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飛騨の隠れ宿(序章) [温泉]

「隠庵ひだ路」行ってきました。
何だか総じて地味ぃ~な宿でしたねぇ。村も。宿の外観も。内装も。
福地温泉全体が山々に囲まれてるんですが、そこへ都落ち、贅沢な流刑にあった気分。そこだけ山谷文化の別世界といった感じ。
昔ながらの雰囲気を残してあるんでしょうね。コンクリートが殆ど見えない。黒い柱、白い壁、濃いこげ茶色の板廊下、囲炉裏、”かがり火”の色に近い館内の照明・・・
薄暮のひだ路2.jpgひだ路行灯.jpg
地図.jpgここはいったい日本の何処なんだ?
ロビー脇の書棚に“るるぶ飛騨高山”があってパラパラ頁をめくったんだけど、地図の頁だけないの。落丁している。何者か知らぬが不届き者が地図の頁だけ引きちぎって持ち出しやがったらしい。
フロントというか、帳場に言ったモン。「地図ないかな?」
「どの辺りまでの地図でしょうか?」
何処かへの観光目的かと思ったみたいですね。そうじゃなくて、「自分が今、日本のどの辺りにいるかわかんないんだよな」って言ったら持って来てくれたのがこれ。
この地図には飛騨高山辺りから松本市まで載ってるので、これで福地温泉が日本の何処にあるのかくわかったんだけど。日本海、富山県にすぐではないか。

フロントで地図をくれたのは私らを出迎え、部屋に案内、食事処に案内してくれたんだけど、ま~たまた例によって羨ましいくらいに髪がやたらめったら多い男性スタッフだった。東西とも肉の宿は皆そうなのだろうか。でも地味ぃな作務衣を着てらしたですよ。黄土色にデザイン風の皺とラインが入ったヤツ。この宿はユニフォームが統一されてないんです。作務衣は作務衣だけど、皆さん好き勝手なカッコしています。
私も宿ではMy作務衣なので、もう一人いた髪の短い男性スタッフ(若旦那?)に、「宿の方と間違われないでくださいね?」って言われて苦笑したが、それって宿側のユニフォームが統一されてない為のマジな心配だったのかも知れない。

宿のパンフからしてこれですからね。この地味ぃなパンフ。セピアっぽく枯れ落ち葉みたいな色彩。これを手に取った知らない人が「行ってみたい」ってソソる可能性はゼロじゃないにせよ、限りなく少ないような気がするんだが。
何もアピールしないのがウリなのかな。
パンフ表紙.jpgパンフ2.jpg
パンフ3.jpgパンフ4.jpg
最初、この宿の従業員は男性しかいないのかって思うくらいに色気、女っ気がなかったの。「閉ざされた村だから女が少ねぇんだろうな」って好き勝手な憶測をしてたら夕餉の1時間前くらいかな。お裏方・・・厨房ですね。そこから女性の豪快な笑い声がケタケタ聞こえた。何を大笑いしてたんでしょうねぇ。弊社のU君でもいるのかと思った。その笑い声で「ああ、女性もいるんだ」ってのがわかった。
女性スタッフは3人いました。この女どももユニフォームはバラバラでした。接客もいい意味でマニュアル的でなく個性感があった。あまり統一されてないのが逆に好感持てたくらい。

レポートはちょっと時間がかかりそうです。下界の欲世とは一線以上を画したそこだけの別世界でした。一泊二日では往復費がもったいないくらいだけど、この宿に長期滞在したら社会復帰は相当大変だと思いますぜ。

あっそれと、飛騨に隠れ中に幾つかコメいただきまして皆さまありがとうございます。ちょっとレスは遅れますが必ずしますので。
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沢渡の武田軍前線基地は何処だ? [隠れ郷土史]

私は既に安房峠を越えています。
旧道の峠道じゃありませんよ。安房トンネルです。
飛騨に初めて足を踏み入れたがその詳細は後日、Upするとして、昨日も呟いたけど、私はその飛騨の手前、上高地の手前にある沢渡温泉に2回行っています。その時泊まった宿の客室に「さわんどまっぷ」というのがあって、そこに「歴史の小径遊歩道」という散策路があった。
沢渡から徒歩数キロの地に、「池尻池」という池があって、その辺りに「武田信玄山城跡」という怪しげなモノがあったのだ。
その案内は如何にも自信無さそうに細く小さく記載してあった。「行かない方が無難ですよ」に見えた。確かにこの手の類のモノは行ってみると何てこたぁない場合がよくあるのだが、泊まった翌朝の6時半過ぎ、止せばいいのに軽い気持ちで散策に出かけた。ジャン妻は寝ていた。

この時に泊まった宿をUpする予定は今のところないのですが、この宿は沢渡駐車場に面しています。沢渡駐車場から梓川を渡り、正面の旅館、「湯の花荘」の脇から裏に抜け、急な坂を登ります。
登り口に立っている案内板には、ここを起点に1.3kmの地点に池尻池(湿原)があって、途中Pと表示されてある。
遊歩道看板.jpg池尻砦の場所UP.jpg
途中まではくるまで入れますが未舗装です。
遊歩道1.jpg遊歩道2.jpg
しばらく歩くと平坦な道の脇には「釣り池」という、半魚人でも出て来そうなどんよりした池があった。
池1.jpg池2.jpg
この池の脇には、湯気がもうもう立ち昇っていた。
もしかして、沢渡の源泉のひとつだろうか。
もしかして源泉か?.jpg湯気拡大.jpg
小さい川に沿って歩くと、道は曲がったり登ったり下ったりの森林の中。何処か船山温泉前の林道に似てなくもないが。
遊歩道3.jpg遊歩道4.jpg
池尻池までは片道1.3kmの距離。晴れた日はいい散策道かと。だがこの朝は曇空でジメジメしていた。
途中に車止めがあってそこから先は徒歩です。UpDownすると鎌倉街道の説明板があって、確かに騎馬の使者が早駆けしそうなロケーション。
鎌倉街道案内板.jpg鎌倉街道1.jpg
その先の小さい広場に出たら「池尻池」に出た。
鎌倉街道2.jpg池尻砦の碑.jpg
ボロいあずまやと、「池尻砦」の石碑と、湿地帯の総合案内板があります。この碑が漢文体で判読しにくいが、飯富とか、馬場とか、飛騨の戦国領主、江馬氏の名前が・・・。
江馬氏?
何処かできいたな。ナワさんの情報だったかな。
案内板を見ると、ここから更に砦跡に向けて道があるらしい。ここから更に奥、基点から1.7kmの位置にあるように描かれている。道がみつからない。膝まで雑草が生えていたので断念した。
更に奥の遊歩道案内.jpgまだ先がある?.jpg
後日、この砦が載ったHPを二つ発見した。安曇村教育委員会からの情報も。
武田信玄の軍記にこの「池尻砦」が登場するというのだがおそらくは甲陽軍艦と思われる。信濃をほぼ制圧した信玄が川中島で長尾景虎と干戈を交えながら、平行して隣国飛騨の主導権を景虎と争う過程で、ここから先、飛騨へ5回ほど軍勢を派遣した。
池尻砦はその最前線だった。永禄2年、江馬(えま)氏を攻略した時です。江馬氏はこの後も武田方についたり離れたりしているようだが、5回の飛騨侵攻で信玄自ら安房トンネル・・・じゃなかった、安房峠を越えたのは1回だけ。永禄10年(1567)の5月の5回目の侵攻時だけだそうです。それ以外は、山県、馬場ら、部下たちが出張侵攻してきた。
だが、ここがホントに砦だよという明確なモノは発見できなかった。池尻を通り安房峠付近を越え、飛騨を経て遠く越中に至る「鎌倉街道」の国境を監視する意味でも設けられたかも知れない。何処が砦なのか結局わからず、城砦が置かれた記録が残ってるだけ。
この周辺の何処かの山が砦だったのだろうか。
何かのHPでも、この砦の位置は誤りではないかと疑問を呈していた。察するに飛騨侵攻の風林火山軍は、この城砦に籠城したのではなく、国境であるこの辺りを駐屯地にしただけなのではないだろうか。
この何処かにあるのだろうか?.jpg果たして何処に?.jpg
池尻湿原のベンチにはそういう説明よりも、池の断面と生息する植物群の説明があった。
池を望む.jpg池尻池周辺のベンチ.jpg
往復1時間強。無事宿に戻ったのは8時過ぎだった。ジャン妻はまだ寝てやがる。私は汗だくで、風呂で汗を流し、部屋に届いてたコーヒー牛乳を一気飲みしました。朝餉の時には喉が渇いてたので、お茶とは別に氷水をボトルで頂いてガブ飲みしましたからね。

だが、この後すぐ、朝餉を運んだ若い女性スタッフに、「池尻池まで行ったよ」と話したら驚かれた。
その女性スタッフが言うには、「あの道は年間通して熊が出ます。次回行かれる時は鈴をブラ下げてお歩き下さい。森の熊さんが何処かで見てるかも知れませんよ~」というのである。
鈴をブラ下げる?猫じゃあるめーし。だが冗談ではない。言い方は優しいが話の内容からして内心「ゲッ!!」と思った。私は作務衣と宿の草履で気軽にその辺を散歩するようにスタスタ行ったのです。足場は悪くはなく道幅も広いがちょっと無謀だったと思う。軽装では行かない方がいいです。鈴と水も持参した方がいい。
ジャン妻は呆れてた。「好きだねぇ」って。

不思議なのは、蚊に刺されなかったんです。汗に前夜の酒(斬九郎)が若干残ってたのかも知れない。
途中何処にも「熊出没」の警告板はありません。気がついたら近くにいるかも。お気をつけてお歩き下さい。
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安房峠の手前の記憶と、峠の更に先にあるらしいもの [コラム・雑記帳]

