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船山温泉99の謎 99 船山温泉の将来はどうなるのか。 [船山温泉]

旅館経営道場http://ryokankeiei.blog114.fc2.com/blog-entry-45.htmlにこんな記事があった。
「当面の目標は稼働率を70%まで向上させる事です」
この記事は結構前の記事でね、当時から大分時間が経過しちゃってますが。
だが稼働70%ってキツイと思う。
今の室数12室で稼働率が70%、土日祭日はともかく平日はそこまでいかない日もある。冬場の1月2月なんか特にそう。
晴れた春の船山館.jpg新緑と215号室.jpg
T館長は先代から受け継いで大改装して、今のスタイルを確立させ、ハード面でやるべきことはやっちゃったのかもしれないが、船山温泉の今後、将来のことを考えてみた。
旅館経営道場には続いてこうあった。
「働率70%を3年連続実現する事ができれば、多店舗展開や別業界への進出を考えたいとの事でした」
飲食店でも開くのかな。
「それを実現するためには自分の右腕となるような人材の育成をしなければいけないと・・・」
宿の広告的な顔ならスタッフ全員が努力すればいい。だが経営的な片腕となると、女性はいつかは寿退社して家庭に入るので、24時間か、それに近い状態で船山館にずっといるわけにはいかない。
では誰か。候補者はいるのだろうか。
私は将来はあの女性しかいないと思っています。でもその女性とはこのUpの段階で話したことがない。今回は伏せます。
裏方にいる男性・・・なのかも知れない。T館長の片腕以上になって、船山を取り仕切るリーダーは誰だろうか。
朝陽の船山館1.jpg朝陽の船山館2.jpg
朝陽の船山館3.jpg朝陽の船山館4.jpg
私はT館長と、「もし、船山が旅館業を廃業したら」・・・という仮の・・・あくまで仮にですよ・・・について話をしたことがあります。
一つは彼自身が宿を継承しなかった場合、今はどうなってたかという想定。
形あるものはいつかはなくなる。芳泉荘のTさんや、橋倉鉱泉さんが廃業したのも一つの決断、やり方なので否定はできない。
T館長の口から発せられたのは「おそらく先代で終わっていたと思います」というものであった。

では今後はどうなるのか?
意外な答えが出てきた。
「○○○○」ってのもありですね。
私も「ああ、それもいいかもね」って納得した。
部屋数がそこそこあって、温泉もあって、厨房もあるんだからそれは可能なんです。ただ、全く異業種になるので、それが何なのかは伏せます。
朝の船山館1.jpg朝の船山館2.jpg
前述の旅館経営道場を見ると、T館長には多少のヤマっ気があるようで、飲食店だか何だかの別事業云々ってあったので気になった。
飲食店か。いいかも知れない。
ジビエ料理専門店?
甲州ワインビーフ直営店?
イワナ懐石レストラン?
猪ほうとう鍋とか。
ヤマっ気は失礼かな。この別事業云々は今すぐ具体的にどうこうではなく、現状維持に満足しないということにしておきましょう。気持ちの上で停滞しないということで。
対岸から朝の船山館1.jpg船山館南側から.jpg
その他に、T館長には学生時代から信州への憧憬が今でもあって、モデル旅館になった二つの宿(○のや 岩○○)もそうだが、T館長はスキーがやりたいらしいのだ。
休んで行けばいいって?
だが船山にいると無休に近く、宿を休んだって修理、補修の業者が来たりする。信州に何かを出店したら1日じゅうベッタリとはいかないけど、仕事の合間にスキー三昧は多少は叶うだろう。
そんなこんなで片腕以上の人材育成が急がれるところであるが、T館長が船山を離れる日はいつかやって来るような気がするのです。
T館長は心配顔の私にこう言いました。
「それも考えてはいますが今すぐにではないです。いますよ。大丈夫です。いますからここ(船山)に。。。」
船山温泉食事処、“なら”の取材はこうして終わったのです。

その夜、T館長との雑談は、プライベートなことも含めて22時に及んだ。
その翌年にあの震災があり、台風の増水や地滑りがあり、セミバイキングが導入され、スタッフの入れ替わりもあって今日に至っている。
船山館2011.3.19-3.jpg船山館2011.3.19-4.jpg
私は船山温泉は、新スタッフの理念徹底以外、ある程度は完成されたと思っているが、現状に甘んじることなく、老舗に甘んじることなく、終わりの無い旅は今後も続いていくのだろう。
私がこの宿を知った師匠、番頭さん(ikitai.net)に、「宿を知り過ぎると寛げなくなりますよ」って言われたけど、もうここまで来ちゃったし。
見慣れた船山館1.jpg見慣れた船山館2.jpg
私はまだまだ現役ですが、生涯最後の旅館を二つ選べるとしたら、一つは船山温泉のデカい正面玄関の扉を開けるでしょう。
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船山温泉99の謎 98 T館長のジレンマと、将来の値上げはあるのか? [船山温泉]

晩秋早朝の船山館.jpg雨上がりの朝の船山館1.jpg
豪雨の船山館.jpg日が暮れて豪雨の船山館.jpg
2010年11月某日、個室料亭“なら”で取材したメモもようやく終盤に向かいます。今回のタイトル、T館長が抱えてるジレンマって何だろうか。
こんな事を聞いたことがある。
「何千メートルもボーリングすれば可能かも知れないですが・・・」
何のことかおわかりですね。船山温泉は正直言いまして温泉の魅力は弱い。湯に拘るコアな温泉フリークには物足りない部分もあるだろう。
だから脱旅館を掲げている。顧客のニーズに極力対応しようとする。湯以外のもので感動を提供しようとしている。だが・・・
「やはり源泉かけながしの宿って強いんですよ・・・」
なんだそうです。
「結局最後には源泉かけ流しの宿に帰ってしまうんです・・・」
これって別に誰か特定の方のことを言ってるワケじゃありませんので誤解のないようにお願いします。(^^;;;
「だから会津の蕎麦宿は強いんです」みたいな話も出たように思う。

日本は火山国だから、莫大な費用をかけて深くボーリングすれば、船山だって源泉かけ流しは可能かも知れないが、そうなったらどうなるか。
館内、敷地内、硫黄臭がプンプンするだろう。(それは私的には困るけど)
私的な感情は置いといて、その工事資金は宿泊客に跳ね返ってくるに決まっている。

「後はもう、部屋に露天をつけるか、離れを作るか・・・」
そういうのが可能なのだろうか。この辺りの取材メモを見たら、“ウッドデッキ”って書いてあった。何の意味か自分でも忘れちゃったが、ウッドデッキテラスの離れを作るか、2階各部屋の外に、伊豆の「さらの木」みたいにウッドデッキテラスを伸ばしてそこに露天を置くかみたいな仮定の話じゃなかったかと。
あくまで仮の話ですよ。

増収を考えてみようか。
値上げじゃないですよ。現在12室。それ以上の増床、増室は可能だろうか。
土地はある。裏手の広場である。
だが動線が長くなり、スタッフを増やさざるを得ず、結局は今の宿泊料金を維持できなくなるかも。
難しいですね。

