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上州電気鉄道未成線跡 [廃線跡]

オカシな構造物.jpg何だこれは?.jpg
民家の敷地内に、こんなのがあった。
この構造物があるのは、板鼻陸橋下という交差点脇にある。県道10号(上毛三山パノラマ街道)、26号、137号、3つの県道の交差点です。
庭で植木を切っていた住民さん、オヤっさんに訊いてみた。
「何ですかこれ?」
「ああこれはね。軽井沢の方へ伸びる予定だった鉄道の跡・・・
橋台、橋の台だという。
橋というからにはもう片方あったに違いない。現在は片側のみある。何やらアヤシイものの看板になっている。

実は私、これの存在をこっちに来る前に知っていました。故宮脇俊三氏の監修によるJTBブックス「鉄道配線跡を歩くⅦ」に紹介されていたんです。民家の敷地にある橋台というのがキョーレツに印象に刻まれ、発見した時、「何処かで見たな」って。
ブックスには、オッさんが言う「軽井沢方面へ伸びる予定だった・・・」とまでは書かれていなかった。そういう夢があった、夢を見た人がいたんでしょう。廃線は廃線なんだけど、この上州電気鉄道橋台は未成線なんです。未成線とは着工したけど完成しなかった、開通に至らず諸事情の為、途中で「止~めた」って放棄されたもの。
なのでこの橋台には電車は一度も走ることはなかった。

廃線跡シリーズ.jpg未成線(みせいせん)とは、計画、建設段階で中止され、完成しなかった鉄道路線のことです。
最初は鉄道関係者やマニアの隠語か造語だったらしい。一般人はこの造語を使わなかったというか、知らなかった。知らなくても日常に支障なかった。
それが故宮脇俊三氏監修の書籍他で広まったのは、「完成されていたらどうなっていたか」というロマンを辿る趣味の世界からだと思う。

未成線は枠が狭いようで広い。
着工区間があったか、もしくは営業までこぎつけて、そこから先は・・・・・・のように計画路線があれば未成線と位置づけられるようである。
私はこれまで、営業はおろか、全く工事着工しなかったものでも、地図に描くと全線が・・・(点線)・・・で表示されるものは未成線ではなく計画線、構想線だろうと思ってたのだが、免許を得られなかった(却下された)区間や構想段階、計画段階で消えたものも含めて未成線と呼ばれるらしいです。
例えば、軌道が全く着工しなかった熱海モノレールも未成線と呼ばれている。(熱海駅のみ着工した。)

JRでも私鉄でも、鉄道事業者が国土交通省に敷設許可を申請したとして、
免許線、これは工事は未着工。
工施線、免許から一歩進んで、工事が認可されたもの。用地買収や一部だけでも工事に取り掛かったもの。
これらは未成線扱いになる。

同じ線形だから、道路も未成線と呼ぶかも知れない。特に近世、予算凍結等で工事半ばで中止されたものは社会問題の的にもなる。

以下、難しい話で恐縮ですが、国鉄→JRの民営化に伴い、昭和61年に施行された鉄道事業法の前の地方鉄道法には、敷設免許の取得により、初めて鉄道会社の設立ができると定められるとあった。
上信電気鉄道株式会社の場合、免許取得が大正9年で会社設立は13年と伝わる。
最初の段階でもう4年もロスしている。資金が無かったのがうかがえる。

免許には期限があるらしい。同法には免許の失効に関する規定があって、期限までに工事ができなかった場合や、営業廃止となった場合に免許が失効となると定められているが、期限がどれくらいなのかはちょっとわからない。延長申請とかの救済策があったかも知れない。

この未成線の計画そのものは壮大だった。
群馬八幡駅から里見を経由して、吾妻や榛名湖、草津方面へ延長する計画で、更には県境を越えて長野県まで延伸する野望、夢もあった。なので冒頭のオッさんが言う「軽井沢の方へ」というのが確かにあったのです。
ただ、起点については諸説あって、当初の起点は群馬八幡駅ではなく、現在の上信電鉄の南高崎駅を起点としたという説もある。
軌間は1067mmなので我々が日常乗る電車の規格(軌格?)でしっかりした線路だった。

(この会社の本社は東京にあって、倒産前はこの橋台のある板鼻町に移転してきたとか。となると現在の下仁田まで走る上信電鉄とは無関係だったようだが、別項で出て来る“超”が付く謎廃線、里見軌道が資材を運んだ発電所との関係が怪しまれる。)

群馬八幡駅.jpgよくある話で資金難に陥ったようです。
金が無く工事が遅々として進まないうちに昭和3年、最初の予定ルートの免許が失効しちゃったので、起点をズラして当時は飯塚駅といった現在の北高崎駅を起点とするプランに変更した。
ところが烏川を渡る資金が無く、昭和5年に群馬八幡駅に変更された。南高崎→飯塚(北高崎)→群馬八幡です。
それでも金が無く、[あせあせ(飛び散る汗)]大正15年には安中~板鼻(この橋台のある辺り)と、上里見~何処かが失効し、昭和6年か7年には会社が倒産。翌8年には全線失効した。