支店でYokoと作業中、携帯が鳴った。
「こちら、福地温泉「ひだ路」でございます。」
「おう、電話しようと思ってたんです」
「ああそうでございますか。ありがとうございます。今、お時間大丈夫でしょうか」
「大丈夫だよ」
ここで予約の確認事項。
「やはりあれかい。飛騨牛の刺身は無理かい」
「ええ、申し訳ございませんですぅ」
「オカシイな。俺んトコは横浜だけど、レバ刺とか馬刺とかバカバカ喰ってっけどな」
これは「鳥佳」がアタマにあったわけさ。
「えっ、そうなんですか。普通に出てるんでしょうか」
「うん。いつか厚生省の通達でいつ出なるかわからねぇから。喰える今のうちに喰ってるの」
「うらやましいお話ですが申し訳ございません。それに近い形で何とかお出ししますので」
「うん。では当日」
「お気をつけてお越し下さいませ。お待ち申し上げております」
随分丁寧な口調だったな。男性です。
もうすぐ行く宿.jpg
飛騨は初めてですが、途中の沢渡温泉(上高地方面はバスに乗り換える大駐車場そばの宿)に2回泊まっています。
スタッフの接客がよかったけど3回目はなかった。確か硫黄だった。
2回めの朝、この辺りにある「信玄の飛騨侵攻全線基地」を散策したんだなぁ。
あの宿の部屋つき露天.jpg池尻砦の碑.jpg
福地温泉は飛騨の玄関口のようだが、ジャン母は「飛騨高山?」「白川郷?」という反応だった。
ジャン母は安房トンネルを知っていました。観光バスだったそうです。
「トンネル危ないわよ」
「なんで?旧道の峠道の方が危ないじゃん」
「長いし。信号ないし。一直線だし」
だから安全じゃないのかな?よくわからないですね。ジャン妻を乗せたバスが安房トンネルをそんなにビュンビュン暴走したんかな。

それと、このBlogの常連キャラ、Yokoめが飛騨高山に行った事があるらしい。
でもあまり突っ込んで訊かなかった。「また熊食べるんですか?狸ですか?」うるさいからね。

だが飛騨高山、白川郷まではちょっと届かないだろう。帰りが遠い。
でも私はその先に一度訪れたい場所があるのだが…。
「帰雲城」といいます。

内ケ島氏という豪族の本城だが。天正年間の大地震で山が大崩壊、一瞬にして村ごと埋まったという。
「ちょっとそこまで」のおかーさん情報だと「何もないらしいですよ」
何もない場所か。そこからいろいろ想像出来るのだが。でも今回は無理だろうな~。いつか見にいきたいですね。その地に立ちたいですね。
白川郷.jpg帰雲城.jpg
(安房)トンネル抜ければ♪
飛騨が見えるから♪
そこからドン突きの♪
福地温泉へ♪
飛騨は(気持ち)遠い。では行って決まっさ。
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ド忘れU君とのプロミス [人間ドラマ]

もう30台後半になったU君(女性)は中堅社員です。独身。キャリアウーマン?
めっちゃ明るいんですがちょっと老け顔なんですよ。着る服に無頓着。洒落っ気が皆無な女性です。もうちょっときれいなカッコしろよっていつも思う。
嫁ぐ願望は強いようだが未だ縁がないようです。
このU君は、Z女史の支店で休日当番時に釣り銭の手提げ金庫が開かなくなった騒動の時に登場しています。彼女の機転で金庫は開いたんだけど。http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-05-15-1

アタマはいいし、言いたいことをハッキリ言うのと、誰とでも上手くやっていける協調性がウリなのだが・・・
忘れっぽい・・・。[たらーっ(汗)]
しょっちゅう忘れるんです私が指示したことを。大した内容じゃないんだけどとにかくよく忘れる。
指示した後でメールが来るんです。
「スミマセン、忘れましたっ」
「スミマセン、気づくの遅れましたっ」ってパターンが多い。
「さては夜寝る時に布団の中で思い出したんだろっ」
「ち、違いますよっ、帰りの電車の中で思い出しましたっ」
忘れっぽいってこたぁサッパリした性格なので、誰とでも上手く付き合っていけるってのは過去に嫌な思いをしても記憶に残らないんだと思う。
そうかと思うと、「今回は忘れたわけじゃないんですけどぉ、できなかったんですぅ。でもこれって言い訳ですよねぇ。スミマセェン」みたいなメールが来たりする。

U君は私が面接採用したのではない。U君を面接採用した人はもう社にいない女性です。その女性はU君を採用後に退職したのだが、その数ヶ月後だったかな。これまで一度も面識のないU君から突然私に直接電話がかかってきた。「お話したいことがあります」という。なんだろう。俺何かやったかな。

私はU君と、初対面でいきなり相談事をもちかけられるハメになった。この時はね。寿司屋に連れてったんです。最初が肝心とカッコつけたんだと思う。
U君の第一印象は、ちょっと老け顔だが明るく口が大きくよく笑う子で、笑う声が「ウヒャヒャヒャ」
何の話かと思いきや。
「私は面接してもらった時に約束があるんです。もともと応募した店舗は今いる店舗じゃなくてぇ・・・」
というんだな。
その時、U君が配属された支店はU君の地元だった。
「近いからいいじゃんか」
「地元はちょっとぉ。知ってる人もいるんでぇ」
「まさか地元にいずらいとか、何か事情でもあんのか?」
今でこそ“あんのか”みたいな口調だが、当時は初めてお会いしたこともあり、“何か事情がおありですか?”みたいな丁寧口調だったと思うよ。
「いえっ、そういうことじゃないんですけどっ。あまり近いと前の職場の人たちと会うのでやりにくいかな~」
何かあるんだな。まぁそれはいい。で、その約束だが。誰とそんな約束を?
「面接した方が、私が応募したその店舗は今は空きがないから、もし空きが出たら優先的に配属するって言ったんですっ。でもお辞めになっちゃって。じゃぁアタシとの約束は誰が引き継いでくれるのかな~って周囲に相談したら、〇〇さん(俺のこと)がいいんじゃないって」
誰だ俺の名前を出したのは。私は今でもU君を面接した人とは年賀状程度のやり取りはあるけど。U君とのそんな約束事は引き継いでいなかったんです。
だがそういう約束なら仕方がない。
「わかった。今すぐにってわけにはいかないけど。俺のアタマの片隅にでも記憶しておく。でも今の支店が嫌だってわけじゃないんだろ?」
「ハイ。嫌じゃないですぅ。皆さんトテモいい方ばっかりだし」
俺はU君に約束した。途端にU君は寿司をバカバカ喰いだした。明るい女性だが笑い方が品がないんですよね。今でもそうだけど「ウヒャヒャヒャ」みたいな笑い方なんですよ。
「あの時のお寿司美味しかったですっ」って今でも言ってますよ。
この時から私はU君の担当みたいになる。その間、あっちの店舗に行け、この店舗に行けってあちこち飛ばした。

1年半ぐらい経って、U君が当初、応募した支店に空きがでた。
しかも、支店長、管理者が退職したのである。私はU君との約束を果たすチャンス到来と思い「管理者、店長として異動せい」と。
「ええっ!!店長にぃっ!!アタシがぁっ!!」
だってもともと志望してたじゃないか。
「でもォ、でもォ、いきなり私が行って店長なんてぇっ」
「会社はただ希望を叶えるだけにはしないさ。行くからには責任を担ってもらうよ」
どうも管理者、責任者が嫌というか、向いてないって言い張るんです。そんなことないと思うこっちも必死です。U君はギャァギャァ言ってたが、異動先に、U君が前職で既に知っている“ある内容”があって、それが決め手になったのだが、不安そうに言ってましたね。
「管理者となるとぉ、話が違いますぅ」
「何を言ってやがる。これで入社時の志望が叶ったじゃねぇか。俺は約束守ったぞっ」
「それはわかりますけどぉ」
最初は嫌々支店長に就任したようだった。今日まで3年、店長としてつつがなく勤めている。どうも店長を嫌がった理由の一つに・・・
「Uさんは数字に弱いね」(ジャン妻)

私は約束を果たしたのでU君の担当からは離れた。ちょうど入れ替わりに新たに登場したZ女史の担当みたいになってしまい、Z女史の支店で金庫騒動の時にU君と初めて組んだ顛末はUpした通り。

この夏、来年以降に入社してくる新卒の求人サイトにOBの活躍ぶりをい載せることになった。これは一般人は見れないサイトなのだが、そこに現在の店長の写真、出身校、現在の役職、そしてアピール文章を載せるワケです。
誰をピックアップするか。
本社の会議、前に載せた通称“ダラ会議”の主要メンバーと相談した。「誰がいい?」「コイツはどうかな」って。
こういうネタの会議って、イヤラしい言い方だがピックアップされた連中のルックス、年齢とかを値踏みするんですよ。ビジュアル的にどうかなぁってのは確かにあるの。
だが店長クラスとなるとある程度の年齢はいっちゃってるんですよね。
調べてみたら20歳台はいなかった。50歳クラスは除外。30歳~40歳ぐらいがいいんですよ。だが30歳~だと産休予定者もいるので、消去法で消してったら、U君も候補者の一人に残ったのだ。
「U君は会って見れば明るいが、老け顔だからなぁ。Z女史じゃダメ?女史はプライド高いし、見られてることを意識するからアピール文章も上手だと思うけど」
俺も失礼な言い方だが、Z女史は却下されちゃった。年齢が高いと。それと女史は関西の大学出身なので、都内の学生求人にはアタリが弱いというのである。
じゃぁU君にしようと一決してその場で俺が電話した。「写真載せるぞ。学生さんが入社したくなるような原稿書いてくれ」って。U君は仰天した。
「ええっ、ええっ」
「何を素っ頓狂な声出しとるか」
「あァたァしィがァでェすゥかァ」
「写真もな」
嫌がると思いきや「写真はいいですけど。でもォ、今日だってェ、髪の毛バサバサですよォ」
「だから事前に依頼してるじゃんか。撮影当日はちゃんとキレイキレイして来いよっ」

(写真があっさりOKだったのは、U君は適齢期を過ぎつつあるので、見合い写真を撮り慣れてるからだと勝手に推測しています。U君の同年代の女性の産休が相次いでいるのだ。「アタシだった嫁に行きたいですっ。産休取りたいですっ」って言われたことあるモン。でもこれは別に私、U君に失礼な質問したわけじゃないですよ)

