
五代目酒井忠挙の時に城下が最盛期だったが、財政難に苦しみながら寛延2年(1749)に姫路に転封となる。
入れ替わりに姫路から越前松平家の係累に連なる松平朝矩という人が入封したが。。。
金が無かった。[たらーっ(汗)]
それでも利根川は容赦はしない。激流が城郭を徐々に破壊していく。修復費用に苦しんだ松平氏は18年後の明和4年(1767)、幕府にお願いして川越へ移動した。ここを放棄しちゃったのである。
八万石もあったのに、その後約100年は川越藩の分領になって陣屋支配だった。城も主も失った城下町は寂れ、領民たちは再三にわたって「帰ってきてください」とお願いしたが歴代の誰もが首を縦に振らなかったらしい。
幕末の藩主、松平直克という人がようやく決断し、文久3年(1863)12月、幕府から改築許可を得て慶応3年(1867)3月に竣工。帰城が実現した。
しかし。。。
わずか半年で大政奉還となった。。。[バッド(下向き矢印)]

登っちゃいけないみたいなんだけど、一か所だけ登っていい場所があった。碑と説明版があるトコ。
登ってみた。
そこにも「歩行はご遠慮ください」ってあったね。でもちょっとだけ歩いてみた。
この高さは役所の3階分に相当する。左を見たら役所の窓があって、こっちからは見えないけど、向こうからは見えてるに決まってる。
バツが悪くなって降りた。
登ってみた.jpg解説版.jpg
もうちょっとだけ歩いてみた.jpgちょっとだけ歩いてみる.jpg
高層県庁.jpgさて、城跡を見に行ったんじゃござんせん。
県庁です。ここの某所に公用があって出向いたんです。ところが昼の時刻になってしまい、庁舎内は節電で真っ暗。
担当者は「今はお昼休みで外へ出ております。お預かりなら・・・」
お預かりでは済まない内容だったので、「待ちます。」
室内が真っ暗で書類を説明しようにもよく見えないのだ。暗いのを幸い寝てるヤツもいた。よく眠れそうな環境である。
私はエレベーターのフロアに談話室みたいなのを見つけてそこで時間を潰した。
しかしノンビリしたモンである。部署にもよるが、神奈川県庁や東京横浜の市役所なら担当者が複数いて、お預かりどころか、必ず最後まで対応してくれるのだが。
このノンビリさはやっぱ田舎なんだなと。


だが、担当者は何処へ飯を喰いに行ってるんだろう。何処にそんな場所が。。。???
ここで閃いたのだが、前に”もと田舎娘さん”からいただいたコメに、県庁のレストランがどうとか仰ってたのを思い出した。
何処かにあるのかも知れない。だって県庁だモン。一級クラスの箱ものだし。

13時ちょっと前に庁舎内部に灯りが点いた。再度、係に出向いたら、対応してくれた担当官は女性で、昼よりも夜に働いた方がいいのではないかというくらいのケバい美人だった。
失礼ながら、この女は灯りを点けないで暗い中で見た方がいいなとも思ったね。届出、申請は無事に済んだので、2基しか稼働していないエレベーターで1階に降りて外に出たら、昭和っぽいレトロな建物の中に、間口は小さいけど、レストランがあるのを発見した。

ひっさびさのお役所グルメです。前はいつで何回だっただろう。
(前回の記事http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-01-18-2
レストランというか、Cafeだった。G Face Cafe
外から見たCafe.jpgCafe入口2.jpg
ここは県庁の昭和庁舎といって、県民なら知らない人はいないとまで謳ってる有名なカフェ?
ホントかな?
田舎なのにヨーロピアンの古い建物を意識してるような。
ウェイターはおじさんでした。2人いた。
「お食事ですか?」
「うん」
メニューは殆ど見ないで即、無難にカレーにしました。暑かったのと、satomiさんトコの記事でカレーを見たからかも知れない。
カレー.jpgカレー拡大.jpg
まぁまぁ美味かったですよ。Up予定の某Cafeのチキンカレーに似た味だった。

