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里見に眠るもの [隠れ郷土史]

晩秋から冬、師走に向かって時が流れていく。
先だって、秋間森林鉄道社長からコメをいただいたのを機に久々にこの橋台を思い出した。
里見五号橋台です。
橋台1.jpg橋台2.jpg
過去記事。長いけど。http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-08-26
この橋台が里見軌道の跡という確証は得られていない。何処かに隠れてるであろう残りの3つの橋台散策は、むせ返るような草いきれの夏場以降は一旦、打ち止めになっています。
枯葉が舞って草が枯れる季節になってきました。夏場よりは散策し易くなる筈。機会を狙って探しに行ってみようかと思ってます。

何も語らない第五号橋台。
見てると何故か落ち着くんです。明治からここに建って、君は何を見てきたんだい?
第五.jpg明治43年.jpg
「この道は昔は農道だったの。農道の土崩れを防ぐ為のものじゃないの?」
と言ったのはこの近所で出会ったオバさん。
引き止めても悪かったので「ああ、そうですか」で別れたけど、土崩れを防ぐ構造ではないでしょう。決まった幅だけ垂直に迫り出してるし、間違いなく橋台です。
残り三基の橋台、せめて一つだけでも来年の春までに見つけたいものです。

ここから程近いところに、もう一つ、「草が枯れたら行ってみよう」と思ってたところがあって行って来ました。
里見城跡看板.jpg里見城本郭.jpg
ここに里見氏がいた。
何処かで聞いた名前?房総半島安房、南総里見八犬伝の里見氏の祖?

新田氏の初代で義重という人、この人は頼朝の旗揚げにすぐに馳せ参じなかったので不興を買い、後年の義貞に至るまで足利氏との差がついてしまうのだが、その義重の三男、里見義俊から出ている。
そこから何代目かわからないが、八犬伝に出て来る里見義実は永享12年(1440年)4月の結城合戦で結城城に籠城。陥落時に脱出。安房に落ち延びて後年起死回生。房総里見氏の祖に。

じゃぁこの里見城はどうなったのか。終焉は信玄の上州侵攻時だそうです。その頃まで里見氏の誰かがいた。
南総里見八犬伝の序章は、前述、里見義実の、安房入国にまつわる伝説を題材としているのだが、この地から結城合戦で籠城し、落城時に脱出し、後年、安房で興した。
ここ里見地域には戻らなかったのだろうか。

里見城は里見川に面した小高い段丘上にある。
巨大な鳥居が目印。この鳥井の背後、墓地の奥に方形の郭があって、夏場に行ったら草ぼうぼうで蛇でもいそうだった。
先日、行ったら草刈がされていた。
草が刈ってある.jpg説明版.jpg
奥に民家が一軒ある。
居住しているかどうかはわからない。でも廃屋ではないようです。
もしかしたら中から俺を見ているのでは。得体のしれない闖入者と思ってるのではないか。
墓地があり、廃車があり、何ともいえない気持ちになった。
誰かが俺を見ている。。。?

夏場は踏み込めなかったのだが、西南部には高い土居があった。
西南の土居1.jpg西南の土居2.jpg
西南の土居3.jpg西南の土居5.jpg
里見橋台の散策中に、ある地元の人に訊いた時、この城についても聴取したら、
「こっちの人は、こっちが里見さんの発祥地だって言ってる」
「じゃぁ房総の人は?」
「向こうは向こうで、こっちが本家だって言ってる」
どっちでもいいみたいですね。
草が刈ってある2.jpg橋台3.jpg
里見軌道未成線とこの城跡は、途中、県道で分断されているけど、地形上は同じ地続きの丘陵になっている。
里見城の何処かに里見軌道は予定されてたと思う。だが今となっては何処の位置か特定できない。軌道敷設に至った確証はないし、それらしき跡があっても、それは近年の農道でしかないかも知れない。

里見八犬伝は8騎で里見橋台は5基か。。。
来春までに八犬。。。じゃなかった。。。発見できるだろうか。。
コメント(6) 

コメント 6

雨曇子

よし。「里見城」、来年のテーマに加えよう。
私は、実証的にではなく、妄想的に迫ります。
あくまでも暇つぶしに。
by 雨曇子 (2012-12-06 10:07) 

ヒロ

これ、完全に「山いが」の世界ですね(笑)
史家さんに紹介されて知った「山いが」、その後すっかりファンになってしまい、その後「日本の廃道」を購入するようにまでなってしまいました。
そういえば船山温泉近くのR52旧道・下山隧道は行かれました?

by ヒロ (2012-12-06 18:53) 

船山史家

雨曇子さんのテーマ「里見城」は房総半島の里見城ですよね。八犬士もお願いします。
妄想的に?
では九人めの犬士なんて如何でしょう。「八犬士になれなかった漢」なんていないかな~。
by 船山史家 (2012-12-06 20:04) 

船山史家

ヒロさん。
R52旧道下山隧道は未訪です。リアルタイム的に今、隧道はちょっと。。。(^^;
「日本の廃道」買ったのですか?
よっきれん氏はハンパじゃないですからね。先日、ある廃線ポイントに行って、行政上は立ち入り禁止だったのですが、「この程度ならよっきれん氏なら危険地帯でも何でもないだろう」と思って強行突破。その先にあったものは。。。
レポはしばしお待ちを。
by 船山史家 (2012-12-06 20:05) 

るな

こんばんは。
里見氏=千葉のイメージが定着していますが実は群馬の方
だった!?これは驚き。人に歴史ありですね。
でも里見氏は後北条氏に屈することなく最後まで抵抗。
その姿勢は素晴らしいです。
by るな (2012-12-15 18:37) 

船山史家

るなさん旦さん。
こちらにカキコミがあって私、レスしてなかったですね。気が付かずスミマセンでした。
里見氏=千葉ですが、先祖の新田氏の流れで上州なんでしょうね。
後北条氏は年貢が緩かった=良政だったと言われてますが、伊豆の狩野城から南の豪族には厳しい姿勢で対したと聞いています。里見氏にしてみりゃ自分らの方が名家だという自負があったんでしょう。
里見氏は安房を取り上げられて、このすぐ近くの板鼻という地に一時期だけ復帰していますよ。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2012-06-08-1
by 船山史家 (2013-01-21 17:24) 

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