U君はまだ抵抗する。
「えぇ~。でも何でアタシが。他にいないんですか。確かに支店長クラスに20台の若い女性がいないってのはわかりますよ。でもアタシぃ?誰々さんと誰々さんがいるじゃないですかァ」
「誰々と誰々は産休予定者だからさ。来年の春にはいないんだよ」
「アタシだって産休取りたいですぅ」
何を言ってやがる。産休取るには亭主が必要だろうが。取れるものなら取ってみやがれと喉もとまで出かかったがさすがにそれは止めた。
時間もなかったので、具体的に名前を挙げ、誰々はトシだからダメだとか、誰々はルックスが悪いとか、本人が聞いたら怒り出しそうな理由を並べて無理くり承諾させようとした。
「君しかいない。頼む」
「うぅ~。わかりました」
だが・・・原稿書くのが苦手なんだと。
原稿の項目は、①自分がいる支店の特徴、自慢、②仕事の遣り甲斐、③心に残る「思い出のエピソード」、④目指すものや今後の抱負、⑤学生さんへのメッセージ。
「白紙で渡すわけじゃないんだから。①②③④⑤頼むぜ」

U君は、①②④⑤はスラスラ書き上げたらしい。
だが、③が書けないというんです。
「心に残る思い出ったってぇ。そんなのいちいち覚えてないですよぅ」というんだな。思い出を覚えてないだと。それは日頃っから忘れっぽいからだっ。
「〇〇さん書いてくださァぁい」
「俺が?ゴーストラーターかよ」
「そういうの得意じゃないですかぁ」
U君は俺が昔、社内報を書いていたのを知っている。
しゃーない。期限が迫っているというか今日が期限だったんです。下書きをしてあげました。サラサラっと。ものの2分ですよ。私はこういうの得意だからね。
こんな内容だった。
「私は最初の応募は今の支店だったんだけど、採用時の担当者に騙されて別の支店に配属されました。話が違うゾと思い、今もいる本社の管理職に「あの時の約束はどうなったんですか?」って直訴嘆願したんです。1年か1年半、他の支店で勤務してたら、ある日、店長をやる条件で今の支店、もともと志望だった支店に配属されました。
学生さんが自分の人生を決めるのは会社に入るところまでです。入社したら何処へ配属されるかは会社が決めます。でも、入社して実績を積めば、希望が叶う時もあるんです。」
みたいな文章。私は最後の2行を言いたかったのよ。
これを見たU君は
「でもこれってぇ、アタシの思い出というより、〇〇さん(私のこと)の思い出じゃないですかぁ」
そうかもしれない。
「文章が完全に〇〇節(ジャンキー節)じゃないですかぁ」
何をこのやろう。白紙の状態じゃ書けないっていうからだろうが。
「適当に添削して書き直しなさい。後は任せる。」

U君は下書きベースで書き上げた。
「これでいいですか」
届いた原稿、①②④⑤はともかく。③が気になってみてみたらU君なりにアレンジしてまとめてあった。

「途中入社の私は面接の段階で、ある程度は配属店舗を聞いていたのですが、入社してみると欠員が出た店舗に配属されることになりました。話が違うとも思いましたが、その店の雰囲気はとても良く、しばらくはその店舗で実務をこなしていました。その後何も触れられないまま長期になってきたので、不安に思い本社の担当の方に連絡を取りました。その方は親身に話を聞いてくれて、入社前から希望していた他店舗の兼務に付かせてもらいました」

この本社の方ってのは俺のことです。
“親身に話を聞いてくれて・・・”か・・・。
俺はこの箇所でちょっとだけ報われました。
続きます。

「入社前はいろいろと自分で選ぶことが出来ますが、入社したら基本的に会社の方針に沿って働かなければなりません。ただし、不安や不満があっても、きちんと実績を積むことで、周りの方は見てくれていますし、希望も叶うことがあります。今は思わぬ策謀で?管理○○師になってしまいましたが、ひとりではできないことも、つらくなることがあっても、周りの方に支えられながら何とか乗り切っています。」

よく書けてるじゃねぇか。
だが・・・策謀だとぅ?
「策謀とは何だっ。俺の策謀じゃねーかっ」
「だって、だってぇ、そうじゃないですかぁ」
「俺は約束は守ったぞっ」
俺の策謀にひっかかったお前が悪い。策謀という単語がそのまんま載るとは思えないが。
「いいと思う。要求先(人事部)に転送しといてくれ」

ところが翌週明けに人事部のサイト担当者から俺んトコに連絡が。U君の原稿だけまだ届かないというのである。
「アイツまた忘れたやがったなっ!!」
俺はU君に電話した。「また忘れただろ」
「あっスミマセン。もうできてますんですぐ送ります送りますっ」

俺はU君との約束は忘れなかったぞ。だが今でもU君は俺の言ったことをよく忘れる。そのU君の支店の飲み会に何故か私は呼ばれた。
「来て下さぁい」
韓国料理店。何故、俺が呼ばれたんだろう。今のU君の支店のメンバー半分とは特に親しくないのに。
また何か魂胆があるのかなぁ。
(2011.11.10追記 この続編はもうできています。飛騨シリーズ終了後にUp予定です。以下はその時の韓国料理)
ボンガの焼肉1.jpgボンガの焼肉2.jpg
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ワサビ抜き事件から半年後・・・ [人間ドラマ]

~登場人物~
Yoko~天然で優しいお節介女。数字と国語に弱い。口が軽い。
肉子~お肉が大好きで野菜が超嫌いの小美人。仕事はできるが変化を嫌う面倒くさがり女。毒舌。
雪子~通称雪女&雪子。表情と眼差しとTalkがクールな秋田美人。最若年だがリーダー格で信頼厚い。
T君~おっとりしてマイペースな4年生社員。
Yuちゃん~田舎者。私を今の支店から異動しないでくださいと俺に直訴してきた2年生社員。
Kさん&Iさん~前回の棚卸で、俺に夜食のワサビ抜きの寿司を喰われた被害者。
Mr.CalorieMate~上記8人の支店長。家計の節約の為に毎昼カロリーメイトを喰っている。

過去に「カテゴリ人間ドラマ」で何回か登場しています。

ワサビ抜き事件http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-04-10-2から半年後、2回めの棚卸がやってきた。
営業時間終了後に実施されるので、会社経費で夜食が出ます。各支店は上限以下で、鰻重、ピザ、CoCo壱、ファミレスのデリバリーだったり。店長決裁でOKなんです。上限は1人1000円まで。
前回は寿司だった。パートさんのワサビ抜きを俺が真っ先に喰ってしまい大ヒンシュクをかった。
「今回は寿司じゃないよ」(肉子)
「何さ?」(俺)
「中華だって」(肉子)
肉が大好きなこの子はどうせ「酢豚」か「牛肉とピーマンの細切り炒め」に決まってる。
「中華か。いいんじゃないか」(俺)
「(カロリーメイト)店長がね、今回は中華の気分ですねって雪子さんに頼んでました」(Yoko)
後で聞いた話だと、ネットで注文するので顧客登録から始めなくてはならない。中華なんて1人1人好みが違うので1品1品を間違えないように入力。若干、手間と時間がかかって大変だったらしい。人数多いし。
「めんどいなぁ。なんで私がこんなことやんなきゃなんないのかなぁ」(雪子)
肉子は「自分は食べる人」ってな子なので、自分では注文係なんか絶対に請け負わない。Yokoに任せたらオーダーミスが起こりそうなのでアブなっかしくてしょーがない。事務ワークに長けて正確な雪子さんの出番になる。
処理済~肉子が配膳した.jpg肉子が配膳というか、お弁当別に分けて並べて始めた。肉子はこういうのはヒジョ~にマメなんです。
「スブタァ・・・ホイコ~ロォ・・・ええっと・・・カシューナッツゥ・・・」(肉子)
こういう時の肉子はホント可愛らしいのだが。
「チンジャオロウスゥ~・・・あっ、これアタシのアタシの[わーい(嬉しい顔)]」(肉子)
カシューナッツ弁当はカロリーメイト支店長のオーダーだった。肉子はクビを傾げながら、
「ナッツが少ないな。これってナッツかな。鶏肉かな」(肉子)
「コラコラ、人様のお弁当の上からナッツか鶏肉か人差し指でギュウギュウ押して確認するんじゃないって(苦笑)」
「押してないよっ」(肉子)
「思い切り押してんじゃねぇかっ。弁当に穴が開くゼっ」
牛肉とピーマン.jpg豚肉と卵炒め.jpg鶏肉とカシューナッツ.jpg
「お弁当、届いたよ~」肉子がフロアに声かけて廻る。
「肉子さん、何にしたの?」(Yoko)
「アタシ?牛肉の細切り弁当」[わーい(嬉しい顔)]
正確に言うと「牛肉とピーマンの細切り弁当」です。Yokoが突っ込む。
「えっ、肉子さん、ピーマン入ってるのに大丈夫なの?」(Yoko)
肉子はムッとした。
ウルサイと言わんばかりの表情である。
「ピーマンは関係ないから!!」
ウルサイ突っ込むなということであろ。だがYokoはおバカなので、その場にいなかった俺にまで聞いてきた。
「肉子さん、牛肉とピーマンの細切弁当なんですよ。ピーマン入ってるのに大丈夫ですかね?」(Yoko)
Yokoはマジで言ってたが、何を余計な心配してるんだろう。お節介もほどほどにせいよ。大丈夫ですかも何も、もう届いちゃってるんだし。
放っときゃいいのに。面倒くさくなった俺は取ってつけて説明した。
「アイツは肉に絡まってれば多少の野菜は大丈夫なんだろ。すき焼きのネギとか。レバニラのニラとか」
弁当に限らず、イチイチこうやって説明しなきゃならん場面がよくあるんです。