私が入ったのは13時半前だったんだけど、店内は長っ話の爺さん婆さんばかりだったね。
カウンターはなし、ALLテーブル席で40席ぐらいあったかな。グランドピアノも鎮座してて、CafeだからLIVEも開催されるみたい。
披露宴パーティーも開催されるようで、新郎新婦のモデル写真もあった。
処理済~店内1.jpg処理済~店内2.jpg
GFaceCafeパンフー1.jpgGFaceCafeパンフー2.jpg
GFaceCafeパンフー3.jpg高級レストランじゃないです。カフェのランチ食だから、喫茶店のランチがちょっとだけグレードアップしたような、役所の食堂が無理してCafeにしてるな~て感じ。
でも悪くはない。他にも食堂があるのだろうか。
県庁は2時間無料です。これはお得です。パチパチパチ。

(それにしてもこの地は警察が多いな。パトカー、白バイ、覆面、15分で3台見たぞ。)
コメント(8) 

慶応四年八月二十三日 [会津]

滝沢本陣.jpgタイトルは旧暦です。この日、新政府軍が土佐藩兵を先頭に滝沢峠を下ってきた。
会津藩主松平容保と、実弟の桑名藩主、定敬がいる滝沢本陣に迫って銃を乱射。現在も弾痕が見られるのはこの時のもの。
容保は滝沢本陣を脱出する。近習と甲賀町口門から郭内に入った。この郭内とは武家屋敷町のことで、郭内と町屋の郭外とは高い土居と外壕で境界され、十六の郭門が設けられていた。
最大の郭門は容保が駆け込んだ甲賀町口門、現在、「麦とろ」に至る細い道に、東西あった石垣の西側だけ残存する。
「この辺りは戊辰で一番の激戦があったトコなんだ。建てようとして掘ると、何か出て来る時がある」(麦とろのオヤジさん)
甲賀町口門2.jpg甲賀町口門3.jpg
容保は二十人の近習と郭内から城内へ向かう途中で、滝沢の急を知って容保を護るべく出動してきた春日和泉という隊長が率いる白虎隊士中一番隊37人と出遭った。
容保は「余に従うを要せず。甲賀町郭門に拠って防戦すべし」
この時、鶴ヶ城の鐘は激しく乱打されている。容保は「この鐘が乱打されたら城内に走れ」という触れが発令されてるのを知っている。家中が城内に入るまでに十六の郭門を一つでも突破されたら、新政府軍は郭門の守備兵の背後にまわられ、郭内での犠牲者が甚大になる。
「一歩も入れるな」
春日和泉以下、甲賀町口門で新政府軍と対峙したのは、37人の白虎士中一番隊他、合計五十人だった。
甲賀町口門1.jpg甲賀町口門裏.jpg
甲賀町口門表示柱.jpg甲賀町口門解説版.jpg
この37人の白虎隊士は士中一番隊です。飯盛山で自刃した十九士は二番隊で、この日の午後に若い命を散らす。
三番隊はない。ないが、士中とは上士のこと。他に寄合(中士か?)、足軽と分けられ、一番隊と二番隊に編成されていた。
(TVドラマで白地の黒い筆で“白虎隊”と描かれた幟を見る時があるが、史実とは違う。)

午前10時、一旦は城内に引き上げた容保は、老人組や、年齢制限で白虎隊から除外された十五歳以下の幼少組といった最後の予備兵力を掻き集めて甲賀町口門に再度来た。
会津藩の主力は越後口、白河口、日光口他、藩境に分散されたので、老人や幼少者をかき集めなきゃならないほどに城内の戦力は落ちていたのである。城外の会津諸隊が帰城して来るのは翌日の二十四日から二十六日にかけてである。
(だがその時は、白虎士中二番隊のうち十九士は、飯盛山の露と消えている。)