外観や器の部分は現状維持にするにせよ、私は貸切湯、“二人静”の浴槽の改装を勧めています。丸い湯船の淵がギザギザになっていて座るとケツに喰い込むんだな。
ここの改装となると何日か休業しないとならないそうです。それと工事費が案外バカにならない。水回りの工事って高いものなんです。宿泊料金に跳ね上がるかもしれない。
(平成24年7月28日時点でこの件は解決済みです。詳細は後日。。。)
朝の船山館2.jpg対岸から朝の船山館1.jpg
朝の船山館1.jpgはて?いつの船山館だったか・・・.jpg
今回はアタマの痛いネタばかりだが、加えて消費税10%の問題がある。
これは今後の重要課題で避けては通れない。だが5%→10%ってバカにならないですよ。大打撃です。宿泊料金は今のままを維持して欲しいが、消費税が10%上がった分をどうするかでアタマが痛いT館長ではある。5%が10%になって、船山の本質とは関係ない部分で客数や収入が減る懸念もあるからです。人間って消費を抑えようとしたら、そういう娯楽や趣味、嗜好の部分を削減するしかないからね。
それ以外に原油価格の変動も痛いし、電気料金の値上げも影響は大きい。(船山は東電ではなく確か中部電力)
それでもT館長は、今の価格を維持したいそうです。それと、年間365日料金均一を崩すつもりもサラサラないようです。それは全く意味がないとか。
オレンジの灯の船山館1.jpgオレンジの灯の船山館2.jpg
オレンジの灯の船山館3.jpgオレンジの灯の船山館4.jpg今ここで、値上げは絶対ないとは言えないです。値上がってもそれに満足する、納得するものを強化、提供するしかないかも知れない。
それには、船山はお湯は強いとはいえないと思うので、脱旅館を掲げてお湯以外の部分を強くするしかないのである。では船山温泉の将来はどうなっていくのだろうか。
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船山温泉99の謎 97.中部横断自動車道はいつ開通するのか? [船山温泉]

2010.01時の説明版.jpg渓流部2Km、平坦部3Km、計5Kmの富士川ミニ支流のクセに、過去に数回大暴れした前科があるせいで一級河川の船山川は、船山温泉を出てから下流に向かって平坦部3km間に7つの橋がある。
富士見橋
月見橋
向田橋
猿田橋
新船山川橋(国道52号)
御崎橋
船山川橋(送迎カーが走る)

近年、8つめの橋が架けられようとしている。
この橋の完成により将来的には船山温泉へ行くルートが短縮されます。
架橋現場は52号線で船山川橋北詰交差点を曲がって船山温泉に行く際、曲がってすぐの区画です。今は工事中なので、船山温泉に向かうにはΩを右に倒した形で迂回しなくちゃならない。その辺りにデカい橋脚、橋梁が鎮座しています。
この橋は地元住民が対岸から対岸までヒョイと渡る生活用の橋ではないです。
中部横断自動車道です。
中部横断自動車道予定図.jpg中部横断自動車道の起点は静岡市新清水JCTで第二東名高速と接続予定、終点は上信越自動車道の佐久JCT。全長は136km。
現在、中央高速双葉JCT-増穂ICが暫定開通している。
増穂から船山温泉までは、52号線(身延街道)で1時間かかる。

南部町役場から取り寄せた資料によると、未開通区間の富沢IC~南部IC~六号IC(JR身延線甲斐岩間駅付近)28.3kmのうち、3/4に当たる21kmは暫定2車線対面通行だという。
同区間トンネルは19本と多い。橋梁も40箇所。
無料化社会実験の対象区間に指定され、新直轄事業方式ということもあって完成後にはもしかしたら無料開放される可能性もある。

開通予定年を年度順追ってみた。
部分部分バラバラに暫時開通するようです。
まず信州方面から。
佐久JCT~佐久南ICが2010年開通予定だったが間に合わなかったようですね。
佐久南IC~八千穂ICが2015年開通予定だが、そこから中央道長坂ICまでは未だ計画段階らしい。
前述の既に開通している中央道双葉JCT~増穂ICから更に南下して、六郷IC(市川大門町)までが2018年に開通予定。
次に東海方面から。
新東名の新清水JCT~富沢ICまでは2017年開通予定で、船山近郊の富沢IC~南部ICと、南部IC~身延山IIC~身延IC~六郷IC~は2016年完成予定です。
間に合うだろうか。
既に船山川を渡る橋は架橋されつつある。船山川橋だけ完成しても渡れないし意味ないが、全通すれば信州方面、東海方面から来る方々はかなり楽になるは必定。
ここまでできている.jpg船山川の畔、工事現場に立ってみると、橋梁そのものは相当な厚さ、巨大で威圧感の塊。あっという間に船山川を渡ってしまうであろう。
長閑なこの辺りにデンとゴツい橋脚、橋桁がそびえ建つのは無粋で景観が損なわれる気もするが、雨量規制区間が6箇所もある52号線の通過車両の転換、生活道路への機能回復、甲府市内への救急医療施設への搬送1時間実現etcの理由が大きい。
身延街道は1時間に数10ミリの豪雨だと規制されて走れなくなる。前回の訪問時、T館長は階段からスッ転んで足を骨折、肩もヤマいったが、大雨になって通行止めになったら救急病院に搬送されないのです。大変。
船山架橋工事現場1.jpg中野方面の橋台.jpg
好きにしなよ.jpgでは南部ICは何処に出来るのだろうか。
以前、南部町役場企画課のOさんという方から資料が届き、「中部横断自動車道の南部ICは南部町中野というところに出来る予定です」とありました。
南部町中野とは何処かというと、船山温泉から52号線を北上、南部高架橋を渡り、「南部路」という飲食店があって(船山で連泊すると事前予約制で昼に仕出弁当が出前される店)、この辺りが既に中野地区で、その先に突然、
「君は太平洋を見たか」
「僕は日本海を見たい」
の看板が建っている。

私は「見りゃぁいいじゃないか」とひとごとのように思う。
まるで駿河今川家と越後長尾家の願望を甲斐武田家が代弁しているようなコピーではないの。要はこの公共事業の必要性を訴えているワケですよ。民主党政権になった時も凍結にはならなかったようだし。
この”太平洋も日本海も見たい”の看板の辺りにダダッ広い工事現場があって、そこが南部IC予定地です。船山川橋北詰交差点までほんの2~3分もかからないと思う。
併設してSAかPAが出来るのかどうかはわからない。
南部IC工事現場1.jpg南部IC工事現場1ズーム.jpg
南部IC工事現場2.jpg南部IC工事現場2ズーム.jpg
建設ルート.jpgこの工事現場から先、中野地区を過ぎたらもう身延町だが、
ちょっと動線がオカシイ??
中央道で双葉JCT~増穂ICを快走したら、甲斐盆地を流れる笛吹川と釜無川が進行方向左手で合流して富士川になる。
増穂ICから先は52号線(身延街道)を快走すると左手に富士川が流れているのだが、南部町の工事予定図を見ると、中部横断自動車道の増穂ICから先の工事予定区間は、左手に流れる富士川を渡って対岸の山々を通るルートになっている。



建設ルートの怪?.jpg身延山IC記事.jpg
その後、富士川を右手に見ながら走り、甲斐大島を過ぎて、もう一度富士川を渡って船山側にやって来て南部ICにつながります。
何故わざわざ二回も富士川を渡るのだろうか。

以下は邪推。
用地買収や工事技術、地盤の問題もあるだろうが、富士川を渡らないとそのまま身延山のドテっ腹に行き当たる。そこにトンネルなんぞを掘ったらどーなる?
身延山久遠時一帯の霊域への冒涜と見られかねないからではないか。だから対岸に迂回したんだと思う。