俺は前回もそうだったが、誰かが先に喰わないと皆が食べにくいだろうという考えなのと、大勢でワイワイ喰うのは嫌いなので自分だけサッサと喰い始めた。(本当は腹が減ってただけ)
「ええっと、今日は中華だからわさび抜きはねぇよな」
自分に言い聞かせ、周囲に聞こえるように言う。下手な言い訳に等しい。
「ないけど。でも大丈夫ですか?ちゃんと自分が注文したの食べてます?」(肉子)
「大丈夫だっつーの。ちゃんと確認したよ。俺だって学習するし大丈夫に決まってら。これ、豚肉と卵の炒めだっ」
「それってもう1人いたよ」(肉子)
もう1人の「豚肉と卵炒め弁当」はYuちゃんだった。後でYuちゃんは食べ切れなかったらしい。それくらい量が多かった。
大人しいT君までが言う。「大丈夫ですか?それ間違って食べてません?」
今度は俺がムッとした。お前までダメ押しにそう言うか。間違ってないっつーの。それよりも、
「肉子はピーマン大丈夫なんか?」
「ちょっとそのネタ誰に聞いたの?」(肉子)
「そういうネタで俺への情報ソースは決まってる。1人しかいない」
「Yokoさんだな・・・[パンチ]」(肉子)
処理済~3人仲良く食べる.jpg皆、交代で喰い始めた。
Yoko、肉子、雪子の3人が喰いはじめた。先に喰い終わった俺はYokoのノリで突っ込んでやったぜ。
「おっ、肉子さんがピーマン食べてる食べてる。そういう時もあるんですねぇ」
ピーマンと竹の子を口に運んでた肉子の箸が一瞬止まった。
「これって野菜が多いんだよ。肉が少ない」(肉子)
Yokoがフォローのつもりで
「肉に野菜が絡まってれば大丈夫なんだよね?」(Yoko)
おいYoko、それは俺がさっきお前に説明した内容じゃないか。
「肉子さん後で言ってましたよ。野菜が多すぎる。これじゃ牛肉弁当じゃな~いって[わーい(嬉しい顔)]」(Yoko)

では前回、俺にワサビ抜きの寿司を喰われたパートさん2人、KさんとIさんはどうしたか。
Kさんはスーラータンメンという酸っぱくて辛いヤツ。Iさんは酢豚だった。
スーラータンメン?辛いモンが苦手じゃなかったのかな。
「それって辛くない?」
「ちょっとだけ辛いですよ。でも大丈夫。スーラータンメンってワサビ入ってないから[わーい(嬉しい顔)]
まだ根に持ってやがるのか。
だがさすがに中華は重い。飽きる。だってバラエティに富んだ内容をちょっとずつチョイスするのではなく、同じ味を延々喰わなきゃならないのだから。皆から悲鳴が上がった。
肉子はペロッと平らげてたが、雪子とYuちゃんとT君は「重いねぇ」「油がねぇ」「飽きてきたねぇ」
重~い中華弁当は味もボリュームもネタ的にも重かったが、いつもカロリーメイトばかり喰ってる支店長が嬉々として叫んだ。
「今日のお弁当、今までで一番、美味しいですぅ~。次回もこれにしましょォ~」[わーい(嬉しい顔)]
他の女性陣は全員「ノーモア」って思ったそうです。注文役の雪子も内心「次回は絶対、反対してやる」って。
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謎の店 「あかしや」 (横浜市営地下鉄中田駅) [居酒屋]

ここは一体、何屋なのか。
居酒屋は居酒屋なのだが、もとは寿司屋なのか。
横浜市営地下鉄、中田駅から徒歩10分、MACの交差点を右折して、真ぁっ暗な路地でそこだけ灯る怪しげな灯、数軒の店が寄り固まっているのかと思いきや、これはどうも一つの店なのだ。
いかにも周囲が真っ暗で、そこだけ光ってる感じなのだ。
灯り多過ぎ1.jpgスタンド行灯.jpg
正面の赤い電飾看板には、瓶ビール、生ビール、日本酒、サワー類、ジュース類だって。
飲み物を安心明細価格のように表示する店ってぇのは大丈夫なんかいな。
赤い看板.jpg赤い看板2.jpg
右の“長沼ジンギス汗”とは何なんだ?
左にはスナック街、怪しい小路地に誘うかのようなアーチネオン??
入口が幾つあるんだろう。
このアーチは何だろう?.jpg正面の暖簾.jpg
こんなに煌々と電気点けてるのは何か意味があるのだろうか。
寿司の掲示板が煌々と光ってる。寿司は今はやってないそうです。だったら点けるなよなぁ。
お座敷というか、宴会お誘いのネオンも。
これは別の入口か.jpg寿司はやってないそうだが.jpg
「鳥佳」にレバ刺を食わせる約束をしている社の女性がこの前の通りを知っていて、「あの辺りは何だか怪しくて入ったことない」って言ってた。
私は蛮勇奮って飛び込んだ。意外にも店ん中はトテモきれいで清潔感があって驚いた。店ん中も煌々と明るい。
だが、店の主人は寡黙。
奥様というか、失礼ながら私から見ても水商売系の婆さんなのだが、静かに話す。暗いのだ。お化けの寝物語みたいなトーク。
この店の外のテカテカした外灯、店内の清潔さと煌々とした灯り、そして暗~い・・・静かなマスター&奥様の対比が異様な特徴を呈する居酒屋です。
店ん中にはカウンターに常連さんとおぼしき夫婦者と、一人で静かに飲み食いしている職人さんぽい初老の老人がいた。こちとら初めてなので軽く目礼を交わす。
テーブル席は4人テーブル×3で、これまたご隠居の3人連れが声高に喋っている。
驚いたのはこういう店なのに家族連れがいて、塾帰りなのか、まだこういう店に連れて来るのは教育上どうなの?っていう娘さん2人とそのお母さん。お母さんはビール、子供らはジュースで何か喰ってたね。如何にも「今夜はもう遅いからここで夕ご飯食べていきましょうね」のノリだった。
天井を見上げる.jpgカウンター1.jpg
カウンター2.jpgテーブル席.jpg
一見の私は店側と緊張感が漂う。最初の一礼以外、店の主人は私の顔を見ない。黙って立っている。声をかけない限り話しかけてこない。緊張感漂うが、それでも幾つかいただいた。
マグロ串カツ。
そう取り立てて誉めるほどのものではないが、マグロ串カツって、ソーズより醤油の方が合うんだよね。
カニの甲羅グラタン。
これもその辺にあるものと変わらないなぁ。
マグロ串カツ.jpgカニグラタン.jpg
カウンターの向こう側の壁には寿司ネタの写真が光っているのだが、「今はお寿司はやってないの」という。
だったら表の電工看板はなんなんだ。だが生のネタには拘りがあるようで、アジフライはできないが鯵の刺身ならという。
それがこれ。デカくてブ厚い。二段になっていて、上の身をどけると下にもあるんです。
なかなかの味だった。
アジ刺身.jpgアジ刺身Up.jpg
竹輪の磯辺揚げ。これも美味かったね。皮が剥いてあってパリパリするところなんか、この近所で今年閉店したあの店に通じる。
竹輪磯辺揚げ.jpg寿司のなごり.jpg
白いボードのオススメが無難なのだが、パウチしたお品書きを見ると揚げ物が20品目もある。
お品書き1.jpgお品書き2.jpg
店内、私一人だけになってしばらくしたら、初老の男性が一人入って来られた。地元の区の何かの文化的な催し物のリーダーらしい。そのイベントは店内に貼ってあった。
ってこたぁ、地元に根付いた信頼できる店なのでしょうな。
会計は安かった。5000円でお釣りきたし。定休日はいつか訊いたら月曜だって。「よろしくお願いしますね」と静か~に言われたが。。。
怪しい灯に惹かれて入ったら店内は清潔で煌々としていた。外に出て振り返るとやはりたくさんの異なった灯りが謎である。寿司はやってないじゃん。長沼ジンギス汗なんて何処にもなかったぞ。いったいこの店は何屋なんだろう。
でも覚えておこう。
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狙うは「鳥佳」の右暖簾!! [居酒屋]

ジャン妻が「鳥佳に連れてけ。おごれ」とウルサイウルサイ。
これは一度連れてって黙らせなくてはならない。さる日の水曜日に上大岡駅で待ち合わせた。「鳥佳」に電話したら、「今のお時間ですとカウンターのお席は埋まっておりまして、離れになります」という。
離れとはなんだ?
「一応、カウンターは希望で。では向かいます」
だが、私らの前にサラリーマン連れの二人が右暖簾に入ってカウンター席は満席になってしまったのである。左暖簾に案内された。
テーブル席のみ。う~ん、ここは普通の居酒屋ですな。
ディープな鳥佳.jpg処理済~鳥佳テーブルバージョン1.jpg
最初に記入する.jpg最初はこの紙に書きます。
レバ焼、つくね、鳥ネギ。どれも美味い。
キャベツの酢漬けも。酢の物が苦手な私がこういうのを食べるのは珍しい。

レバ刺のブ厚いこと。
私は社内、支店の女性に、ある居酒屋のレバ刺を食わせる約束をしていたのだが、その店が今年の夏にいきなり閉店してしまって約束を果たせなかった悔いが残っている。
「鳥佳」のこのレバ刺は、その閉店してしまった居酒屋のレバ刺を上回るのだ。その約束を果たすべく、11月に「鳥佳」に来る予定なのだ。

「馬刺です。生なのでお早めにどーぞ」
赤身の馬刺はレバ刺についてきた胡麻油で食した。何処かの蕎麦宿と同じ感覚です。
生なので仕入れの関係か(土)(日)はないそうです。(土)はともかく(日)も営業しているのはこの時にわかった。
何処の馬刺かは次回、聞いてみようと思う。
煮込み豆腐入.jpgレバ刺.jpg
馬刺.jpg馬刺を胡麻油で食す.jpg
レバ焼.jpg鳥ネギ.jpg
つくね.jpgすなぎも.jpg
キャベツ酢漬.jpg焼き方大将の後姿.jpg
焼いてる大将が振り向いてと目が合った。お互い一礼を交わした。前回の飲み方を覚えてくれてるのだろうか。だったら凄いが・・・「アンタの頭だよ」(ジャン妻)

