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盛秀と盛継 第五話 ~独眼竜の思惑~ [盛秀と盛継(会津)]

◆会津四家の二人◆
長沼盛秀~
南は栃木県の横川~会津滝の原(現在の会津高原)、東は会津下郷辺りまでを治める会津田島の鴫山城主。頭脳明晰だが器量は中くらい。隣領の河原田盛継とは犬猿の仲で、伊達の合力を利用して打倒盛継に執念を燃やす。
河原田盛継~
伊南から檜枝岐方面を治める古町温泉近くの駒寄城主だが、新城、久川城を密かに築いている。伊達政宗を挑発するほどの硬骨漢で戦巧者。やや単細胞で直線的思考。無骨で根っからの奥会津人の武士(モノノフ)。長沼盛秀とは犬猿の仲。

◆長沼家の子供たち◆
長沼福国~盛秀の長男。
長沼盛重~盛秀の次男。武勇自慢で血の気が多い。
長沼九郎左衛門~盛秀の三男。

◆会津田島衆、長沼家の家臣たち◆
田部原治郎右衛門雅盛~架空の人物。盛秀の重臣で田島領内を仕置きする文官。会津鉄道田島高校前駅から徒歩数分にある田部原館に在住。何かと慌しい盛秀を補佐する執事役。
中妻源太佐衛門~田島勢の侍大将。会津下郷の中妻辺りを護る伝承の人物。
小野丹波~田島勢の足軽大将。湯野上の玄関口の小野岳に山塞を構え、大内辺りを護る。
兒山丹波~同じく足軽大将。
湯田采女~田島勢の武者。

金井沢佐衛門佐~名前のみ登場。盛秀の姉婿で、それをカサに着て家中でも評判がよくない。河原田盛継は佐衛門佐とかつて遺恨があり、意趣返しに女房をさらわれてからは家中で肩身が狭くなっている。

◆伊南衆、河原田家の家臣たち◆
伊南源助~盛継が最も信頼する一の郎党。根っからの伊南育ちで武芸、探索、交渉に長け忍びの心得もある河原田家臣ナンバー1。
河原田佐馬允吉次~河原田一族で盛継の甥か。温和で武芸に秀でた河原田衆のナンバー2。

五十嵐和泉道正~河原田領の北の橋頭堡たる和泉田城の城将で河原田衆のナンバー3。
宮床一族 兵庫介~五十嵐和泉の片腕で和泉田城の副将。同四郎右衛門と同杢右衛門、この二人は兵庫介の一族で、南郷の宮床という地に館があった。
(和泉と宮床衆は、河原田一家の中でも、惣領盛継の側近の伊南源助や河原田佐馬允吉次とはやや一線を画している。この四人の出番はこれからである。)

只見大炊介~もとは山ノ内家の家臣で、その名の通り只見郷の出身。盛継夫人が山之内家から嫁して来た時に随行してきた。河原田家中で最も夜目が利く郎党。
芳賀阿波~河原田先代盛頼と盛継二代に使える年齢不詳の老臣。盛継と家中に伊達との徹底抗戦を主張したが・・・
他に渡辺九郎兵衛、馬場弥次右衛門、大桃右京。

◆戦国の会津女性たち◆
盛継の母~御名前は不明です。
盛継夫人~会津四家の山ノ内氏勝の妹と伝わる。直線的で猪武者っぽい盛継を頼りにしてはいるが・・・
彼女の出番は後編で。
盛継の乳母~袋の方と伝わる。

長沼御前~前半に登場。後半は名前のみ登場。盛秀の姉。盛秀の家臣金井沢佐衛門佐の女房で、亭主と盛継の因縁で伊南にさらわれた。

◆南会津戦争のキーマン◆
木沢玄蕃
河原田の先代盛頼と盛継の二代に使えたが老齢で隠居。老妻と多々石峠の炭火小屋に住む。田島と伊南の争いに心を痛めているが、意外な展開でこの戦争のキーマンとなる。

◆伊達家の将校たち◆
大波玄蕃允~伊達軍、伊北攻めの総大将。
屋代勘解由~景頼ともいう。伊達政宗の筆頭旗本。政宗の命令なら苛烈な手段を取ることも辞さない血で彩られた汚れ役。小手森、高玉、安子ヶ島の撫で斬りも政宗の命とはいえ率先して執行したような印象を持たれ諸州に恐れられている。独眼竜政宗第11話「八百人斬り」に登場し、江夏豊さんが演じたあの左利きの怪人ですよ。
梅津藤兵衛某~伊達軍の将。屋代勘解由よりは話がし易い設定になっている。