ところがまだ疑問がある。
身延ICは“身延”と冠を戴いているが、実際はJR身延線の下部温泉駅と波高島駅の間に予定されている。厳密には身延ではないのです。
それでいて、下部温泉付近に身延ICとしたのはどういう理由なのか。
そしたら最近の新聞記事に、身延山の対岸に、身延ICとは別に身延山ICが認可された。身延ICと南部IC間が13kmとかなり離れているので、中間地点に設置するのはわかる。でも随分と霊峰身延山に気を遣っている感もある。

まぁ穿った見方はこれくらいにして、実は2012年4月1日から、山梨交通と京王バスが強力して、新宿⇔身延山の中央高速バス「身延-新宿」線が1日6往復に増便された。
東京~身延山連絡バス.jpg
T館長が言うには、これによって船山温泉の送迎バスルートも対応を検討しているとのこと。もう送迎運行に入ったかも知れない。

富沢IC予定地にはとある城塞が眠っている。
富沢ICの建設予定地、ルート図面上、ICのマーキングの横に、「眞篠」ってあるのが見えるのだが、この辺りにはマニアには有名な「眞篠城」という城塞がある。5本か6本の畝の竪堀があるので有名なのです。
私は数年前に訪城しようとしたら地元のオッさんに、「ヤマビルが出るから今は止めときなさい」と言われたので下山した。
車中でジャン妻と、「ヤマビルがぁ出ましたぁ!!」引退した船山スタッフCさんの口真似をしながら引き上げた。
それ以降は訪城していません。この城塞の詳細はこういった「土の城」のHPで幾つか取り上げているのでそちらを見て下さい。
この辺りに富沢ICが出来るのは間違いなさそうです。もしかしたら山ごとなくなったりしないだろうか。中部横断自動車道は将来、船山に行くのに相当便利になるのは間違いないし喜ばしいが、土木工事は大かれ小さかれ破壊を伴うので消えて行く自然のものもあるかも知れない。この掲示板を「土の城」のHP関係者が見たら是非警鐘を鳴らしてみて下さい。
眞篠の城山.jpg眞篠の大手.jpg
私はこれまで、東名富士川SAで降りて52号線(身延街道)を北上してたので、多分往路は走行しないだろうなと思ってたら、先日、新東名を利用して、ハイブリッドカープリウスを罵りながら新清水で降りて52号線を北上した。近い将来は52号線に降りないで、南部ICまで北上できるようになります。誘致誘致。。。
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 [居酒屋]

満席の尺八居酒屋.jpg尺八居酒屋が満席だった。
着物でキメた女性客他、何だかシブそうな客筋で満席でしたね。まぁ繁盛して何より。
(何があったのか、今週はいっつも満席だった)
そこで向かったのが、最近見つけて今日で2回目の店です。
そこはガラガラだった。


七ー1.jpg七ー2.jpg
過去記事で写真だけ載せたことがある。http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-04-22-4
気にはなってたんだけど、最初は入り難かった。
何屋かわかんなかったんです。だが入ってみると敷居の高いところは全くなくて拍子抜けした。外から見てたらどうも女性の一人飲みも多いので、安心できる店なんだろうなとは思っていた。
この地で自刃した卿の廟がある寺への参道入り口近くにある。そこも一通の裏通りなので派手さが皆無。地味な店構えが余計に高級そうに見える。
昼間の七.jpg2階もある.jpg
酒悦とは居酒屋とかそういう意の類だと思う。
店名は単に“七”、ナナです。
あまり意味もなさそうだなと思って聞いてみたら、「ラッキーセブンのことです」という全く深く考えてないノリだった。
だからだろうか。カウンターは7席しかない。2階は20人くらいは可能なようです。
店内1.jpg店内3.jpg
お品書き.jpg処理済~店主?-1.jpg
店内も暗い。
撮影が難しいくらいに暗い。カウンターが黒く撮影には不向き。古民家か倉を改装したようにも見える店内は黒と白が基調です。
それとお品書きが悪筆で美味しそうに想像できないんだな。この暗さはおそらくマスターの性格ではないだろうか。マスターは30台半ば。昔はネクラだったけど今はネアカに目覚めたといった感じの好漢です。
衣装は黒いオリジナルのポロシャツです。
ガッチリした体型で上腕部はパンパンに張っているけど。。。昔はマッチョだったのが、最近は運動不足でやや緩くなったって感じ。
Talkも物腰も柔らかい。えっ?そりゃ私だからだって?そうかもしれないが、同年代の常連さんには友人感覚で接している。
客層は若い男性女性が多い店。

私らが転勤、引っ越して来たのはすぐに見抜かれ、「くるまはお持ちですか?」みたいなTalkから始まった。
ロクすっぽ路線バスが走ってないこの地はるまは不可欠で、くるまを運転できない若者なんていないといっていいのだが、どうもマスターは今は諸事情でくるまをお持ちでないようです。そこは割愛します。

私がここに来て、くるまのことでおやっ?と思ったことがあるので、マスターに話してみた。
「ウチの新人で、見るからにトロくて、仕事ができなくて覚えが悪くて、要領が悪そうなドンくさい女の子でも、何故かくるまの運転だけはできるんだよね」
「(笑)必ずといっていいほど高校卒業前に免許取るんですよ。でないと就職できないんで」(マスター)
「そうなんだ。一家五人で全員くるま持ってるったヤツがいたぜ。何処に5台も停めるんだ?って聞いたら“庭です”って。庭かよ!!庭なんて俺ん家にねぇよ!!」
「(笑)土地だけはあるんでしょうね。安い土地が・・」(マスター)
「それとこの地って、代行がハバ利かしてるでしょ。タクシーより多い」
「ハイ。代行なしでは飲んで帰れないです」(マスター)
実際、郊外の飲み屋なんか、店の真ん前に駐車場があったりする。
「会社が主催した宴会なんかでも、最初の乾杯ん時に20台の女の子が、今日は代行代金は会社から出していただけるんですか?それによって飲むものが決まってくるんですけどとかヌカすんだぜ」
「(笑)」
「ガキん子がくるまで居酒屋に来て、お会計時に“代行お願いしま~す”って。おめぇら幾つだよって」
「(笑)」
「代行っていう文化が日常的だってのを、を東京の本社の経理に説明するのが大変でした」(ジャン妻)
「(笑)」
マスターがお若いせいか、こっちが饒舌になったりする。
では料理写真です。掲載写真は2回分です。
イワシフライ.jpg春雨サラダ.jpg
クリームチーズ酒盗和え.jpgイカ.jpg
盛り合わせって自分の好きなネタが入ってない時がある。お品書きをよ~く目を凝らして見たら北寄貝があんじゃんかよ。暗い店ん中、地味なお品書きなので気が付かなかった。
刺盛.jpg何とか豚とニラの卵とじ.jpg
写真には撮らなかったけど、ジャン妻は冷やしヤッコ(冷たい味噌汁に入れた豆腐)と、もずく酢をオーダーしてた。
もっとアブラっ濃いものをオーダーすりゃぁいいのに。
「この人、酢のもの食べないんですよ」(ジャン妻)
「男の人って食べない人多いですよ」(マスター)
「食べなさいよ」(ジャン妻)
酸っぱかった。
「体にいいのに」(ジャン妻)
「だって俺、北寄貝喰った後でトンカツ喰ってんだぜ。酢のものなんて体にいいもの喰わねぇよ」(私)
ロースカツ1.jpgロースカツ2.jpg
北寄貝.jpg梅茶漬け.jpg
ビートルズ.jpg店内のBGMはビートルズ。カウンター右端にこんなのがあった。