実際の工事区間は2割だけと某資料にあった。冒頭に紹介した取り残された橋台はその名残です。
見た感じ、キョーレツで、最大の遺構のようだが、唯一の遺構というわけでもない。
この延長上には神社があって、この近くに車庫ができる予定だったと書いてあった。
神社の向かいにはこんな畑、用地がある。おそらく車庫予定地ではないか。
謎の神社.jpg車庫予定地と伝わる場所.jpg
まだある。
路盤の跡が残っているのです。民間会社の寮の側に、鉄路を敷設する築堤という盛り土が続いている。
この盛り土については、前述の本にも小さく載っていた。
路盤の跡1.jpg路盤の跡2.jpg
このスペースは現在、雑木林になっているところと、民間に払い下げられたか、もとの持ち主に返されたのか、畑になっているところもある。鉄道用地なだけあって平らだから耕し易いのでしょう。
近隣には新しい住宅も建ちはじめている。そこの住民さんたちはおそらく他から引っ越して来たのでこの廃線の
ことは知らないと思われる。
今ある路盤跡も、いずれは宅地になるかも知れない。
路盤の跡3.jpg路盤の跡4.jpg
いかにもそれっぽく見えるでしょう。でも実際にレールが敷かれるとこまで工事されたかどうかは不明です。
路盤の跡5.jpg路盤の跡6.jpg
路盤の跡7.jpg路盤の跡8.jpg
自然に還っていく.jpg盛り土部分は何となく、それらしく、鉄道用敷地といった感で細長く続いていくが、その先は自然に還っている。判然としなくなった。
この先、何処まで工事が着工されたのか。
中里見というところの泉福寺という寺付近に、二つの橋台が向かい合うように建っていたという情報もあったが私はそこまで行っていない。
廃線跡というのは、長~い路線跡をトレースして、そこにあるポイントポイントを抑えて行く根気が必要なのを感じた。私はそこまでしなかった。


橋台に戻ります。
こんなものが庭にあったら、「ジャマじゃないですか?」
ところが所有者?のオッさんは意に介さず、
「そうでもないんだよ。これのおかげでトラックや大型車が突っ込んで来れないんだよね」
家を、庭を、敷地を護っている防波堤のような役割を担っている。風化していてわからないが、くるまがぶつかったり、かすったりした跡もあるのかも知れない。
処理済~脇から見る1.jpg処理済~脇から見る2.jpg
ポツンと残るコンクリの橋台だが、盛土は何処に転用されたのだろうか。
並行して走る県道に転用されたという説がもっぱらです。オーバークロスする高さが同じだし。確証はありませんが。。。
現在は、脇に電気の配電盤ボックスみたいなのが取り付けられていて、夜は妖しく光るのかも。

上州電気鉄道橋台と築堤位置関係.jpg←場所はここです。
この未成線が発端となって、ここから北2kmにある写真下の建造物について調査中ですが、某サイト以外は資料、文献が希少な状態なのだ。
記事はだいたい出来上がっています。近日中にUpします。
謎の橋台.jpg
コメント(6) 

コメント 6

似非師匠

史家さんの丹念なレポには、常々驚嘆ばかりです。
今回の記事、宮脇俊三氏も真っ青ですね。

廃線跡もだんだん改変されていって、そのうち鉄道(予定線)の跡だった
等と語る人もいなくなってしまうのでしょう。
続編を期待しています。
by 似非師匠 (2012-08-29 12:56) 

船山史家

宗匠さま。お久しゅうございます。
最大級の賛辞ありがとうございます。
来週辺りUpする続編は、私の過去記事では最長になりました。マウススクロール×14回か15回必要ですのでよろしくお願いします。(笑)

廃線ってUpするのに根気がいります。旅館や居酒屋やラーメンみたいに一回勝負ってわけにいかないですね。
資料を見ただけじゃ単なる転記だし、現地を見て、そこで話を聴かないとオリジナルな記事にならないですから。
人間ドラマなんか30分で書き上げられるのに、廃線は半日以上かかりました。
またヨロシクお願いします。
by 船山史家 (2012-08-29 17:01) 

ナワ~ルド@峠おやじ

未成線といえども、廃線跡の探索は時間がかかります。ルートを地図に落とすのは旧街道探索以上に困難だったり、実地で探すのも相当根気が要ります。

昔を知る人(自転車人の廃鉄マニアの中ではそういう有り難いお方を「鉄観音」と言ってます)に行き当たることも遠くから探索に行くサラリーマンには行幸に近いですから、お仕事上とはいえそういう地域を回れることは幸せなことですよ。

とはいうものの実際に探索されるジャンキーさんには頭が下がります。続編楽しみにしてます。
by ナワ~ルド@峠おやじ (2012-08-29 21:56) 

船山史家

ナワさんおはようございます。
白状しますと、転勤前の3月末、自分の赴く先に「こんなのがあるんだ~」ってチェックはしてたんですよね。それとこの一連の探索は公用で外出している途中の寄り道でして、何回かに分けて見回っています。1回の探索にあまり時間はかけられないのです。

こっちはくるまで移動するので、人が歩いてないんです。歩行者が殆どいないんですよ。たまたま庭で植木を切っていた住民さんに話を聞けたのでラッキーでした。なので昔を知る人=観音様っていうのはなんとなくわかるような気がします。話を聴けたらアリガタイですからね。
by 船山史家 (2012-08-31 06:16) 

雨曇子

鉄道ファンの行き着く先は、未成線ですね。
この世界は奥が深そう。
「何でも調べてやろう」のHさんに拍手。
by 雨曇子 (2012-12-01 10:15) 

船山史家

雨曇子さん。
この橋台の前は今でも走っています。
アヤシげな看板、「夢殿」は城の櫓みたいな建物でした。
里見梨の看板もありますね。この記事の姉妹編、里見橋台のある辺りです。
開通して廃線になったものより、何で開通に至らなかったかという部分で、未成線は奥が深いと思います。
by 船山史家 (2012-12-01 11:09) 

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