◆その他◆
布沢上野介と野尻兵庫~第三話にのみ登場。会津四家の山ノ内氏勝の家臣だったが、不和だった氏勝に捨てられて伊達につく。

星備中~檜枝岐村の関守。後半に名前のみ登場する。

山ノ内氏勝~名前のみ登場。会津四家の一家で只見川流域を納める横田中丸城主。一旦は政宗に帰順して黒川にいたが嫌になって脱出して抗戦の構えを示す。
山ノ内家は領土が只見川に沿って細長い為か、一族家中が一枚岩でなかったようで分裂し、布沢上野介と野尻兵庫といった造反者が出た。河原田盛継の義兄。

伊達政宗~蘆名家を滅ぼしたまでは上昇気運だったが、上方から太閤の惣無事令が出ている。小田原北条攻めまでに西会津を併呑できるかどうか。。。

「第一話:ソリが合わない」 http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-10-10-1
「第二話:二張りの弓」 http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-10-15
「第三話:よう働く」http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-10-15-4
「第四話:どっちもどっち」http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-10-22

第一話~第四話までのあらすじ。。。
旧蘆名家中、西会津で境界を接する隣国同士の長沼盛秀と河原田盛継は、性格、気性、生き方や考え方、全てがウマが合わない。
お互いが大っ嫌いなまま今日まできた。
両家の均衡を保っていた蘆名家が滅び、侵略してきた伊達政宗に盛秀はいち早く帰順したが盛継は断固拒絶。政宗や盛秀を挑発して徹底抗戦の態度を示す。
盛秀は盛継との長年の遺恨を清算すべく「盛継の領地を賜るなら・・・」という条件で伊達軍の尖兵となり西会津戦争に積極的に参戦する。せっせと働くそのサマは滑稽ですらある。
盛秀は、盛継が密かに久川城という新城を築いていたのを知らない。緒戦、伊北の梁取城を抜いて得意満面な盛秀だが、留守中の会津田島を盛継に荒らされ慌てて撤兵。政宗へ援軍をすがるが、そこへ政宗の大喝が待っていた。

留守の田島領を荒らし、姉をさらった盛継のやりように怒り狂い、見苦しいくらいに動転した盛秀は黒川(会津若松)へ自ら走った。
だが昨年、「河原田盛継の領地、伊南を賜るなら先手を仕りましょう」と大言を吐いたのを政宗が忘れているわけがない。この大言が仇となり、政宗に助勢をすがった盛秀に政宗の怒声が降った。
「盛秀っ!!先回の大言にも似せぬ今回のその挙動は何だっ!!汝の力に及ばぬのなら、昨年預けおいた所領安堵状はすぐさま返すべしっ!!」
大変な剣幕であった。盛秀が面を上げるともう上座に政宗はいなかった。足音荒く去っていった。
(来るのではなかったワイ)
すごすごと田島へ引き返したのである。

だが。。。
盛秀に怒声を浴びせ、田島へ追っ返した後、政宗のもとへ原田休雪斎という重臣が囁く。西会津戦線から早馬が来たのである。
政宗の顔色が変わった。
「越後から上杉勢が会津横田の山ノ内氏勝へ援軍を送る気配だと?」
「確かな情報にござる。となると梁取にいる大波玄蕃允率いる我が軍勢、山ノ内氏勝の横田中丸城まで届くかどうか。加えて小癪な河原田盛継めが伊南から北上すれば背後から挟撃されかねません。ここは長沼勢に新手を加えて河原田勢を押さえることが必要かと」
「休雪斎よ。あの盛秀めに新たに兵を馳走するのか」
「御意。ですがあくまで先手は田島勢。あの長沼盛秀はよう働く御仁なれど所詮は南会津の小領主。山ん中で河原田盛継と田舎喧嘩をさせておけばよろしい。しかし田島勢だけではちと心もとのうござる。新たな後詰は監視役も含めてお手配あれ。盛秀めにあまり大きい手柄を立てられても・・・」
政宗はちょっと考えていたが、即座に一決して書状を二通したためた。手を叩いて使番を呼んだ。一通めの書状は総大将大波玄蕃允への命令書である。
手渡しながら口上で言うには、
「大波玄蕃允に伝えよ。後詰を送る由、屋代勘解由と梅津藤兵衛に兵一千を盛秀に合力させて伊南を攻めさせよと。勘解由には長沼勢の軍監を申し付ける・・・」
というものであった。
「途中、盛秀に追いつくであろう。この旨は先に盛秀に申し渡して差し支えなし。盛秀には梁取へ戻れと伝えよ」
もう一通の書状は屋代勘解由宛である。
「この書状を勘解由にのみ手渡し密かに申し伝えよ。次の城攻めまで封を開けるなと」
二通目は果たして何の書状なのだろうか。