料理は和食中心で、かなり美味しいのだ。刺身、焼き物、揚げもの、煮物と種類は多くないが、日本酒に合うものが揃っている。
マスターの包丁さばきは素早い。
火を通すものは奥で調理。スピードは速い方だと思う。
食器もなかなかいい。日本酒は結人(群馬)、磯自慢(静岡)他。まだまだよ~く目を凝らしてみたら「国権」があった。
だが宮城ってなってた。オカシイな。「国権」は会津田島の筈だが。そこは突っ込まなかった。
卵かけご飯1.jpg卵かけご飯2.jpg
店内2.jpg店内4.jpg
この店の暗さと、ほのかに醸し出す明るさは、マスターの性格ではないか。
今は明るいけど、根は暗いんだろうな~なんて思ったりする。それが店の内装、雰囲気に現れてるような気がするのです。あっ、私の妄想ですよ。
料理が秀逸だが美味しそうに写真に撮れないくらい暗い店内ですが、実はちょっとだけ明るく???高級そうな店だが実はそうではなく???微妙なコントラストが魅力の地味~な店です。
躊躇せず思い切って入ってみて下さい。
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魚専門の小料理屋 [居酒屋]

処理済~大沢親分の店.jpg暑いですね。猛暑、酷暑といっていい。
聞きしに勝るこの地の暑さです。
夏のタイミングで思い返してみたら、4月からこっちに来てもうすぐ4カ月も終わりに近づいてきた。
その間、おでんの○兵衛に4回。。。(さすがに暑いので、最近、おでんはちょっと敬遠気味)
尺八オヤジのシブい店に5回。。。(最近、混んでいる)
陶器と天然ママの店が昨夜で10回、俄然TOPになってるんだけど、他に4回行った店がCafe。
3回行った店が写真のこの店。


この地にしては珍しく、肉が全く置いてない店です。魚のみ。
過去に一度だけ掲載しました。居酒屋というか小料理屋だと思います。
(過去記事)http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-06-06-1
この記事で、私は”いい意味でアクが弱かった”と書いたのだが。。。

スキンヘッドの主人の風貌は、故大沢親分の若い頃みたいでキリッとしています。包丁さばきも早く迅速で、料理に渋滞がない。(小さい店です)
処理済~大沢親分1.jpg処理済~大沢親分4.jpg
お通し~何かの海苔.jpg刺盛.jpg
主人の口調は真面目で丁寧で、会話もネタも真面目なので、これまではちょっと記事になり難かった。今日、3回目の入店です。
「いらっしゃいませ。いつもお世話になります」
私は長年、飲み歩いていて、店で最初にこういう声をかけられたのは初めてです。
金目鯛の刺身がメチャ美味です。
「金目のお刺身って、脂がのってるのとのってないのとあって、ウチは自信があります」
金目1.jpg金目2.jpg
カツオタタキはオリジナルのタレをかけます。
「ニンニクが載ってても大丈夫ですか?」
カツオタタキオリジナル.jpgカツオ.jpg
西京焼もサイコー。
「西京焼はアブラボウズが脂がのっております」
アブラボウズとはギンダラのことです。
焼魚1(西京焼).jpg焼魚2(西京焼).jpg
カニクリームコロッケはさすがに静岡「紀尾井」に軍配が上がるけど美味しい。
カニコロ.jpg刺盛.jpg
私らや女性の一人客に対してはいつも丁寧口調、“です”、“ます”、で接してくれるんですが。。。
常連さん、ホントに昔ながらの常連さんやお友だち相手だと、途端に大沢親分と化してべらんめぇ調、毒舌になる。
「オウなんだ、まだ生きてたのかよ」
「最近、見ねぇから病気なのか死んじまったのかと思ってたよ。いつ通夜か葬式かってな」
「おススメぇ?今日は市場行ったけどロクなもん入ってねぇよ。腐っちゃいねぇけどよ」
「これぐらいの温度のお燗がいいって?でももう二度と同じような温度にできねぇよ」
(羨ましい。。。)
私はこっちに来てから、東京で撒いていた自分の地言葉を出すのを禁止されています。こっちの社員に対しては、“です”、“と”ます“口調の標準語を喋っています。
(羨ましい。。。)
先日、都内神奈川に戻って会合に出た時、ある女性社員が「そうなんですか?○○さん(私のこと)は絶対に地を出した方がいいです。その方が関係築けますよ」
そうやって認めてくれてる人もいるんだぞってジャン妻に言っても、自分の都合のいい少数派の意見をこれ幸いと採用するんじゃないって却下。
(この店の主人が羨ましい。。。)
それにしても凄い口調でしたね。それでいて合間に俺らの注文が入ると途端に丁寧口調になるんです。
「茶そばですね。すぐお湯沸かします」
茶そば1.jpg茶そば2.jpg
焼きおにぎり.jpg処理済~大沢親分5.jpg
海無し県とは思えぬ海魚の美味さのこの店はBlogとかで全く紹介されていません。なので前回に引き続き店名は伏せますが、この店にご縁がありましたら、是非、金目の刺身と、焼き魚をどーぞ。
「もうすぐサンマが入ります。サンマのお刺身で出しますのでお出でください」
明るく丁寧に丁重に見送られました。その後でべらんめぇ口調に戻ったでしょう。
(羨ましい。。。)
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Cafe [居酒屋]

夕方開店前のCafe.jpgある日の夕方のCafeです。
もうすぐお祭りなので、入口に提灯が一つだけあります。
いつもは若い男女でそこそこ賑わってるので私らは遠慮するのですが、この日はガラガラだったので入りました。
そしたらこの店が2周年を迎えたのを知った。


夜はこんな感じです↓
夜の方が映えますね。



処理済~カフェ1.jpg処理済~カフェ2.jpg
客層は若く、若手の演劇や音楽、デザイナーなど、クリエイティブなお客さんが多い感じ。
店内にはそれらのポスターが貼ってあったり、チケットやチラシが置いてあったりする。いずれも若向きのものが多いので、正直私みたいな者の感性には触れないけど、芸術の街の一翼を担っている。
私はキンキンに冷えた生ビールをガバガバ飲むけど、大抵の常連さんは、水割りだったり、ロックだったり、コーヒーだったり、ジュースだったり。
店内1.jpg店内2.jpg
外国に一度も行った事がない私は、Caféというのをよく知らない。
「飲み屋でコーヒーかよ」って小馬鹿にしていた。喫茶店へ行けばいいじゃんかって思ってのだが、これは大きな間違いだった。
洋画なんかで見るフランスやイタリアを舞台にしたCaféは本来コーヒーの意味らしいですね。もしくはコーヒーなどを飲ませる飲食店のことか。
新聞や雑誌をそこで読みながら談笑し、情報交換、密談ができる。カウンター、テーブル席、テラス、歩道にテーブルや椅子が置かれていたりもする。
ではコーヒーだけかというとそうではなく、「食事中にビールを飲むのはアメリカ人と日本人だけ」と揶揄していたフランス人も、Cafeでクロックムッシュ、クロックマダムを片手にビールを流し込むようになったという。
店内3.jpg処理済~店内4.jpg
間違ってたら恐縮ですが、Caféの発祥はロンドンの可能性が高い。ただロンドンではPUBの方が多くなった。
イタリア、スペインはCaféというよりBar(バール)というのだが、私がいる街はそのBar(バール)をモチーフ、イメージしているようです。
飲み物だけではなく食事もしっかりしたのをRistorante&Bar~リストランテ・バール。
飲み物、コーヒー中心のCafé&Bar~カフェ・バール。
アイスクリームがメインのGelateriaBar~ジェラテリア・バール。(私はまず行かないだろう)
Bar(バール)では、バスや路面電車のチケットやタバコ、その他チケット(映画や演劇、演奏会のチケット?)も置いているとか。
(私が実際に外国で見たわけではないですよ。あくまでこの街とこの店に限る俄か知識。
この街では街の名前○○バルっていうイベントがあるのだ。なのでこの店はRistorante&Bar~リストランテ・バールの系統かと思います。