私は向こう側、カウンターが気になる。カウンターに未練がある。1時間も経たないうちにどうも空いて来たみたいなので、意を決して看板娘を呼んだ。
「ワガママ言ってもいい?」
「ハイ、どーぞ」
周囲に聞こえない声でお願いした。
「カウンター席、空いてたら移ってもいいかなぁ」
これはCoCo壱で、ルー多めにしてねより緊張したゼ。
「お待ちを・・・大丈夫だそうです」
ヤッタァァァァァァァァァァ!!!![ぴかぴか(新しい)]
「お持ちいたしますので。お荷物だけ持ってそのままで」
一番奥に座った。特等席といっていい。
「ハイ、新しいおしぼりをどーぞ」
感激である。やはり違う。カウンター席の方が親近感がある。一体になって明るくなった。
こういうお直り客というか、ワガママを言う客はいるのだろうか。私は席料倍払ってもいいくらい感激した。[揺れるハート]
処理済~カウンター1.jpg処理済~カウンター2.jpg
8人もいる。刺身方、煮込み方、焼き方、洗い場、運び方・・・。
ここに座るといろいろ見えてくる。「ま~た観察し始める」(ジャン妻)
大将は今日も若手に焼き方を指導していたが、こちらには聞こえて来ない。呼ばれると若手は「ハイッ!!」って返事をして、大将の言うことに神妙に頷いている。
早番の若手が二人、帰る時間になった。大将と「お疲れ」ハイタッチで挨拶代わり。
ィイねぇ。
皆さん、ここで働くのが楽しくてしょーがないという感じである。

正面に小さいドラフトがある。煮込み場です。鍋が二つあったような。
処理済~煮込みのドラフト.jpg処理済~裏手のドア.jpg
右手には刺身を切る場があって、そこはテーブル席からも丸見えなのだが、そのそばに外に出るドアがある。
若手や大将が料理を持ってドアの外に出て行くのである。戻って来る時は空いたお皿を提げている。
もしかして、離れとはこの裏手の建物のことなのだろうか。
だが、この店も2階も相当年季が入っているしなぁ。実は私、11月に4人で訪問する予定。その時は離れになるだろうが。どんな怪しげな隠し部屋に案内されるのか楽しみである。
ちなみに定休日ってあるのだろうか?
大将に焼き方を習ってた若手が言う。「不定休です。正月だけですね」
処理済~働く人々.jpg処理済~看板娘.jpg
右暖簾、カウンター側が空いて来た、いつの間にやら端っこに、一人飲む女性もいる。
処理済~隣の客が帰るところ1.jpg処理済~小テーブルもある.jpg
処理済~空いてきた~一人飲む女性.jpgオリジナル麦焼酎.jpg
あまり雰囲気と居心地がいいので、その雰囲気だけで満腹になってしまい、今夜も親子丼までは届かなかった。次回は必ず。
お会計時に「ワガママ言ってすみませんでした」と言って出ました。

お会計の後、裏手に廻ってみたら、どうもアパートなのか、古い住宅がある。煮込みの男性に聞いてみたらやはり離れで、おそらく部屋を幾つか借りてるのではないか。11月に調べてみます。
スタッフの人数多い理由がちょっとだけわかったような気がする。

テーブル席からカウンターにお直り成功した私にはこの店ならではの悩みもある。
右暖簾のカウンターと左暖簾のテーブル席との落差があり過ぎるのだ。全然、別の店といっていい。
右暖簾は一人ならまだしも二人だとどうだろうか。みみんさんのように早い時間か。平日の21時前くらいが狙い目かも知れない。実際、我々が移ってからしばらくしたら空いてきたし。
謎の支店1.jpg謎の支店2.jpg最後にこれを。
大岡川に沿って歩き、商店街の一角、トテモわかりにくいのと、何だか入りにくいのだが。これは支店らしい。
一応、参考までに。
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盛秀と盛継 第四話 ~どっちもどっち~ [盛秀と盛継(会津)]

梁取城に盛秀と伊達の連合軍が押し寄せた急報を受けた河原田盛継は、一の郎党伊南源助と一族の河原田佐馬允に騎馬三十雑兵百余人を付けて急派させようとしたのだが、細作から得た田島勢の兵数を聞いて駒を止めた。
(田島勢で八百人だと・・・)
多い。殆どの動員数ではないか。
「源助、佐馬允」
盛継は信頼する股肱二人を呼んだ。
「田島勢は八百だそうな。多い。さては盛秀め伊達の前で印象良くせんと領内殆どの兵を駆り出したと見ゆる。二つの峠(駒止峠と中山峠)に多少の兵を割いただろうが田島本領は僅かの留守兵であろ」
盛継はこの辺りの勘、判断力は鋭い。
「このまま田島へ攻め入りますか」
「梁取城はそう持つまい。田島へ討ち入る。村々を荒らすだけでよい」
急遽、河原田勢は東へ反転、僅かの守備兵がいた駒止峠を突破し、針生村から桧沢川に沿った村々へ攻め入ったのである。
犬猿の仲同士の地図.jpg
河原田衆は村々、特に裕福そうな在家在家に火を放った。この時代の農民は自警団というか、武士でもあるので若干の抵抗を受けたが、急襲された村々は殆どが「何事が起こった」と、慌てふためき東西に逃げ惑うばかりであった。中には武器を取って抵抗する者もいたが多勢に無勢である。
針生の住民こそいい迷惑であった。炎が立ち昇り、その炎に照らされて立つ盛継とその軍勢は魔界の軍団に見えた。

それでも盛継はこう言った。
「佐馬、あまり貧しい者の家は焼くな。藁束や小屋程度にせよ」
「この先、細井の屋敷がございますが」
「そこまでだと深過ぎる。おっつけ田島や梁取からも引き返して来よう。ほどほどで引き上げ・・・」
そこまで言いかけ、盛継の表情が固まった。
「御屋形、どうなされた」
「・・・」
やや間を置いて盛継は言った。
「佐馬允、金井沢佐衛門佐の屋敷はここからどの辺りにある?」
「金井沢佐衛門佐?」
河原田佐馬允は何処かで聞いたようなと思った。金井沢佐衛門佐は盛秀の一族、姉婿である。
もしかして、かつて黒川へ向かう街道筋で我が党と悶着を起こしたあヤツか。御屋形はあの一件の報復を思いついたのかと思い立った。
金井沢という地は現在の細井家資料館から更に田島寄りである。金井沢佐衛門佐の屋敷はそこにあるに違いないと踏んだ。だがそこまで踏み込むか。深入りし過ぎないか。
「金井沢の地はここから先、田島に近い位置ですぞ」
「構わぬ。他の在家はもうよい。金井沢へ寄せよ」
金井沢佐衛門佐の屋敷は案外すぐにみつかった。だが佐衛門佐と主だった男衆は主君、盛秀に従軍して不在だった。屋敷を包囲して押し入り脅すように詰問したが小者ばかりである。
(不在か・・・)
「では金井沢佐衛門佐の女房を引っ立てろ」
この命令に盛継の家来郎党どもは耳を疑った。「御屋形」「金井沢の女房を」「何をお考えか」というのである。
河原田衆が含むところのある金井沢佐衛門佐だがその女房は長沼盛秀の姉である。この時代では大年増である。伊南源助などは自分の価値観だけで考え、同僚の只見大炊介、馬場弥次右衛門に、「御屋形も酔狂な。あんな大年増なんか戦利品にもならんのに」と盛継に聞こえないように言った。大炊介と弥次右衛門も何か言いたそうに首を傾げている。ちと喧嘩のし方がいまいちしっくりこないのだ。だが諌めようにも盛継の目は真剣である。

金井沢佐衛門佐の女房が引き据えられた。なるほど大年増の女房は顔面蒼白であったがそこは長沼盛秀の姉である。気品がある。
「長沼盛秀の姉ぞ。伊南の礼儀知らずの田舎武者め。下がりゃ」精一杯に威を振舞ったが盛継は全く意に介さず。
「我ら河原田一党、その方のご亭主殿とはちと因縁がござる。そなたが言うところの田舎、伊南へ同道していただく。自害などさせるな。舌も噛ませるな」
猿轡をはめ、目隠しをして縛め、馬の鞍に括りつけてしまった。
慄く家人に言う。
「夫人に害は加えぬ。この有様を盛秀に伝えよ。返して欲しくば伊南まで来るがよいとな」
盛秀の頭を混乱させ、田島領内を混乱に陥れ動揺させるのが目論みだが、このやり方はどうであろうか。源助も佐馬允も大炊介も弥次右衛門もかな~り複雑な気分であった。
源助は「まさか御屋形は、あの大年増の女房を側女にするのではあるまいな」と、誰もが言えないでいることを吐いたのだがその時、鴫山城方面を見張っていた渡辺九郎兵衛という郎党が駆けて来た。
「鴫山城から寄手が・・・」
「九郎兵衛、頭は誰だ?」
「盛秀の三男、九郎左衛門と見受けたり。兵は八十」
「たかが八十であの小僧か。小僧に用はない。伊南へ返すぞ」
盛継以下の河原田勢は帰る足も速い。駒止峠へ帰る道を途中から逸れ、戸板峠から伊南へ帰還した。盛秀の田島勢が駒止峠を引き返して来る前に河原田領内に下っていったのである。戦利品は若干の米俵と、抵抗して捕らわれた者、盛秀の姉である。