新政府軍の銃弾、砲弾が甲賀町口に集中してきた。
士中一番隊は甲賀町の郭門向かいの南、三宅という旧家老宅の土居に登って、ヤーゲル銃という旧式の銃で抵抗したが。。。
火力が違う。。。
新政府軍は最新式の銃(スナイドル、スペンサー)。その貫通力は会津側が立て並べた畳や俵の胸壁を貫通、粉砕する。死傷者が続出した。
士中一番隊士や他の会津藩兵は、旧式のゲベール銃、ミニェー銃、大阪陣と変わらない火縄銃。。。
少年隊士たちは最新式の火器に圧倒されて土居に伏せていると、新政府軍の砲弾が門扉を粉砕、歩兵が門の枡形へ雪崩れ込んできた。
坂井という少年が、侵入を許したことで間近に見える新政府軍の敵兵をヤーゲル銃で2人倒したが、こっちも至近距離なので3人目を狙って撃ったら被弾した。
甲賀町口はあっさり破られ、その郭内一帯に新政府軍が充満した。容保は城内に撤退したが、春日和泉以下、白虎士中一番隊は三宅邸に取り残されてしまったのである。
新政府軍.jpg新政府軍2.jpg
白虎士中一番隊が取り残され、袋のネズミになってしまった場所、もと家老宅、三宅邸とは何処なのか。
今回の旅では事前調査不足で発見できなかったが、戻ってからイロイロ調べたら、何だここか?っていうのを発見した。
福島県会津若松市栄町7番49号の「米熊」という料亭がそうだという。この料亭のHPを見ると、「300年の歴史を持つ会津藩家老三宅邸の庭を受け継ぐ会津の老舗料亭米熊」とあった。
改易となった山形鳥居家旧臣、三宅孫兵衛が保科家に召抱えられ、会津藩の奉行・家老職を務めたそうです。
しかもこの旧三宅邸、現「米熊」は、あの居酒屋「籠太」と接している。「麦とろ」~「籠太」は、「米熊」を挟んですぐ近隣なのです。「激戦があった」というのを裏付け、頷けるかと思います。

話を慶応四年八月二十三日に戻す。
三宅邸に集まった士中一番隊の少年隊士は、春日和泉隊長に命令を促した。
甲賀町口から斬り込むか。そしたら全員戦死であろう。
では自刃するか。
グズグズしているうちに三宅邸にも砲弾が飛んできた。

戸の口原戦線を離れ、その結果、士中二番隊十七士を自刃に追い込んだ誹りを受けている隊長、日向内記はある程度、調べたつもりだが、士中一番隊の隊長、春日和泉とはどんな隊長だったのか。
ここではリーダーとしての決断を要求される場面として着目したら、和泉隊長は、
「この場を脱出し、例え一人になろうと城内に入り、君侯(容保)に仕えるべし」
死地を脱せよという命が、死に傾きかけてた少年隊士を生に呼び戻し、これより先、隊士たちは死のうとは思わなかったようである。
士中一番隊は城へ帰還せんと三宅邸を脱出。途中、土屋という藩医の邸宅で二人の門閥家老、神保内蔵助、田中土佐と出遭い自刃を勧められたが、小隊長格の中村帯刀が「城は未だ陥落せず。君侯の先途を見届ける」と突っぱねている。
甲賀町通り.jpg城へ城へと走る一番隊の少年たちは、真っ直ぐ行くと西郷邸に至る甲賀町通りを避けて途中左折、並行している六日町通りを右折して三の丸を目指した。
だが既に他の口門も破れ、新政府軍が充満したので一旦、郭外に出て、二つの小隊に分かれる。
「生きて城に帰れ」と決断した春日和泉ともう一隊、生田織江という小隊長が十八人を率いて神社に潜伏した。
(生田率いる隊は入場を一旦は断念して東へ移動、後日、入城)
春日和泉率いる残りの少年隊士は三の丸に入城するのだが、その途中、敵前を横断する過程で遭遇戦になり、その時、二人の隊士が戦死している。(※)

春日和泉率い白虎士中一番隊が入城した三の丸はガラガラだった。
一息入れていたら北出丸、甲賀町通りの方角から喊声や銃声が聞こえて来る。和泉以下、一番隊の少年たちはその方面へ急行した。そうなると必然的にさっきまで市街で戦っていたと同じ敵とやり合うことになる。