昼も営業するBar、いわゆるCafeBar(カフェバー)というのは、CafeとBarの境目がなくなっちゃった感のある現代では死後に近いかもしれないが、ではCafeとレストランはどう違うのか。
私の主観だが、Cafeは喫茶と軽食で、レストランは食事ではないか。
料理人がいなければCafe?料理人が常にいればレストラン?
ドリンクが主か、食事が主か、の違いかも知れない。
このまま続けていくと、ではCafeとスナックの違いは?Cafeと居酒屋の違いは?CafeとPUBの違いは?ってどんどんエスカレートして際限なくなりそうだからここで止めますが、このCafeでもそこそこ以上のフードはあります。
ポップコーン製造機.jpgその前に。
カウンターにポップコーンを炙るマシンがあった。
「2周年記念に入れてみたんです」
普段、ポップコーンなんぞを喰おうもんなら「そんな塩分脂分が多いものを食べるんじゃないっ」って眦が吊り上るジャン妻だが、この日は喰ってOKとのこと。
見てると、小さいコーンを入れて、そんなに油を入れるの?ってくらいに大さじの油を入れてスイッチ、オン。
そしたら。。。
ブレーカーが落ちた。。。[わーい(嬉しい顔)]


ポップコーン1.jpgポップコーン2.jpg
この店のフードについて最近わかったんだけど、ある意味、特筆ものです。
かなり美味いんだけど、尺八の居酒屋のオヤジさんイワク、「ワタシは体ぁ壊す前はあの店にジンを飲みにいって、カレーを喰ってたんですが、あの店のカレーは美味いけど、冷凍食品か何かを使ってんじゃないかなぁ」と言っていた。
オヤジさんの毒舌、悪口だと思ったのだが、正確に言うと、冷凍は冷凍なんだけど、女性オーナー手作りの冷凍のようです。レトルトではないです。
秘密の冷凍庫.jpg女性オーナーの後ろには四角い冷凍庫がある。
その蓋をあけると、四角い紙箱(牛乳パックか?)が4×4くらいに升目に区切られてあり、そこに食い物が突っ込んしまってあるのが見える。
そこからポテト、グラタンの塊、カレーの塊、ドリアの塊といった冷凍の固形物を取り出すんだけど、レンジで解凍するだけでなく、その後もガス台で混ぜ混ぜ混ぜ混ぜ・・・
冷凍食品に見えないようひと手間加えて供される。




今日もカレードリア.jpgカレードリア拡大.jpg
ポテトなんかは油に入れたとたんに、パチパチパチって破裂するような音がして、油が跳ねるから冷凍もんなんだなってわかるけど、これは仕方がない。ところがカレー、ドリア、グラタンは出来たて作り立てに見える。
冷凍に見えない。
聞くのもヤボなので聞いてないですが、味もすごくいいのです。
ポテトフライ.jpgソーセージ.jpg
グラタン3.jpg小さい店、Cafeなので、そんなにフードが出る店でもないし種類は多くない。
食事は他で済ませてここで軽く一杯か二杯ってのがBESTだとは思いますが、テーブル席が10席ほどあるので、10人くらいの会合も可能は可能らしい。
大人数の時はあらかじめ予約がベスト。
多分、私らが一番、多くフードを喰う客だとは思います。





Cafe1.jpg処理済~Cafe2.jpg
生をお替りする度、女性オーナーは「ありがとうございますぅ」「ありがとうございますぅ」が繰り返される。
その口調、声音は、注文してくださってありがとうございますぅ本当にありがとうございますぅって聞こえるのです。
「生もう一杯」なんて野暮な言い方してません。声に出してないです。空いたビアグラスを黙って指して、もう一杯って人差し指でサインを送るんです。
この繰り返しで4杯飲んだ。他にお客さんいなかったし。
「よっく飲むわねぇ」(ジャン妻)
プレゼント?.jpg私は夜、Cafeでコーヒーやらジュースやら飲む輩をバカにしてたフシがあったのだがそれは大きな間違いだった。PUBやBARと間違えてたともいえる。
飲めなくてもこういう雰囲気に浸りたい人もいるしね。

←2周年記念にいただいたグラスです。
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酒房と陶器 GETU。。。4 [居酒屋]

処理済~誘う看板1.jpg処理済~誘う看板2.jpg
ビールとお通し.jpg処理済~ママ.jpg
「アラ?今日はお一人ですか?」
「ウン、後から来ます」
「先日の女性はおキレイでしたねぇ。」[わーい(嬉しい顔)]
先日、東京から部下(女性)が2人来た。改まって「話があります」って。
会合場所をどこにしようか思案した。尺八オヤジの店か、ここ、陶器の店か考えて、女性のお店の方がいいかなと思ってここにしました。
話の内容は東京神奈川の窮状や、残された2人の不満やら不安やら、「辞めようと思ったけど辞めるのは止めました」というオチに終わってホッとした。
「キレイはキレイだけど、アイツらケバくなかった?」
「いいえ、そんなことないですよ。みなさんおキレイで。あんなキレイな女性が部下なんですか?ウラヤマシイですね」[わーい(嬉しい顔)]
「いやぁ、部下というか、こっちに来る前は部下だったの」
「まぁ。だったら戻りたいでしょう?」[わーい(嬉しい顔)]
「いいや、戻らんすぐには」

