So-net無料ブログ作成
検索選択

ディープな階段 [隠れ郷土史]

この写真は2005年のもので、鉄砲3000丁三段撃ちの場所、設楽原と、その前哨戦、長篠城。
この頃、私はまだ髪があったし、ジャン妻も若くて細かった。
処理済~設楽原古戦場の馬防柵とジャン妻(このころは細かった).jpg処理済~長篠城のジャン妻(このころは細かった).jpg
この長篠城を死守した奥平という城将の祖先が上州のさる場所にいた。それが下左の写真。
市の案内板はしっかりしていた。だが奥は藪、藪、藪で、それほど奥深い山でもなく広大な敷地でもないのに四方が藪で外界が見えず、賢明な方は「行くの止~めた」って途中で断念する。
だが、止せばいいのにどんどん奥にハマって行き、自分が何処にいるのかわからずパニックを起こし、あわやプチ遭難しかけた人もいるという。

私も偶然、この前を走っただけで奥には行っていないが、この城の“詰めの城”(緊急時に立てこもるか、最終手段の城)がここから800m先にあるのを知ってしまった。それが下右の写真。
そこは比較的コンパクトで、麓の道から本郭まで階段で一気に登れるという。
長々と歩かなくても済みそうだったので行ってみた。。。が。。。
奥平城遠望.jpg詰めの城、馬場城.jpg
舗装されているけど道が細くなり、船山温泉前の林道みたいに川に沿った農道、林道を走って行くと更に道がどんどん細くなっていった。
停める場所を探してウロウロしてたら林道の基点があった。
馬場長坂線というこの林道は、どうも何者も道に入った形跡がなかったので「いいやここで」って停めた。
林道基点.jpg林道に入る1.jpg
この林道、地図を見ると、城山をぐるっと回ってるが、実際は廃道状態である。
長年、荒れた風雨に曝して手入れしないとこうなるのかといった林道だった。
林道に入る2.jpg林道1.jpg
林道2.jpg薄暗い林道.jpg
ジメジメした足元を踏み踏み緩い坂を上って行くと、薄暗い曲がりの左にアヤしい階段があったのです。
薄暗い登り口.jpg近づいてみる.jpg
事前にわかっていたのは、道なき道を登ったり、ロクに整備されてない散策路を延々と歩く必要は全くなく、この階段を登れば一気に主郭にたどり着けるということ。労力は少なくて済むハズだった。
だが、この階段が問題でして・・・
まず、暗い!!
晴天下、昼間なのに凄くダークな階段なのだ。
階段1.jpg階段4.jpg
段数が多い。
何段あるんだろう。数えながら登ってみたが、途中で何段かわかんなくなっちゃった。
神社の参道じゃありませんよ。何の苦行かわからないが、最後まで行かずばなるまいて。

ボロい。
濡れた落ち葉が積もって滑りやすい。
バリッと足元が崩れた。崩れたというか、板で押さえていた階段が割れたりした。ところどころ劣化しているんです。手すりもさびている。
階段2.jpg崩れた階段.jpg
こういう時、片手にデジカメを持ってると足元に神経が集中しないので危うい。なので写真は少ない。階段なのもあって体が上下に揺れ、後で見たら写真は殆どボケていた。
この階段は作った時は手すりがなかったらしい。後年、誰か滑落したのだろうか。
登ってみたら。。。.jpg藪藪藪.jpg
頂上主郭は荒れ放題。
不良がタバコやシンナーでも吸うにはカッコウの場所である。
錆びつくして皆目読めない説明版があったがさっぱり判読できず。。。
ジメジメして暗い。木々に遮られて眺望も全く見えない。
資料によると、この東側に1条、西から北にかけての尾根に2条の堀があって、主郭のまわりには腰郭もあるそうだが確認しなかった。

ここ、馬場城にいた奥平氏は、前に載せた寺尾城に籠もる尹良親王に従い、南朝方として寺尾城の南側、吉井方面の守りを固めていた。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-07-08-1
後に北朝の上杉憲定の圧力に耐えられず、ここ、奥平郷を棄て三河に移り住む。
長篠城を死守して徳川氏に従い近世大名へと転身した。
そこは後世、メデタシメデタシだが。。。

帰路が大変だった。
こういう階段は登りより降りる方が危ういもの。慎重に慎重にゆっくり降りる。余り得るものはなかったので拍子抜けしてるのでアブない。
結構、急な階段で、腰郭とおぼしき脇から水が流れた跡が確認できたので、この階段、豪雨の時には滝と化すのではないだろうか。

風化した碑の側には民家が数軒あり、切り干し大根を作っていた婆さんと目があって私は目礼したが、婆さんは無表情で何も返さず。何処のアホが来たかという表情であった。

後で見たら写真は殆どがボケボケだった。
登り口だけ撮影しなおそうと再度、行ったんですが、どうしても上手く撮影できなかったんです。
もうあのクソ階段を上る気もサラサラ起きず。
馬場城遠望.jpg馬場城縄張り.jpg
ナワ~ルドさんの銘が脳裏に浮かんだ。「無理せず撤退する勇気も必要」ってね。
コメント(6) 

コメント 6

ナワ~ルド@旅の空

た確かに言いましたよ。ただ写真なんかはアッとおもったら写した方がいいね。たいてい二度目はないから。
by ナワ~ルド@旅の空 (2012-12-07 19:56) 

雨曇子

人はだんだん狭いところに固まって住むようになり、職場と家、ポピュラーな観光地以外には出歩かなくなって、城址などは見向きもしなくなった実態が明らかになった。(感じたこと)
by 雨曇子 (2012-12-07 19:59) 

船山史家

ナワ~ルドさん旅の途中?何処の峠を制覇されてるんでしょうか。私は今は未だ事務所にいるんですが、目の前でジャン妻が仕事中で、私はデスクワークに飽きちゃって、こっちの地図で取材対象をコピーして切り抜いて、セロハンテープで繋ぎ合わせてました。
そう、二度めはないんです。撮影したんですが、集中力が無くなってたか、身体が揺れてたか、写真見たら殆どがボケてました。
by 船山史家 (2012-12-07 20:52) 

船山史家

雨曇子さん。私はちょっと変わり者で、ポピュラーな観光地には行かない人なんですよ。ジャン妻に至っては観光を全くしません。なので仕方なく私の行く場所に嫌々付いてきます。
でもさすがに山城には付き合ってくれなくなりましたね。
草に埋もれ、人知れず眠ってるもの、地元でしか知られてないもの、地元の人ですら知らないもの、そういうのに惹かれますね。
by 船山史家 (2012-12-07 20:53) 

雨曇子

船山さんのような人や、自分は出来なくても船山さんに共感する人がいるからこそ日本は成りたっているのです。
一昔前は、銀座は全国にできた。今は、スカイツリーが有名になるとみんな向島に来てしまう。新幹線だけで人は移動し、他は、本数が減らされる。
(本題からずれそうなのでこのへんで・・・)
by 雨曇子 (2012-12-07 23:54) 

船山史家

雨曇子さん。遅い時間にどーもです。しかも恐縮至極なお言葉を賜りまして。
仰る通り、新幹線が開通すると在来線が放棄される現実がありますね。本線からローカル線になるのはまだしも、存続意義が少なくなって廃止になったりしますから。廃止って今は届出制でいいらしいですからね。
私は未だスカイツリーに行っていません。こっち(上州)に転勤してしまったのもありますが、高いところが苦手でして。
by 船山史家 (2012-12-08 20:13) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。