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志賀城、生首三千の真実!! [隠れ郷土史]

行きたかった場所がある。
見ておきたかった場所がある。
だがそこは、一度行けばそれで充分ともいえる場所でもある。
そこに行ってきた。おそらく最初で最後だろう。

故・新田次郎氏の著書「武田信玄」の一節で、信玄が家臣に言われた台詞でこういうのがある。
「叛く佐久を殺せば佐久は限りなく叛くでしょう。佐久の人ことごとく叛いて死に絶えても、草木が武田に叛くでしょう」
言ったのは横田備中高松(タカヨシ)という家臣。言ったタイミングは信州戸石城の攻撃前。
言われた信玄はムッとした。
耳が痛かったのだろうか。これは信玄の佐久への過酷な弾圧に対して皮肉を通り越した諫言です。この後、言い捨てた横田は前線で戦死、結果、諌死のようになったのだが、この砥石城他、信濃衆は「志賀城を見よ。武田に下るは死より恐ろしいぞ」がスローガンになっている。
北信濃最強の雄、村上義清を演じた永島敏行さん、上條恒彦さん、部下を演じた鹿内孝さん、皆、そう言っていた。
志賀城を東側から.jpgこのスローガンのベースになってるのは、今回の記事、私が、いつか行ってみたかった場所、写真の山、信州佐久郡の志賀城を攻城した時、敵兵の生首3000を掛け並べて城兵を威嚇したのと、落城後、城内で捕えた非戦闘員、女子供も含む捕虜を売りとばした挿話に基づいている。
故・新田次郎氏の著書では「生首三千」というサブタイトルになっている。




信玄の佐久侵攻過程で小領主たちは降って来る。芦田、大井、相木。。。
だが、碓氷峠に近い要所を抑えている志賀城の笠原新三郎清繁は徹底抗戦の構えを示すのだが。。。
天文16年(1547年)7月、
酷い夏がやってきた。
ダンカン.jpg志賀城.jpg
9日、もと佐久衆の大井氏を先ず派遣。
13日、本隊が甲府を出発。
24日、志賀城を包囲。
25日、水の手を抑える。

笠原清繁は、小田原北条に川越城を追われ、上州平井城にいた関東管領・・・この時代での最弱戦国大名、上杉憲政に援軍を要請済だったらしい。
8月になってからその上杉憲政が派遣した軍勢が、数だけ2万という凄い数字で碓氷峠を越えてやったきた。(一説には3千)
小田井の辺り.jpgだが、信玄は慌てない。
志賀城の攻城軍はそのまま、別働隊を北上させ迎撃させる。この別働隊の将校が、のちに上田原で戦死する板垣信方、甘利虎泰と、冒頭、砥石城で「叛く佐久を殺せば・・・」って放った横田高松の“諌死三人衆”他だったというから笑えない。
6日、衝突した。
場所は佐久ICよりちょっと北の小田井という地です。管領軍は弱かったのか、兜首14、雑兵3000人が討ち取られたという。
そして、ここで3000という数値が出て来る。
凄い数だが本当だろうか。

首実検の後、その場で埋葬すればいいものを、この3000もの首級を、わ・ざ・わ・ざ・志賀城に持って来たか、「持って来い」という厳命だったのだろうか。
夜のうちに志賀城を包囲する柵や棚に掛け並べ、志賀城兵にこれ見よがしに見せつけた。
2007年のドラマでもこの場面はお茶の間を刺激しないように描かれていた。夏の炎天下の熱い太陽と、烏の鳴き声が響いていた。
勘介と生首.jpg生首のシーン.jpg
もちろん3000もの首を攻城陣にどうやって運んで来たかとも何も説明していないが、首実検という“儀式”や吟味ではなく、それだけに凄惨さが度を超している。
実際、炎天下に生首3000も運ぶことが物理的、心理的に可能なのか。
薄気味悪い話ではある。いったい、このネタは事実なのだろうか。

夜が明け、籠城兵はこれを見て仰天しただろう。戦意を喪失するが、覚悟を決めたのか降伏しない。
10日に力攻めが再開される。正午には外曲輪、深夜には二の曲輪に火を掛け城兵を追い詰める。
11日昼に陥落。笠原清繁は甲斐衆の萩原弥右衛門に討たれた。城兵300余が戦死。