でもいつかは戻るんだろうな。。。
お品書き.jpgお品書き.jpg
今日はテーブル席にサラリーマンの3人組がいて、ママが白エビの唐揚げを持ってった。持ってったタイミングでその3人組が、カウンター上のお品書きに目がいった。
「ママ、今日は他に何ができる?」
ママはちょっと慌てた。お品書きを入れ替えるのを忘れたらしい。
「ええっと、ちょっとないのもあります」
この店のお品書きは一品一品、書いてある札がブラ下がってるんだけど、その日に無いものの上に、あるものを重ねて二重三重になっているんです。
焦ったママは酒飲み通がオーダーしそうな「天然ホヤ」を外しながら、「他はできますっ」力強く宣言したはいいが、外した「天然ホヤ」の下から、たった今出したばっかりの「白エビの唐揚げ」の札が現れたので店内は爆笑に包まれた。
「ママ、その白エビ、たった今、来たし。。。(汗)」
「アラ、そうでしたねゴメンナサイ」[わーい(嬉しい顔)]
カツオ刺身.jpgカツオをつまむ.jpg
貝の造り.jpg冷奴豆板醤.jpg
「あったかコロッケ」というのがあって、私は早速オーダーした。
あったかっていうからにはジャガイモホクホクなんだろなって勝手に想像しながらガブリついたら、
「アヂッ!!」
カニクリームコロッケだったんです。
カニクリームが唇にベチョッとひっついて火傷した。
熱かったなんてモンじゃない。
最初っから札に「カニクリームコロッケ」って書いときゃいいのに。そしたら心の準備ができただろうにさ。
コロッケ.jpg割ってみる.jpg
「○○○(尺八の店)のオヤジさんが言ってましたよ。この店のママはいい人なんだよなぁって」
「えっ、ワタシの話題が出たんですかぁ」[わーい(嬉しい顔)]
「ママのことをいい人だいい人だって」
「たま~にお店が終わってから来るんですよね。でも体が悪いから飲んじゃいけないんで」[わーい(嬉しい顔)]
茄子とアスパラ炒め.jpgヤッコ2.jpg 酒肴.jpgお酒.jpg
後からジャン妻が来た。
どうですこの豪快な飲みっぷり。。。
処理済~グイッ.jpg煮物.jpg
塩だけのおにぎり。
デカいです。デカだけに塩加減が案外難しいらしい。
「海苔で巻いてると塩加減がわからなくなるんです。あれから(しょっぱかった時から)ワタシ、塩だけでおにぎり食べてるんですよ。」[わーい(嬉しい顔)]
いつも〆は塩むすびです。ママは塩加減を練習してるらしい。微笑ましいこって。今日も塩加減はバッチリでした。
やや大きめー2.jpgやや大きめ-1.jpg
〆はこうなりました.jpg別の日の〆.jpg
相変わらずレジ打ちがアヤシイいぞ。
「ゴメンナサイ、3万円になっちゃった。もう1回打ちますね。」[わーい(嬉しい顔)]
俺はもう動じない。
「前ん時、会計200万円だったの覚えてます?」
「(笑)よそのお客さんで300万円になったことがありますよ」[わーい(嬉しい顔)]
「打ち間違えた時、後で戻してます?でないと店閉める時、レジ金とジャーナルが合わなくなりますよ」
「お店閉める時までにちゃんと合せますよ。でないとウチ、凄い売上になっちゃうんで」[わーい(嬉しい顔)]

既に夏になっています。もうすぐ4カ月も終わりに近づいてきています。その間、おでんの○兵衛が4回、
尺八オヤジの店に5回、
そしてこの陶器と天然ママの店には9回来てるんです。俄然TOPになりました。
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今宵も尺八が流れるけど。。。 [居酒屋]

今宵も尺八が流れている。
流れているが、今回は旦那さん(●郎さんといいます)と奥さん、二人の漫才TALKがアンストップバルブで止まらないのだ。
処理済~尺八即興LIVE.jpg処理済~ご夫婦1.jpg
常連さんが言うには、この店、昔は敷居が高くて怖くて入れなかったそうです。ところがいつからか、”何があったか知らないが優しくなった”ってカキコミにあったとか。
「昔は俺ぁ威厳があったからねぇ」
「威厳?いんげんの間違いじゃないの。いんげん和尚だよ」
「何言ってんでぇ。でも昔の客層が凄くて私ぁ天狗になっちゃったんですよね。今は若い女の子が来るのが嬉しい」
カニグラタン1.jpgカニグラタン2.jpg
何で一緒になったの?と突っ込むジャン妻。
「一緒になったのはね。前の奥さんの子供がいなかったって事が大きいですね。私たちは先に逝くけど子供たちは残るじゃないですか。別々に暮らすのが嫌なんで」
「それまでは愛人と暮らしてたんです。愛人28号って歌ってた人誰でしたっけ?テレツテン?」
「愛人はテレサテンだよ」
「ワタシはこれでも若い頃は尺八で有望なのが出たって言われたんだけど、今のこのカミさんと知り合ったら挫折しちゃったんですよ」
「何言ってんの。拾ってやったのに」
「何を言ってるんだ。俺はこう見えても笛吹童子だぜ」
「赤道馬鹿之助でしょ」
(なんなんだそれは?)
カウンターのお客さんたちは、爆笑で今にも後ろにひっくり返りそうになってる。
「●郎さんは浅草辺りのホウカンだったらよかったのにね。ホラ●郎さん喋ってばかりいないで鯨立田揚げを出して。スミマセンね。鯨はアタシ一人でもできるんですけど、一応『俺が板前だ』っていうからさ」
鯨竜田揚げ.jpgポテサラ.jpg
奥の席に相当な年数ここに通ってる常連さんがいるせいか、あまり笑えないネタや載できないネタも多いのだ。
「うちの奥さんは○○○kgなんですよ」
「昔はこれでもバレェ演ってたんですよ。今は8ヶ月、一年中8ヶ月」
「今は○20kg」
「ちょっと●郎さん20Kg増えてるし。アタシは温泉入るんだって周りに迷惑かけないよう貸切で入りますよ」
「お湯がなくなっちまうからさ」
「何言ってんの。温泉なんてどんどん湧き出てるんだから平気なんだよ」
愛されてますねぇとジャン妻。
「●郎さん、お客さんがこう仰ってるけど、アタシを守るのが愛でしょ。●郎さんはアタシに守られようとしてるでしょ。ああ娘と猫が心配だわ」
処理済~カッコいい~.jpgメジマグロとタイ.jpg
メジマグロとタイ2.jpg無造作に昆布締めを載せてくれた.jpg
寄席というか、漫才がエスカレートしてきた。
「あたしが挫骨神経痛の時なんにもしなかったじゃない」
「あん時は俺が○○拭いてやったじゃないか」
「通報があったんですよ。店でうーうー唸って倒れてるっていうからさ。5時間くらいして来てやればよかった。(家に)帰って来いって言ってんのに帰って来ないからさ」
心配が過剰になって、毒舌になってきた。
「ああ、薬のせいで眠いや」
「朦朧としてるのを薬のせいにしてさ。単に眠いだけなんですよ」
店内は爆笑の渦になった。
処理済~ビッグママ1.jpg処理済~ビッグママ2.jpg
処理済~ジャン妻の眼差しの先には.jpg初めて来たお客さんがお会計になった。
「よかった俺が死ぬ前にお見えになって」
(またそんなことを言ってる。。。)
「こんな事ばかり言ってるけどなっかなか死なないからさ。毎日どっちが死ぬか賭けあってるんですよ」
「こっちも待ってるんだが」
「アタシは昔の彼が待ってるんだよ~」
オイオイッ。




この店は酒持ち込みがOK。
前から、「ウチはちょっとだけ持ち込み料がかかるけど、普段飲んでるお酒を持ってきてくださいよ~」って言われてたので、ついに会津の「花泉」を持参しました。
花泉持ち込み1.jpg花泉持ち込み2.jpg
「これ、何て読むんです?カセン?ハナイズミっていうんだ。会津の酒ねぇ。いつもこれ飲んでるんですか。ちょっと一口、飲ませて下さいね」
「ホントは飲んじゃいけないんだけどさ」
奥さんが諦め顔で「花泉」を写している。一升瓶が小さく見える。
処理済~ご夫婦2.jpg処理済~尺八の店.jpg
「花泉」一升は空かなかった。少しだけ残った。
「あれぇ?ずいぶんお飲みになられましたね。ダメですよそんなに飲んじゃ体によくない」
あのねオヤジさん。アナタに言われたく・・・まぁいいや。残った酒は瓶ごと店に置いておくこともできるらしいが、さすがに持って帰りました。
では今宵はこのくらいで。
「次回も早めに来て下さい。いつお迎えが来るかわかんないんだから」
「また言ってる。いいなぁ今日は。BGMが静かで暗い曲ばかりで・・・(笑)」
毒気と笑いに当てられた夜だった。
次回は会津田島の「國権」を持参するつもり。(現在は1本、店に預けています)
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会津北の防人、穴沢一族③ [会津]