駒止峠を越えて領内に帰還した盛秀は、荒らされた針生村や金井沢村を見て怒髪天を衝くばかりに激昂したが既に後の祭り。姉が拉致されたと知り狼狽した。地団太を踏んで口惜しがった。見苦しいほどであった。留守してた三男をドヤシつけた。
「九郎左衛門、そちは何しておった。指くわえて傍観しておったのではあるまいな」
治郎右衛門は嘆息した。
(またお得意の八つ当たりか。鴫山城の留守兵は百人もない。九郎殿に何ができようか。簗取へ動員し過ぎたのだ)
治郎右衛門は、盛継が盛秀の姉を拉致したのは金井沢佐衛門佐への先年来の遺恨だと察しがついている。佐衛門佐当人がいれば佐衛門佐の首を引きちぎっていたに決まっている。
治郎右衛門はもう一度、嘆息した。
(いつもながら河原田の殿も子供じみた真似をなさる)
先には政宗を挑発し、二張の弓をよこし、今度は盛秀の姉であり、遺恨ある家臣の女房をさらうとは。
意を決したように言った。
「御屋形、焼け出された村々の民は諸方の寺や豪農に預けおきました。梁取の大波玄蕃允様に早馬を走らせ我らはすぐさま奪還すべく伊南へ兵を差し向けましょう。峠には河原田勢の伏兵が待ち構えているかと思いますが小勢に過ぎますまい」
だが案に相違して盛秀はこう言った。
「政宗公へご助勢をすがる」と言うのである。
「それはお止めなさった方が・・・」
恥の上塗りになる。先年、河原田の伊南の領地を賜るなら先手を仕りましょうと豪語した手前もある。ましてや姉の奪回戦など私戦ではないか。
だが盛秀はきかない。言ったそばから「ご助勢を賜りたい」旨、書状にしたためた。
「治郎右衛、その方、黒川へ使いに・・・」
(冗談ではない・・・)[たらーっ(汗)]政宗に使いして、「主君、盛秀に河原田の伊南の領地を賜るなら、先手を仕りましょう」と言上したのは治郎右衛門自身である。その舌の根も乾かぬというか、言った当人が今度は“助けて下さい”などと言ったら政宗はどれほど怒るか。
治郎右衛門「焼けた村々の慰撫がござれば」と逃げてしまった。実際、焼かれた家々はそう多くはない。
長男の福国に持たせようとしたが、そこでまた思いとどまり考えた。
「自分で行く」という。
治郎右衛門は呆れた。
(まぁそれもよかろ。その方が目が覚めるだろう。せいぜい政宗公の勘気を蒙って来ればよろしい)
小まめに動く盛秀は黒川へ自ら走しった。忙しい男である。

盛継は意気揚々と伊南へ帰還した。
この頃、新城、久川城はほぼ完成し、一族郎党は駒寄城から少しずつ引越してきている。新城で留守兵どもには大歓声で迎えられたのだが・・・

新城の奥で、盛継の母と夫人(山ノ内氏)、乳母は、白~い目で迎えた。
「盛継殿」
「・・・」
「そなた幾つになられた」
「・・・」
「あのような女子を捕らえに田島へ兵を向けたのか。聞けば長沼殿の姉とかいうではないか。そなた何を考えよるか」
盛継の母は立場が違えどそこは戦国の女性である。盛秀の姉に同情的な部分もある。
「・・・」
盛継が盛秀の姉を捕らえたのは将来的、戦略的な意図など全くない。単に大嫌いな盛秀を怒らせ、動揺させ、長沼家中、鴫山城中を混乱させようとしたに過ぎない。
「お前様・・・」
これ以上ない険しく刺々しい声を放ったのは会津横田の山ノ内家から嫁して来た盛継夫人である。山ノ内氏勝の妹という。一子がいる。
姑と嫁が組んだ様相を呈してきた。二人して盛継を睨めつけている。度し難き息子、亭主という目である。
盛継夫人は何か誤解しているようでもある。まさかあのような大年増の人妻を側女にするわけでもあるまいが、誤解されても仕方がないであろう。
実母以上に盛継に親しい乳母殿は哀しげな表情で伏し目がちである。
母と女房に白い目で見られ、盛継もさすがに(やくたいもないことをしたか)と気づいたがもう連れて来てしまったし。
「・・・」
盛継が何も言わないので、とばっちりが傍らにいた一族の河原田佐馬允吉次(甥?)に飛んだ。
「そなたが付いていながら・・・」
「伊南の総領のお名を辱めると思わないでか」
辟易した佐馬允は平伏した。何か言わねばと思い盛継の方を向き直ってこう言った。
「総領、盛秀の姉を拉致するなど、世間の覚えも如何なものでしょうか。だいいちあのような大年増・・・
失言である。女どもの怒りの矛先が自分に向いた。しまったと思い慌てて言い繕う。
「・・・あのような女子、あまり戦略的な意味もございますまい。お気が済まれたら峠まで送り返された方が・・・」
盛継はまだ黙っている。見かねて盛継の母が言った。
「あの女子、一晩泊めて田島へ返すがよろしいですねっ」
盛継は憮然として頷いた。部下が暴走したのではない。自分の命令でやったことだからである。
盛継夫人は言い訳すらしない亭主に呆れ機嫌を損ね、せっかく引越してきた新城、新居の最初の夜なのに、この夜は寝所に現れなかった。

久川城案内柱.jpg盛継は戦時の咄嗟の判断で電光石火の田島急襲が河原田家中や領内で見直される筈だったのだが、盛秀の姉などを拉致したことで、その賞賛、喝采も半減した感がある。
奥で盛継の母は盛秀の姉を見舞い手当てはしたが、伊南を見下す剣高い態度にはさすがにカチンと来たらしい。
一晩留め置き、休ませただけで、盛秀の姉と捕らわれた者どもは老臣、芳賀阿波が駒止峠まで送っていった。盛秀の姉は罵り罵り峠を下っていった。



黒川に赴いた盛秀は政宗のカミナリを喰らっていた。
「先回の大言にも似せる今回のその挙動は何だっ。汝の力に及ばぬのなら、昨年預けおいた所領安堵状はすぐさま返すべしっ」
大変な怒りようである。盛秀は面目丸つぶれで退席した。(続く)

河原田盛継が田島に乱入して、何を考えてるのか知らないが金井沢佐衛門佐の女房=長沼盛秀の姉を拉致したネタは、若松市内に販売されている書籍にあるのですが、「伊南勢は金井沢佐衛門佐の女房を探し出し」とあるのです。何か因縁があったのでしょうな。

ここまで前哨戦ですがここで一旦ペンディング。ちょっと間をおいて、後半ではいよいよ盛秀の田島軍と盛継の伊南軍が干戈を交えます。
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盛秀と盛継 第三話 ~よう働く男~ [盛秀と盛継(会津)]

長沼盛秀は帰順勧告を突っぱねた河原田盛継の所業を忌々しく思い、攻め寄せる準備を始めている。
黒川にいた政宗は政宗で、伊南で内応者を募り内部分裂を起こそうと、何とかいう行脚の僧と、富田弥助という武士を伊南に遣わした。

この二名は盛継の郎党たち数人ほど篭絡したらしい。だが盛継一の郎党、伊南源助が見破った。
もともと人の少ない地域で平地が狭い。見慣れない者がウロウロしていれば嫌がおうにも目立つ。源助は内応するフリをして弥助に近づいた。
カマをかけた。「この地は雪も深く何事につけて便宜がよろしくない。事を起こすには雪が無く峠の往来も自由になれば・・・」と持ちかけたのである。
「来年の雪解けとともに、偽りでもかまわないので政宗公がこの地に出張る旨を沙汰していただきたい。さすればその時、主、盛継に御味方に参じるよう進言いたします。同心致さねば某が盛継を討ちます。だが某一人では。他に同候の者があれば幸いですが・・・」
軍事ならともかくも、裏の陰謀に雪も雪解けもないのだが、弥助はこれに引っかかった。内々に加担した者どもの名前を連ねた書を源助に見せちゃったのである。

源助は内心、「こいつら・・・」と思ったが、そ知らぬ体で言う。
「この封書、写しを某に給わりたい。某が一味の者と謀を成すにしても某の言葉だけでは。この封書を相手に示せば談合ができましょう」というもの。
弥助はすっかり騙された。内心せせら笑った源助は迅速だった。封書に名を連ねる者どもを召集し、武者どもを外に配置して脅しをかけたのである。
脅された面々は「身に覚えのなき事」と弁明するしかない。無かったことになり、政宗の諜略は失敗に終わった。
源助は盛継にこの顛末を報告しなかった。報告する必用がなかったからである。

その間、新城の久川城の普請が続いている。
伊達と手切れになってから、盛継は居城、駒寄城(伊南中学校南にある)の弱点に気づいた。麓から山頂部の詰め所との距離が離れていて連携が取れない。後詰がないと長期間の籠城は無理なのだ。数百程度の小戦闘ならともかく、新城は伊達の大軍に堪えられるものでないとならない。
伊達の間者、富田弥助は久川城の普請を目撃したに違いない。
生かして帰すものかと思った。
弥助は黒川へ帰還すべく、古町から多々石峠を越えようと歩いている。忍びの心得もある伊南源助は後をつけ、途中で獣道を先回りして弥助を待ち伏せ、飛び道具で始末した。
止めを刺し、遺骸をどう始末しようかと周囲を見回したら、茂みから老人が現れた。一瞬、ギョッとした源助だが、
「玄蕃の爺ではないか」
「源助か。その者、伊達の間者かの?」
「領内で怪しげな動きをしていたので正体を暴いてやった。もう用済みだ」
木沢玄蕃というこの老人は河原田家の盛頼、盛継と二代に仕えたが老齢の為致仕し、一子右衛門を盛継に仕えさせている。近年は妻とともに多々石峠付近の炭火小屋に住んで山の生業を営み、峠の番人のような仕事をしていた。
「この者、始末してくれぬか」
「造作もないこと」
源助は、手馴れた所作で始末にかかる玄蕃老に、近年の経緯を話した。
「では雪解けにはまた領内が荒れるかの」
「御屋形は田島の手引きで伊達に下るようなお人ではない」
「そうじゃが。もうこうして山中に隠居してみると、伊南も田島も同じ郷にしか見えんのだがなぁ」
とこぼす玄蕃老であったが、まさか後日、老いた自分と妻が、盛秀VS盛継のキーマンを担うとは思ってもみなかった。