北出丸は西郷頼母邸の真ん前で、現在の鶴ヶ城にくるまで入る際に駐車場に誘導される途中で必ず通ります。この時、北出丸前の西郷邸では一族が殉難していて、他にも武家屋敷町ではわかっているだけでも六十九家、百七十九人の老幼婦女子が自刃している。
この辺り一帯を制圧したと思った土佐藩兵は、西郷邸を背に、北出丸を前に、城門(追手門)を探しながら散開した。
新政府軍が散開した辺り2.jpg新政府軍が散開した辺り3.jpg
土佐藩兵は攻め込む城門を探した。だが、現地を訪ればわかるが、北出丸の門、追手門は、新政府軍が散開した正面からは見えない位置にあるのだ。
新政府軍が散開した辺り1.jpg城内簡略案内図.jpg
門の説明.jpg門は曲がったところの奥.jpg
戸惑っている新政府軍は、正面の北出丸の城壁から一斉射撃を喰らった。
北出丸の土居に登ってみた。そこから堀の対岸に散開いた新政府軍は手が届く距離に見えただろう。相手の表情も見えるかも知れない。
北出丸.jpg北出丸の土居1.jpg
北出丸の土居2.jpg狙える距離左.jpg
狙える距離中央.jpg狙える距離右.jpg
春日和泉率いる白虎隊士中一番隊は、正面の土佐藩兵に反撃中の北出丸守備兵に合流した。そこには戦闘員と城下の非戦闘員たちが集結していたが、誰が北出丸の反撃指揮を執っていたのか。
指揮をしているのは髪を切って男装した女性。7連発のスペンサー銃を構えながら周囲を叱咤激励して応射しているその女性が、会津藩砲術師範の娘、山本八重!!
土佐藩兵の指揮官が次々と撃たれる。大総督府軍監小笠原唯八、大隊長祖父江可成、三番隊長小笠原謙吉他、後はいちいち名前を挙げるのも煩わしいが、九番隊長、十番隊長、十二番隊長が死傷、斃れた。
八重の7連発スペンサー銃は、兄貴の覚馬が長崎で八重の為に購入したものだという。凄いプレゼントではある。
このスペンサー銃は元込め式で装填時間が短く、スプリングが効いて連射が可能だった。開戦時は弾は100発あった。そのウチの何発かが北出丸で炸裂している。
死傷者続出で後退した土佐藩兵に代わって薩摩藩兵の銃砲隊がやって来た。中に大物がいる。薩摩藩二番砲隊長の大山巌(西郷の従弟)。
大山巌は砲撃で北出丸の城壁を破壊しようとしたのだが、八重が撃ったのか、合流した白虎士中一番隊の誰かが撃ったのか、大山本人も貫通銃創を受けて後方に運ばれた。
だが薩摩兵が運んで来た砲身はこっちを向いている。八重は最初の夫、川崎尚之助他と力を合わせて、北出丸の石垣を一つ、堀に蹴落とし、その穴に旧式の大砲、四ポンド砲を差し入れ、正面の薩摩藩兵にブッ放した。至近距離なのでタマラず新政府軍は一旦は郭外へ退却した。
士中一番隊は三の丸に戻ってそこに攻め寄せた長州藩兵も撃退した。

会津藩は一日で城下まで侵入を許してしまい、北出丸と三の丸の水際で一旦は撃退した。
三の丸は1万坪以上ある広大な郭で中に東照宮他、寺院や寺も囲っており、日新館ともども焼かれ、城下が炎上するのと遠目に併せ見て、白虎隊士中二番隊19人が飯盛山で自刃したのは午後2時頃。。。
飯盛山の士中二番隊.jpg飯盛山から炎上する鶴ヶ城.jpg
だが、ちょっと振り返って欲しいのですが、この日8月23日(新暦では10月8日)、交戦しながら城下を走った白虎武士中一番隊を追って来たが、この隊からは西村と佐久間という少年が戦死している。(※)
二番隊十九士自刃の影に隠れているが、士中で最初に戦死者を出したのはこの一番隊なのです。
ついでに言えば、白虎隊最初の戦死者は足軽隊から出ていて、白河口で戦死した森という少年がそう。
越後戦線では白虎寄合隊から4人の戦死者が出ている。佐々木、星、百瀬、小松。。。
この日の市街戦でも、足軽隊の古川という十四歳の隊士が自刃している。
上下身分の差で致し方なく、上士たる士中より、寄合、足軽の少年たちは日の光を浴びていないように思うのだ。
スーちゃんの八重ー1.jpg鶴ヶ城の雄姿.jpg
この堀の何処かに.jpg翌24日から、国境守備兵や城外部隊がこぞって帰城する。籠城戦は9月21日まで続く。
娘子軍の中野竹子が涙橋で戦死するのは25日。
八重と夫、尚之助が落とした石垣の石は、今も堀の何処かにあるという。
コメント(2)