伊達輝宗は桧原を抜きたい。
だが二度も失敗した。
負けた相手は蘆名の本隊ではない。穴沢とかいう山の地侍の集団である。
輝宗は「桧原~、会津~」って喉から手が出まくっているのだが、心中臍をかむ思いで永禄九年(1566)の正月を迎える。家臣たちが米沢城に新年の賀詞言上に来た。その家臣団中、敵側の桧原村と峠や山々を挟んで反対側、綱木という村の遠藤という地頭がいた。
この遠藤が知ったかぶりして言うには、「穴沢衆は二十三夜月待ちを信仰し、その夜は各家々で月待ちを務める。峠の哨戒も緩んでいて、易々と攻め入れるだろう」と。
また奇襲作戦である。

この“月待ち”ってのがよくワカランのですが、いわゆる十三夜、十五夜、十七夜、二十三夜といった特定の月齢の日に、月の出を待つしきたりのことらしい。
月を信仰する、すなわち、月に神が現れるというもの。人々が集まって月の出るのを待ち、月にお供え物をして、月を拝み、経を唱え、飲食を共にする。
子供の頃の、十五夜お月さん見て跳ねる♪はウサギ(ですよね?)だが、穴沢氏は狐が守り神だったという。狐たちと一緒に月見酒でもしていたのだろうか。
この行事は悪霊を追い払う目的もあるのだが、追い払うどころか伊達軍が急襲することになる。
桧原峠.jpg
伊達軍は正月23日綱木村に集結した。
だが集められた兵どもはややウンザリである。
これで三年連続三回目の出兵である。しかも正月明けの真冬で寒い。
あまり戦意が高かったとは思えない。
当時ならではの防寒グッズに身を固め、ゆっくりゆっくり24日未明に桧原に来た。二十三夜の月待ちで夜更かし寝入ってる明け方を急襲した。

1 金山の坑口跡
2 鷹巣の一里塚
3 水芭蕉が咲いている
4 桧原峠の境塚



穴沢衆は寝入っていた。
伊達軍はしんと静まり寝入った村の入口の民家に放火した・・・のだが、家々は2m級の深雪に埋もれており、焼けた民家は僅か二、三軒程度。
火がつかないのだ。燃やそうとしても殆どの家が雪に埋まっている。
またまた例によって段取りの悪い伊達軍だが、それでも数は一千人。火が付かないなら数で圧倒しようと鯨波の声を上げながら桧原村の中心部に突入した。

穴沢加賀俊恒と、長男の新右衛門尉俊光は眠い目をこすって起きた。
意外な日に意外な襲来で驚いた。
「何もこんな日に・・」興ざめした。
だが慌てない。
毎度のことと、新右衛門尉俊光以下80人の兵が迎え撃ち、新右衛門尉俊光自ら斬り込んで、村に攻め込んだ伊達兵20数人を討ち取ったというから、よほど膂力に勝れた剛の者だったのだろうか。
残る敵勢を木戸の外へ追い払う。
そこへ加賀俊光以下100人が加わる。敵の後続部隊が来る前に全面の敵を崩さんとする。

穴沢軍はいつものように数で劣るので、次男、穴沢次郎兵衛以下、50人の弓隊が並んで側面からまたしても強弓をスティンガーのように発射した。
さえぎるもののない新雪に突っ立った敵兵を狙い討ちするので効果絶大。
伊達軍も前回の失敗で懲りてさすがに楯は持って来た。反撃しようとするのだが。。。
寒い。。。
身が凍えている。手がかじかむ。
当たり前である。雪道を踏んで徹夜で行軍してきたから弓も刀槍も上手く操れないのだ。
穴沢衆はついさっきまでは屋内で暖を取って寝ていた。寡兵ながらも余裕の操作である。
穴沢新右衛門尉俊光の他に、一族の穴沢九郎次郎、穴沢新十郎らの新たな援軍が加わった。また来たか、生きては帰さぬと勢いで圧倒する。

この時は黒川(会津若松)の蘆名家中からも、佐藤某という隊長の率いる100人ほどの寄騎が駐屯していた。
おそらくこの厳寒の地に嫌々来ていたのであろう。佐藤某は最初は怖気づき、「撤退しましょう」と穴山加賀俊恒、新右衛門尉俊光に進言したら・・・
父子の逆鱗に触れた。
「撤退だとっ?」
佐藤某は帰る家がある。穴山衆にはここしかないのだ。
「ではヌシは何しにここへ来てるんだっ」
「だったら出るなっ。すっこんでろっ」
どやしつけられたらしい。
ところが佐藤某は、戦況が穴山軍に有利に傾いた時点で、このまま戦闘に参加せなんだのが黒川(会津若松)の蘆名公のお耳に入ったらヤバいと思い直し、遅まきながら参戦した。
穴沢父子は「こやつ、今頃になって・・・」苦笑したが、黒川からの佐藤軍100人が参戦したのを遠目に見た伊達軍の後軍は、まだ戦ってもいないのに、「後詰がいたのか」「蘆名の援軍だ」と怖気づき、敗走しだしたのである。
穴沢軍の強弓に射掛けられている伊達の尖兵は、振り向いたら後ろから付いてきている筈の後軍がいないので仰天した。逃げて行くのが見えるではないの。「冗談ではない」と恐怖を呼び起こし我先に逃げ出した。
穴沢勢は追い討ちをかける。討ち取った者の首級は斬捨てにして追いかけた。

伊達勢は総崩れで逃げていく。
ここから先はまた講談というかアドベンチャーアクションそのものなのだが、桧原村から敗走した伊達兵は一ノ渡という淵まで逃げて来た。
おそらく桧原川の上流、沢の何処かの渡し場にある淵ではないかと思われるのだが、この時、折からの豪雪で淵の上には凍った雪に新雪が積もって蓋のようになっていた。
逃げて来た伊達兵は蓋が道に見えたらしい。渕や沢が見えなかったのだ。凍っていて沢の流れる音も聞こえなかった。
雪と氷の蓋=実は渕なのだが、気付かず逃げて来た伊達の兵どもが蓋=淵に殺到したところ、雪の蓋が兵の重みでズボッと崩れ、ドーンと抜け落ち、伊達兵どもは半ば凍った渕に一斉に転落した。
極寒地の半ば凍結した淵、沢である。別に穴沢軍が仕掛けた罠でも何でもないのだが、転落した伊達兵は岸に岩にとりすがろうにも上がれず、後からやって来た兵も前方で何が起こったのか咄嗟にわからず次々と滑落した。
その振動で左手の山から新雪の雪崩までおきたというから悲惨である。
そこへ穴沢兵が追撃してくる。沢で凍え、雪崩に埋もれ、誇張はあるだろうが討ち取られた兵は200、川にはまった溺死者凍死者300人。。。
冒頭で「正月明け、月待ちの夜明けなら穴沢衆も寝ていましょう」と知ったかぶりの具申をした遠藤某も戦死してしまったそうです。

穴沢軍は三度勝った。
売られた喧嘩とはいえさすがにアタマに来たらしい。今度はこちらから米沢方面へ討ち入らんと黒川(会津若松)の蘆名盛氏に言上した。
ところが岩城左京太夫とかいうのが蘆名家と伊達家を仲裁する労を摂り、伊達家、蘆名家は和睦となった。別に蘆名家にとってはこちらから仕掛けた戦争ではないのだが、要はこっちから攻め入るのが面倒くさかったのであろう。
伊達輝宗はついに穴沢衆に勝てなかったのである。
檜原方面2.jpg檜原村.jpg
その後、数年間は一見、平穏が続くのだが、その間、天正元年(1572)、穴沢加賀俊恒は隠居し、長男の新右衛門尉俊光が家督を継ぐ。
伊達家は独眼竜政宗の時代になっている。
政宗だって桧原を狙っている。政宗は輝宗とは違って何でもやる漢。オヤジが三度も勝てなかった穴沢衆をどうするのか。
ここまでは痛快な講談そのものだったが、後編は趣が全く異なるので、いつかまた項を改めて。
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会津北の防人、穴沢一族② [会津]