天正十七年七月(八月?)、長沼盛秀は配下を招集して会津田島を足った。
三男の九郎左衛門(としか伝わっていない)を鴫山城の留守に残し、長男の福国を中山峠へ配置して盛継に備えた。同行したのは武勇自慢の次男盛重、田部原治郎右衛門、中妻源太佐衛門、小野丹波、兒山丹波といった面々と兵八百である。
(少し、多過ぎないか)
田部原治郎右衛門は内心、心配した。
(領内が空になってしまわないか)
伊達政宗の印象を良くする為だろうか。精一杯の動員数である。だが盛秀は意気軒昂で、
「伊達軍と野尻(現在の昭和村)で合流する。盛継と伊北との境、布沢か小林を狙って楔を打ち込む。盛継が救援に来ればもっけの幸い」
戦う前から勝ったも同然の顔をしていた。
伊達軍はこの時は河原田盛継よりも、黒川城を脱出した山ノ内氏勝の本城、横田中丸城を挟撃する目論見だったのだが、盛秀は氏勝なんか眼中にない。あるのは盛継のみである。
野尻村で伊達軍二千と合流した。野尻村は軍兵で埋め尽くされた。
前哨戦、梁取攻め地図.jpg
伊達軍の将は大波玄蕃允といった。
他に梅津藤兵衛某や、よく知られた大物、屋代勘解由、原田佐馬介宗時といった面々がいた。
(こいつが屋代勘解由か)
景頼ともいう。主君政宗のためなら苛烈な手段を取ることも辞さない吏僚である。小手森城、高玉城、安子ヶ島城の撫で斬りと重なる。
何となく嫌なヤツと思い、盛秀は目を逸らした。

伊達の陣中に珍客がいた。
会津四家のもう一家、山ノ内氏勝が黒川城下を脱出したことは第一話で述べたが、氏勝においてきぼりを喰らった家臣がいて、布沢上野介と野尻兵庫という。布沢上野介はその名の通り、これから攻め入る伊北、布沢郷の出身。この二人は盛秀とは顔なじみだった。
目礼だけは交わした。「氏勝と一緒に逃げなんだのか」という不審が残った。
これは山ノ内家中の内部分裂なのだが、本編では割愛する。

盛秀の率いる田島勢と伊達の連合軍は何処を攻めるのだろうか。
布沢の地と、資料には「小林の城」とある。「梁取の要害」と書かれた資料もある。
ここでは梁取城にしておく。
(簗取城は花泉Cafeから更に只見寄り、伊南川の対岸にある。)

珍客、布沢上野介らは、彼らの主君、山ノ内氏勝が脱走した時、政宗に「知ってて氏勝を逃がしたな」と詰問され殺されかけたのだが、氏勝に捨てられた憤懣から伊達軍に従軍した。政宗への釈明の流れで伊北への道を問われ、野尻から吉尾峠という峠を越えて、布沢から梁取城への進路を進言して取り上げられていた。
だが野尻の陣中で、これに盛秀が異を唱えたのである。
「無謀にござる。布沢は上野介殿の在所なれど、吉尾峠は狭隘にて険しく・・・」
滔々と立つ弁でまくし立てた。
布沢上野介はムッとした。
だが盛秀は続ける。
「これほどの大軍が伊北に討ち入った試しはござらぬ。大軍なれば、なだらかな鳥居峠を越えて梁取へ向かうが上策」というのだ。
長沼&伊達軍侵攻した辺りの旧峠.jpg
上野介が推奨して盛秀が否定した隘路の吉尾峠とはどの辺りなのか調べたところ、昭和村役場の先、何とかいうスキー場を左折する県道があるのだが、この道が途中で消滅していてそこに吉尾峠とあった。現在は道が消滅しているそうである。
鳥居峠は現在の国道401号線の北、数キロのところにある。現在の国道は南郷スキー場へ向かう道で「新鳥居峠」という。

盛秀の理路整然とした説得で伊達の将たちは盛秀の案になびいた。鳥居峠越えに決まった。
だが、布沢上野介はメンツを潰された。

治郎右衛門は内心思った。
(出すぎた真似をなさる・・・)
布沢、小林、梁取攻めなどは地元の布沢上野介と野尻兵庫に任せておけばよいのだ。伊達軍は氏勝に置いてけぼりを喰った彼ら二人を内心疑いながらも、この緒戦で真意を試しているのである。それに付き合うことはないのにと思う。
(せっせとお働きになろうとする)
内心で皮肉った。
連合軍は易々と鳥居峠を越えた。盛秀は鼻高々である。

この時からのことだろうか。伊達家の資料に「弥七郎(盛秀のこと)、無二の奉公の忠節に依り」とあり、「盛秀は手延なき人に候条」と政宗が評したという。
物事をてきぱきと処理する人という意味。確かにそうかも。苦々しげな評定の布沢上野介、心配顔な田部原治郎右衛門、「よく喋る男だな」といった視線の伊達軍将校たちだが、政宗の立場からしたら、早く帰順してマメに働く盛秀は、「よう働きよる」高い評価を得ていたのである。

盛秀の田島勢は梁取城へ攻めかかった。
だが、落ちないのである。
急峻な山城なので、見上げると攻めにくいこと。それと進軍路でメンツを潰された布沢上野介と同僚の野尻兵庫が高みの見物とばかりに手を出さない。
「出過ぎた真似をしよってからに。田島殿の手並み拝見」といったところであろう。
たまりかねて盛秀は治郎右衛門に言った。
「あヤツらは何してる?」
まさか、軍議の席上、御屋形の余計な一言で気分を害し、知らぬ顔のなんとやらでしょうとも言えない。だが治郎右衛門も布沢上野介と野尻兵庫と顔見知りである。弁護も併せて勧めた。
「同じ郷の者同士やり難いのでございましょう。ですが怠慢と見られ彼ら自身の立場も危うくなります。伊達軍の将に申し上げなされ」
盛秀は大波玄蕃允に訴えた。彼らの心中が何となくわかる玄蕃允は苦笑したが、上野介と兵庫のケツを叩き脅すようにして参戦させた。この二人が参戦した途端に梁取城は落ちた。もともと地元の顔見知り同士の戦争だったので投降勧告をしたら内応者が出てきたのである。
先手として攻めかかった盛秀は得意満面である。

だが、好事魔多し。落ちた梁取城から近い要害、和泉田城に向かおうとした時のことである。局地戦の勝利に多少は沸いた陣中に急報が入った。
「河原田勢が田島に乱入しました」
「何ぃッ!!」
盛秀は驚愕した。
「針生の村々、一部、火の手が上がっている由」というのである。
盛秀の陣中だけ騒然となった。
「盛継め。ここへ援軍に来ないと思いきや、我が本拠に乱入したか」
次男、盛重が言う。「親父殿、駒止峠はここから近い故、さほどの兵を配置しておらぬ。即座に戻らねば」
中山峠には長男の福国を配したが、駒止峠はここ梁取から近いのでそれほどの兵を配置しなかった。鴫山城の留守を守る三男の九郎左衛門は若年で戦巧者とはとてもいえない。城を守るのが精一杯であろう。
盛秀は旧山ノ内家の寝返り将は無視して伊達の将校たちに陣払いを願った。事態が事態である。即座に撤兵の許可が降りて、盛秀と田島勢は田島に馳せ返ったのである。
(だから言わんこっちゃない。連れて来た兵が多過ぎる。領内殆ど空同然なのを河原田の殿が見抜いたのであろ)
馳せ返る馬上、治郎右衛門も焦った・・・(続く)
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盛秀と盛継 第二話 ~二張りの弓~ [盛秀と盛継(会津)]

犬猿の仲同士の地図.jpg
田部原治郎右衛門は、従者1名連れて、滝の原から中山峠を越えた。
舘岩郷に入る。右手には高杖高原が見える。
舘岩郷へ1.jpg中山峠への道.jpg
行く道すがら、治郎右衛門は主君、盛秀と、これから会う河原田盛継のことを考えている。
「何故、ああも仲が悪いのやら」
お互い、ムシが好かないのであろう。盛秀は盛継を「何を考えてるのかわからない偏屈者」と思い、己の予想通りに動かないのが気に食わないのではないか。
盛継は盛秀の臨機応変さを今は「伊達の小僧に寝返った二股者、要領良しめ」と思ってるに違いない。
「どっちもどっちだ」とも思う。頭の回転の速さは主君、盛秀の方が勝っているようだが、そのせいで逆に器が小さく見える時があるのだ。
盛継に対しては「あの御仁は子供だ」に見えなくもない。だが治郎右衛門は、主君盛秀ほど盛継に悪い感情は抱いていないのだが、今、治郎右衛門が歩いている舘岩が二人を決定的な亀裂にしたともいえる。

さる年の秋、南会津、西会津に大雨が続いた。舘岩郷の上流に山津波が起き、舘岩川の水が堰き止められやがて決壊した。舘岩郷の村々は泥流に見舞われたのである。僅かな農作物は殆どが全滅した。
この時、中山峠の道も崩れ、舘岩郷は田島の長沼盛秀から見たら孤立してしまったのである。すぐには助けられず、そのまま降雪の季節を迎えた。
崩れた舘岩郷に救援の手を差し向けたのは河原田衆だったのである。盛秀の村目付や横目付は後で盛秀に報せたが、中山峠の道が崩れて越えられず豪雪になり、道が復旧したのは翌年の雪解け、春以降のことだった。
被害に遭った村々の農民は年貢はおろか自分たちの喰う糧すら失ったが、河原田勢は少ないながらも舘岩の農民を救済した。
舘岩の農民は河原田衆になついた。河原田盛継はこの天災の顛末を、盛秀を無視して頭越しに黒川城の蘆名義広に報告した。だが常陸の佐竹から来た養子、義広に、会津辺境のことなんか裁量できるわけない。そのまま中山峠から伊南寄りの舘岩二十余郷はなんとなく河原田氏の領地になってしまったのである。
「だが、横領は横領だ」
治郎右衛門は舘岩川に沿って街道を下り、恥風を抜けて伊南の地に着いた。