その後の嫌な戦後処理は信玄ファンでも避けて通れない。
笠原清繁の妻は甲斐郡内の小山田信有が恩賞として貰い受ける。これは前に載せた。
ドラマみたいに寝首はかいていない。この時代の女性って強いだろうから哀しみながらもしたたかに生きたと信じたい。
問題は捕虜である。
以下、伝承のまま書くが、籠城兵が殺戮され、生け捕りになった多くの非戦闘員たちは、親類縁者がある者は二貫文から十貫文で身請けされたが、多くは甲斐府中に市がたち、黒川金山の坑夫や娼婦、奴婢として人身売買された。ドラマでは市のシーンも描かれいたが、嫌~な気分にならない方がどうかしている。
人買い市1.jpg人買い市2.jpg
河口湖畔に妙法寺というのがあって、そこの僧が日付を間違いながらもメモで書きつずった「妙法寺記」という資料がある。
これは有名な「甲陽軍鑑」みたいに、啄木鳥だの妻女山だの、車懸りだの一騎打ちだのといった講談じみた描写はない。川中島の項でも「御舎弟、典転殿討死ニテ候」といきなり書いてある。
僧の第三者的なメモだけに信用できるのだが、この志賀城について、小山田信有が志賀夫人を郡内に連れて帰った項の後に、「男女ヲ生ケ捕リニナサレテ候テ悉ク甲州ヘ引越シ申シ候。去ル程に二貫三貫五貫十貫ニテモ親類アル人ハ承ケ申シ候・・・・」
憂う両翼.jpg志賀城以降はそれなりの人間ドラマがあって、板垣信形や甘利虎泰が信玄の行状を憂い、上田原への大敗に繋がり、結果的に諌死になるのがお決まり。
菅原文太さん、本郷功次朗さん、千葉真一さん、竜雷太さん、皆、そうだった。
だが冒頭に書いた砥石崩城攻めでの横田高松の諌言は更にその後なのである。上田原の大敗でもコリなかったか、佐久を信用しなかったのでしょう。


雲興寺入口.jpgうっすらと。。。.jpg
「生首3000の地を見に行く」と言ったらジャン妻は嫌~な表情だった。
整備されてない城らしいので、「登らないから」という条件で連行した。

信越自動車道佐久ICで降りて南下する。
ナビなら志賀上宿にある「雲興寺」を設定すればヨロシ。この寺は笠原氏の菩提寺で中には墓もあるそうだが発見できなかった。
この「雲興寺」案内板の隣に、“さわやか信州”の表示と、薄く“志賀城”とあるのだが判別しない。気候は晴天で吹く風は快適だが、場所が場所、ネタがネタだけに気分的にはさわやかとはいえない。
寺の背後にあるイカツい山が志賀城。
雲興寺.jpg裏手の山が志賀城.jpg
標高170m。右奥の墓地付近に登り口があるのだが道が判然としない。足元も悪いので自重した。重機が置いてあったので何がしか整備するのかも知れない。
何を造成中なのだろうか.jpg登場口から振り返る.jpg
案内板も説明板もない。
「教育委員会は不親切ねぇ」
ジャン妻は不満そうである。だが内容が内容だし、生首3000、人身売買といった戦国の暗面史にしかならないから、教育上、アピールしにくいのであろ。

城下を東西に走る道を300mほど東に行くと、笠原新三郎清繁の首塚があるという。
畑をウロウロしたが発見できないのだ。
訊ねようにも農作業してる人がいない。この村々を攻城軍が埋め尽くした筈だが、今は長閑なこの地に生首が3000も並んだのだろうか。
そしたら、一軒の家から、農作業に出向かんとする男性が作業着姿で出て来た。

こういうのはウロウロするよりも聞くのが手っ取り早いのである。
「笠原さんのお墓って何処です?」
「お寺にあるよ。菩提寺だから」という答えが返ってきた。
「畑の中に塔が建ってるって聞いたんだけど」
「ああ首塚ね。それはこの先に行って、最初の・・・」
田んぼの中にあるという。

信玄公についてどういう感情をお持ちなのか突っ込んでみたら、
「いやぁ、あの時代は現代とは違うし、私らは上州人だから。笠原さんの子孫も○○市内にいるし。おたくらどういう関係の人?」
はぐらかされてしまった。
「いや、俺ら単なるヒマ人」
なので、この地に生首3000が並んだのとも聞けなかった。
この辺りで包囲したのだろうか1.jpgこの辺りで包囲したのだろうか2.jpg
言われた通りに行ってみたら石塔があった。田んぼの中というか、
「田んぼの真ん中にあるの?」(ジャン妻)
田には既に水が張ってあった。これから田植えに入るんだろうけど何ともいえない光景である。この塔を、首塚をいちいち気にしながら苗を植えなきゃなんないのだろうか。(ヒロさんどう思います?)
他のHPを見ると、移動させようとすると良くないそうである。
私はこれまで墓や首塚の類は撮影しない主義だったが今回は禁を破った。笠原さんに「悪く書かないからね」と念じて写真に収めた。
水田の中に.jpg笠原さんの首塚.jpg
農家の男性はこうも仰ってた。ハッキリ聞き取れなかったのだが、「この先、山の方に細い道を行くと別の砦があって。。。」という。
この別の砦とは、高棚城(下の地図参照)のことではないかと思うのだが、「奥さんの墓があって、当時出たものを集めた場所があって。。。」
図に乗った私はその辺りまでガレた林道を走ったのだが、道狭くアブないので発見できなかった。おそらく案内でも乞わない限り見つからないだろう。