桧原の地図2.jpg第一戦で大勝を得た穴沢一族は次の襲来に備える。一党の協議で一つ問題が提起された。
伊達軍を迎え撃った峠から、一族が居住する桧原村まで、防塁の地が全くないのに気付いたのである。
もっと早く気付かなかったのだろうか。それだけ険しく、敵側から見たら攻め上ってくるのに難儀な地だからともいえる。
山賊相手の頃はそれでも良かった。だがこれからの相手、伊達氏は強大な仮想敵国である。
そこで構築されたのが戸山城。



この城塞は、標高822mにある桧原湖畔から更に230m高い山上にあって、冬場には2mの積雪があるという。そんな超寒い雪山にアタリマエのように居住してたのだからちょっと理解に苦しむ一族である。よほど精神が強靭でないと務まらないだろう。
この城塞に一族が交代で詰めることになった。他は普段は麓の桧原村で居住する。
ちなみに桧原湖は最大水深31m。今は湖底に沈む桧原村から見上げたら、戸山城は260mの高さだが、磐梯山噴火で村が覆われた可能性が大なので、当時は麓から戸山城まではもっと高かったかもしれない。

伊達輝宗は会津が欲しい。桧原を抜きたい。
桧原で金が産出されるのも知った。何かいい策はないか。
第一戦で大敗した翌年、永禄8年(1565年)夏、伊達の探索方の諜報だと、桧原川(檜原川)上流から沢を迂回し、戸山城の背面から襲撃すればよいという。
だがその沢は騎馬での渡河、遡行は全く不可能だというのだ。
大丈夫かよ。
どうもまだ読みが甘いような気がする。加えて伊達軍は先年の穴沢軍の恐るべき弓術がトラウマになっている。特に先年に借り出された綱木、小野川といった国境に近い村々の兵どもにその傾向が強い。
どうせまた山岳戦になる。何しろ相手は殆ど山の民といっていい。平野部での戦闘にはならないだろう。奇襲しかない。
いつ急襲するか。
7月14日~15日は聖霊祭なので、宿下がりをして戸山城内は手薄だろうという目論見をたてた。
だが輝宗だって多くの武士の累々たる屍を踏み越えて伊達家中の惣領になっている。さすがに先祖の御霊や戦死者を弔う14日~15日に衝くのは若干の良心が咎めたらしい。
16日夜にこっそり出陣させた。徒歩兵ばかり800人です。

この時、戸山城はホントに手薄だった。
長男新右衛門尉俊光以下、弟たちや一族の殆どが、麓の桧原村、己の宿、屋敷に下って先祖の霊を祭って静かに暮らしていた。(当時の桧原村は湖中に沈んでいます)
戸山城内には親父殿、穴沢加賀俊恒以下、二十人の郎党と、婦女子のみだったという。親父殿はたまたま当番してたのかも知れない。

17日の未明に伊達軍800人が背後の尾根から襲来した。
加賀俊恒はちょっとだけ驚いた。
伊達軍の襲撃というより、城内の手勢のあまりの少なさに驚き呆れたのである。
「これしかおらんのか?」(-”-;)
数えてみたら二十数人の郎党と婦女子ばかりである。苦笑するしかない。
普通の感覚なら一旦は脱出するかも知れないが、穴沢衆は何処か牧歌的で慌てない。それと、背後の痩せ尾根に三重の堀切があり、そこに一点、800人の敵が集中してやって来たのと、伊達軍は岩を伝い、藪を切り開いて進軍してきたので、迂闊にも楯を一枚も持参してなかったのが幸いした。
新右衛門尉俊光に急を知らせる間、郎党二十人は少しも慌てず、例によって強弓をバンバン射放った。

戸山城から矢が飛んでくる。
伊達軍は困ったことに楯がないのである。ビクビクしながら木の樹に隠れて射返すが功を奏さない。城中20人対寄せ手800人はズルズル膠着状態になってしまった。

その矢戦、矢唸りが桧原の街まで届いた。急を知らせる使いも来た。
宿下がりしていた長男、新右衛門尉俊光は跳ね起きて集合をかけるがさすがに全員は集まらない。叔父の穴沢主計、穴沢新十郎以下80人あまりの郎党&百姓が集まり、戸山城の大手の山道を伝って馳せ帰る。
この時、新右衛門尉は思った。「麓から城の頂上まで遠い。駆けつけるに時間を要するな」と。
ところが叔父の穴沢主計は一族一番の馬術の達人で、他の連中を置いてけぼりにして単騎、痩せ尾根、崖道を平地を走るが如くさっさと走っていってしまった。
叔父を見送った新右衛門尉俊光は苦笑したが、80人マイナス穴沢主計=79人を山道の途中に留め、戸山城中に援軍が来たりを知らせるべく兵どもに大喊声を挙げさせる。暁の桧原の山谷に穴沢兵の堂間声が「グワァーーーッ」と大反響するのなんの。
城内は奮い立つが寄せ手の伊達軍は「もう来たのか」[たらーっ(汗)]怖気づいた。そこへ単身一騎、駆けて来た穴沢主計が穴沢一族の旗印を掲げたのを見て、恐怖した伊達兵の誰かが言わなきゃいいものを「穴沢新右衛門尉が来た」叫んだらしい。
これが更に余計な動揺、トラウマをプラスし、腰が引けたところへ馳せ帰った穴沢衆の郎党たち数人が強弓を射放ったら一発必中。
後はもう斬り込む。後から援軍も追いついて来る。城中からも岩や大木を落とす。伊達軍は尾根伝いに敗走してしまった。
新右衛門尉俊光はアタマもいい。穴沢軍は数が少ないので気がはやるのをバラバラに追わせなかった。少ない人数で追うと逆に補足されるからである。
「纏まった人数で追えっ。深追いするなっ」
キリのいいところで撤収した。
戸山城入口.jpg巌山城.jpg資料によると、戸山城は南北400m、東西200mとかなりの規模で、20人程度で到底守り切れるワケないとは思うが、20人対800人の第二戦も穴沢衆が伊達軍を撃退した。二戦二勝である。
だが桧原集落から高く、背後からの攻めに弱いのがわかったので、翌年、堂場山へ城を再構築し、巌山城として移った。桧原湖に半島のように突き出た山がそれです。
戸山城は永禄7~8年の短い期間しか使用されなかった。ところがそのことだけで、使用された年代を特定できる大規模な城として学術上、貴重な存在なんだと。
桧原湖4.jpg桧原湖5.jpg
米沢牛の「すみれ」に向かった時、桧原湖畔を走ってたら戸山城入口の看板が見つかったが、そこから先は道が無いそうです。熊も出るそうです。
「まさか入っていかないよね?」(ジャン妻)
「入らない・・・」
http://www.geocities.jp/ai05212002/に詳しいです。

だが伊達輝宗は懲りない。三度目の襲撃がやってくる。
今度は正月明けにやって来る。まさか冬場にこの地にやって来るか普通?
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