河原田盛継の居城は駒寄城という。山城なので、平素、居住している麓の館で治郎右衛門を引見した。
この地で産する上質な木を使ってはいるが古い。質素な板の間である。
鴫山の方がまだ垢抜けて見えると思った。
その正面に、噂の河原田盛継が座っている。
治郎右衛門は盛継の気性、気骨が嫌いではない。我が主君、盛秀にないものを持っている。弁は立たず、前に進むのみで左右の応用が利かない性格だが、一徹で戦闘には強い。
田島衆から見たら横領とはいえ、被災した舘岩郷の農民を掴む辺り、なかなかの義侠の持ち主でもある。
だが、お互い、西会津の小領主に変わりは無い。

傍らには、一の郎党、伊南源助、一族の河原田佐馬允吉次、和泉田城将の五十嵐和泉とその副将、宮床兵庫介。
同四郎右衛門、同杢右衛門・・・
他に、渡辺九郎兵衛、只見大炊介、馬場弥次右衛門、大桃右京、芳賀阿波といった伊南の田舎武者の面々。
治郎右衛門は、たかがこの俺程度の引見に随分人数が多いと思った。長沼から何しに来たかと警戒しているのだろうか。

河原田盛継は書状に見入っている。
だが、読むほどの長く細かい内容は書かれていない。そっけなく言った。
「一族郎党にて協議してお応え致す」
その後を、伊南源介が引き取った。「今宵は当方が用意する宿にて休息されよ」
下がる前に治郎右衛門はすすめる。
「これは、我が主盛秀からの心ばかりの気持ちでござれば。お納め下され」
「ホウ、これは・・・」
反物が三巻あった。
伊南源助が「鴫山殿の女房殿たちは、日頃から良いものを纏うておられるのですなぁ」と穏やかに言った。
皮肉かと思いきやそうでもないようである。河原田家中は野暮で無骨者ばかりだが、何処か大らかさがあった。
宮床兵庫介が宿所に送ってくれた。

治郎右衛門を宿所に案内させてから、一の郎党、伊南源助が切り出した。
「さて、どうする?」
実は源助は、主君、盛継の意はわかっている。敢えて意見を言わせた。
「田島の真意はなんだ?」
「政宗公はどのような御仁なのだ?」
「蘆名盛氏公ならまだしも、あのような若造・・・」
「政宗殿はもうお許しにはなるまい。仙道や高玉、安子ヶ島のようになるだけだ」
これは撫で斬りのことである。
「山ノ内の殿と組んで抗戦すれば持ちこたえられようか」
所詮は田舎武士の評定である。先のことはわからず、目の前の難関を如何に打破するかといった感じである。

盛継は黙っている。
家臣どもに言うだけ言わせている。別なことを考えている。
あの挑発は全く後悔していない。挑発した後、政宗は烈火の如く怒ったのだが、周囲に諌められて小領主である盛継を誉め、持ち上げるかのような口上をよこした。だがもう許さないであろう。
盛継は政宗の小僧も気に喰わないが、長沼盛秀の誘いに乗るのが嫌なのだ。盛秀のようにペチャクチャ周囲に撒き散らさないだけである。
墜ちた蘆名なんかにもう未練はない。だが盛秀が猪苗代盛国ともども伊達に気脈を通じたのが気に食わない。もともとソリが合わないのに決定打になった。

「源助」
家臣の意見沸騰の中、盛継は源助だけを近くへ呼んだ。
「治郎右衛門はどの方面からやって来た?」
「中山峠です。なので久川の普請現場は見られておらぬかと。着いたのは夕刻。普請の槌音も止んでおりました」
「村人や人足どもとすれ違わなかったであろうか」
「新城の普請場はここから北で、伊南川の対岸ゆえ、夕闇に紛れてまずは見えますまい」
盛継が今いるのは駒寄城だが、実はこの先、北2kmの地に新城、久川城の工事真っ盛りなのである。治郎右衛門が北の駒止峠を越えて、山口村から来たのなら新城は目に付いたが、南の中山峠ならここから北に行かない限り目に触れない。
明日、返事をして帰すにしても、駒止峠方面へ向かわせてはならないと思った。

ほどほどに意見が出尽くしたところで、老臣、芳賀阿波という者がにじり出た。
「愚見を申し上げてもよろしいでしょうか」
「申せ」
「既に蘆名様は滅び、伊達とか申す者の世に移り、人道が衰えたとは申せ、当家は藤原とご縁のお家柄。結城の末裔にござりますれば・・・」
「かいつまんで申さんか」
「義広公が黒川を落ちたからといって手の裏を返すようなことがあってはなりますまい。年来重恩の郎党らと一心にしてこの要害に立て篭もられ、田島勢や伊達勢が寄せ来たれば防ぎ、叶わぬ時は隣国の上杉景勝公にご加勢を願いましょう。それも叶わぬ時は御運つきたることと思し召し、この地に滅んでも家の面目、名は末代まで残りましょう」

座中、静まり返った。
やや間を置いて、深く頷いたのは盛継である。素っ気無く言った。
「田島の勧誘には乗らん。伊達に徹底抗戦する」
満座の者どもも同意見であった。

「では使者に書状をしたためる。今宵は呼ばずともよい。酒でも喰らわせとけ」
「あの反物は如何致します」
盛継はやや返事に詰まった。
「突っ返すのも野暮であろ。奥に下げ渡してやれ。源助、さきほど、使者の治郎右衛門に言った皮肉だが、最近、女房殿と上手くいってないそうではないか。田島の反物、着物に仕立てたら一つ下げ渡そうか」
盛継は笑いもせずに大真面目な顔で言った。一同、ドッと笑い声が上がったが、源助は一人だけおかしくもない顔をしていた。

盛継は短めに書状をしたためた。「折角のご勧誘なれど、当方藤原秀郷の血を引く末裔なれば、武士としての面目をことの他重んじて候。武士として生まれ二張りの弓を引くような真似は出来ぬにござ候」
二張りの弓?
ここで盛継は悪戯を思いついた。
「源助、弓を持て」
「この弓にこう細工致せ。弓袋に入れて反物の返礼がてら使者に渡せ」
翌朝、治郎右衛門は盛継とは会えず、伊南源助から返書と、袋に入った弓を受け取った。袋には飾り結びまでついていた。訝しい表情の治郎右衛門はその弓を従者に持たせた。
治郎右衛門は舘岩村を今一度見る目的もあり、中山峠方面へ駒を進めた。源助は送り狼のように同行して来た。
盛継は密かに築いている新城、久川城は朝霧で見えなかった。治郎右衛門が国境へ去る頃まで槌音を停止させたのである。

「これは・・・」
盛秀の顔が顔面蒼白になり、次に憤怒で朱を注いだようになった。
治郎右衛が盛継から拝領した弓には玄が二本張ってあったのである。
「二張りの弓は引けぬということかっ」
書状にもはっきりそう書いてあった。「藤原秀郷の末裔の家に生まれ、武士として二張りの弓は引けぬ」と。だが書いてない部分で意味はもっと深く、盛継は盛秀に「お前は蘆名、伊達、二張りの弓を引くがよいさ」と面当てしてきたのである。
「治郎右衛っ!!」
治郎右衛門は平伏した。治郎右衛門は伊南を去る時、口頭で返事は貰えず、返書と返礼を持って帰っただけなのだが、まさかそんな悪戯が隠されているとは思わなかった。河原田の殿も困った悪戯をなさると内心閉口した。
「その方っ!!こんものを受け取っておめおめ帰ってきたのかっ!!」
「弓の袋の中までは見ませなんだ」
「おのれ盛継め」
弓の弦が二本あるのがどうこうではなく、盛継が帰順を拒否してきたことは予想の範疇ではなかったか。季節はずれのカミナリだが、所詮はカミナリだ。止むのを待つしかない。盛秀のあまりの剣幕に、長男の福国、次男の盛重、三男の九郎左衛門、侍大将の中妻源太佐衛門、同じく小野丹波らが「何事か」と集まってきた。
「何だこの弓はぁっ!!」
血の気の多い次男、盛重は、二張に細工された弓を見て激怒した。息子のその剣幕を見てさすがに盛秀は冷静さを取り戻さざるを得なかった。すかさず治郎右衛が具申する。
「御屋形、お怒りはごもっともなれど。むしろお嗤いなされ。河原田の殿は先年の政宗公への挑発もそうですが、このような児戯に等しいことしかできぬ御仁でござる。これで伊南討ち入りの名目が立ったでございましょう。伊達の殿に某がお使者に参りまする。口上は、伊南を我らに賜りますれば、河原田如き我らが討ち取るでありましょう、でよろしゅうございますな」
これまでの治郎右衛の進言は盛秀の感情に油を注ぐものばかりだが、一々筋、理が通っている。
息子たちの手前、赤黒い顔に冷静さを装って盛秀は許した。大声を張り上げたのがまるで馬鹿みたいである。
「では苦労だが、黒川へ使いを頼む。あっ、それと、舘岩方面の郷はどうなっていた?」
「以前よしは多少、実りが枯れたようですが、殆どは旧に復しておりました」という。
これ以上ないという苦虫を噛み潰したような表情で盛秀は頷いた。

治郎右衛門は黒川へ使者に立った。
政宗に面会し、「河原田盛継に政宗公への帰順を促しましたが拒絶されました。伊南を我らに賜りますれば、河原田如き我らが討ち取るでありましょう」と言上。政宗も同意した。

会津人同士が伊達軍を巻き込んで、西会津、南会津を戦火に巻き込もうとしている。
だが盛秀はまだ知らない。盛継が久川城という要塞、新城を築いていることを。(続く)

二張の弓(ニチョウノユミ)とは、武士が二心を抱くこと。節操をまげることのたとえです。
河原田盛継が長沼盛秀に弓に弦を二本張って送ったのは創作です。盛継が盛秀に「二張の弓を引くような真似はできぬ」とけんもほろろな返事をしたのは会津若松市内の書籍に散見されます。
舘岩郷に自然災害があったのは創作ですが、盛秀が盛継に舘岩二十余郷を横領された遺恨という箇所は若松市内の書籍にあります。
田部原治郎右衛門雅盛は架空の人物です。
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