だが、奥さんの墓?
甲斐郡内に連れてかれたんじゃなかったのか。
それと、当時でたものを集めた場所というのは何のことか?
想像するだに、それこそ志賀城の戦死者か、掛け並べられた上州軍の生首のことだろうか。さるサイトで、人骨が出て来たというまことしやかに囁かれる”噂”の記述もあるのだ。

農家の男性に、「他にも見に来る人、います?」って訊いたら、この地を訪れる人は少なくないそうである。
だが、現状見る限り志賀城は放ったらかしで、碑や案内板、説明版はない。
集落は長閑な地だが全体が侘しく、この地で起きたことについて沈黙を守っているように感じた。
志賀の里1.jpg志賀の里2.jpg
落城後、志賀城は放棄されたと思う。甲斐軍だって戦後この地に駐屯したところで気味が悪いに決まってる。
志賀城が歴史に現れるのはこの時だけである。信玄の暗面史を、薄暗い光芒のように照らすのみ。
甲斐郡内に連れていかれた志賀夫人の悲嘆はまた別の話になる。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-01-07
地図1.jpg地図2.jpg
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コメント 8

yossy

船山史家さん、こんにちは。

いや~、この話まったく知りませんでした~。
昔のこととはいえ、何とも凄惨な事件ですね。
戦なのだから、気持ちの良い話でないことは確かですが、ここまでやらなくてもと思うのは、私だけではないと思います~。

大きなお城などは、無くなっても、首塚等は、残っているのですね。
でも、田植えや稲刈りには、少々面倒な場所に立っていますが、さすがに、どけることもできないでしょうね。

おかげさまで、食欲は無くなりましたが、昔の戦の凄惨さを改めて再認識させていただきました。香味深かったです。m(__)m

私は、明日から出張で、3日ほど留守にします。貴殿の記事を読めないと思うと寂しいです~。



by yossy (2012-05-21 16:17) 

ヒロ

どうも、ヒロです。
何ともはやシュールな光景ですね~(^^;
機械の取り回し云々よりも、田んぼに首塚があるというのが信じられないです。パッと見で、秀吉の高松城攻めを連想してしまいました。
移動させるのがよくないのは、たしか平将門の首塚でもそういう話がありましたね。
by ヒロ (2012-05-21 23:20) 

ゆかりん

首塚は時代が変わっても動かせないのはわかりますが、この光景はどうなんざんしょ~^^;

昨日、地元ローカルが昔の「秘湯ロマン」って番組を放送してたんですが、船山に行った時の模様で館主さんが出てました。
想像よりはるかに若かったです。
もう少し渋~い人を想像していました^^;
2009年放送のものラシイですけど。
あっ、あと大女将と若女将も。クレソン摘んでました。
by ゆかりん (2012-05-22 10:07) 

船山史家

yossyさん。
今頃は旅の途中でしょうか。
私はいまいる場所の毎日が旅そのものです。

このネタは、甲斐郡内に連れ去られた志賀夫人の墓を訪問した過去記事の続編です。
http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-01-07
その志賀夫人の墓の資料は、これまた過去記事に載せた鉱泉旅館のライブラリーで偶然、発見したんです。
当時はここ志賀城が遠くて実地検分に至らず、今回ようやくにして訪問しました。
食欲なくなったでしょ。
田んぼの真ん中にあるのに驚きましたが、意外と田んぼの地主さんは何とも思ってないような気がしますね。

>貴殿の記事を読めないと思うと寂しい。。。
どーもです。旅から戻られたらまとめて見て下さい。
by 船山史家 (2012-05-22 20:23) 

船山史家

ヒロさん。
何ともいえない情景ですよね。田んぼの隅か、畦にあるならともかく、殆どド真ん中にありましたよ。
でも、笠原さんがこの田んぼを護ってると思えばいいのかも知れません。
稲穂が生長したら隠れてしまうのでしょうか。
永遠(トワ)にこの地に残ると思います。

私がいる地の郊外に、また別の首塚があるのを発見しました。(^^;
by 船山史家 (2012-05-22 20:30) 

船山史家

ゆかりんさん。
何かの資料に、動かすとよくないことが。。。なんてありました。

私の知るところで、船山温泉は過去2回放映されています。
「秘湯ロマン」、私も見ましたよ。当時のT館長は30台後半で、今より若かったです。
「ぬるめの温度に設定しています」みたいなコメントしてましたね。
その後、「いい旅夢気分」だったかな。この時は南部タケノコ祭りのMさんと、「ヤマビルが出ましたぁぁぁぁっ!!」のCさん(退職)が登場したハズです。
by 船山史家 (2012-05-22 20:35) 

佐久の人

その首塚は、処刑されたときに、それが、故郷に飛んできて
その場所に落ちたという言い伝えが・・・。
本当かどうか分かりません。

南無阿弥陀仏。合掌
by 佐久の人 (2014-02-22 16:35) 

船山史家

佐久の人さまこんにちは。
では笠原氏は自刃ではなく他で処刑されたのでしょうか。何だか平将門みたいですがそういう伝説があるんですね。地元の方に聞かないとわからないものです。
ありがとうございました。
by 船山史家 (2014-02-22 19:21) 

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