鴫山城へ戻る途中の盛秀に政宗の使者が追いついた。
政宗の言上を受けた盛秀は胸を撫で下ろし小躍りして喜んだ。政宗の怒声を浴びたのはもう忘れたような喜色である。そこから先は田島へ帰る馬の歩足も早くなった。
鴫山城で出迎えた心配顔の田部原治郎右衛門に、、
「首尾は上々。政宗公は後詰を送る由すぐさま梁取へ返せとの御下知だ」
喜色満面で言った。盛秀は自分にとって都合のいいことしか言わない。政宗の怒声を浴びたことは一切言わなかったがまぁ結果オーライである。
(おかしいな)
治郎右衛門は政宗への使者を断った負い目が若干あり、政宗に怒られて意気消沈してくるであろう盛秀を慰撫激励する心づもりだったのだが、案に相違して盛秀の顔色は良い。
だが、盛秀も治郎右衛門も、政宗の事情、本心は知らない。

盛秀は再度、田島を発って伊北方面へ向かった。軍兵は五百人。留守中を盛継に荒らされたので懲りたのか、留守の鴫山城と、中山峠、駒止峠の哨戒兵を増員したので前回より少ない。
だが出立前、盛秀は重要なポイントを逸している。
黒川へ走って政宗に怒鳴られていた留守中、盛継にさらわれた金井沢佐衛門佐の女房、すなわち盛秀の姉は田島に戻ってきている。盛秀は再度の出陣前に姉の見舞いに行こうとしたのだが、姉はさらわれたことを恥じているのか弟の面会を拒絶した。
無理にでも会うべきであった。姉が留め置かれたのは盛継の旧城、駒寄城ではなく、新城の久川城であったのだから。。。
この時点で、盛秀はまだ盛継の居城は旧城の駒寄城と思っていたのである。

一方、梁取城(第四話)から北上しようとした伊達軍は、越後の上杉軍が田子倉方面へ突出せんという報を得て伊南川沿いに駐屯していた。
既に伊達の別軍は只見川沿いを進んで山ノ内氏勝の諸城を次々に攻撃している。そこへ屋代勘解由と梅津藤兵衛は大将の大波玄蕃允から政宗の直命を拝領した。伊南への方面軍に転換させられることになった。
勘解由は面白くない。
(盛秀への合力かよ)
だが政宗の命令は絶対である。
ところが書状は二通あった。総大将大波玄蕃允宛とは別にもう一通、屋代勘解由宛へ直接の書状が手渡された。
使者が勘解由に言うには、
「公は、次の城攻めの時に封を開けと仰せられました」という。
(はて?訝しいことよ)
恐るべき内容がもう一通の書状にしたためられていたのである。

屋代勘解由は到着した田島勢、盛秀に皮肉を浴びせた。
「兵がいささか少のうござるの」
盛秀はやや赤面した。嫌なヤツだと思う。兵数は前回八百だった。今回は五百程度。
「領境の峠に抑えを置き申した。河原田盛継は田舎武者なれどなかなかの戦巧者ゆえ」
屋代勘解由はニヤニヤ笑っている。
「ではもう留守中に里を荒らされて慌てて取って返すこともあるまいな」
盛秀は内心ムッとしたが、さにあらず体で、
「ござらぬ。その為の備えでござる」
盛秀は伊達の為にせっせと働くので評価は高いが、留守中を荒らされた慌てぶりで諸将の失笑をかっていたのである。

長沼盛秀の率いる田島勢五百と、屋代勘解由、梅津藤兵衛率いる伊達軍一千、計一千五百の軍勢は梁取城から伊南川に沿って南へ反転した。
その先にあるのは和泉田城という。
河原田盛継の伊南領、最北の備え。橋頭堡といっていい。前線基地の支城である。
城将は五十嵐和泉道正。
和泉は河原田衆ナンバー3。伊南源助、河原田佐馬允吉次に次ぐ。
副将に宮床兵庫介。旗下にはその一族、宮床四郎右衛門、宮床杢右衛門・・・。
だが、城将、副将と謳っても、守兵は僅か八十人から百人程度であった。
前哨戦、梁取攻め地図.jpg
彼らは伊南源助や河原田佐馬允のように盛継の近習というわけではなく、盛継を主君というよりは伊南の盟主に仰ぐ関係である。その五十嵐和泉のもとへ盛継から命令書が届いている。
「伊南の御屋形は何と?」
宮床兵庫介、宮床四郎右衛門、宮床杢右衛門、富沢藤助がにじり寄る。
和泉は苦渋の表情で嘆息した。
「御屋形は、この城を捨てよと仰せだ」
「何と!!」
「伊南へ立ち返れとある」
「・・・」
宮床兵庫介が言う。
「では新城は完成したのですな」
「うむ。久川城は落成なったとある。だが・・・」
和泉にも意地がある。
「だからといってこの城(和泉田城)を捨てたらどうなる・・・。ここを易々と突破されたら、山口辺りまで蹂躙され、その先は一気に伊南の郷まで攻められようぞ」
一同、頷いたものである。
「敵は十五倍の数・・・だが・・・如何に御屋形の命とはいえここは伊南の玄関口。ここで一叩きせずして伊南に敵勢を招き入れたら我ら物笑いの種になろう」
玉砕覚悟の徹底抗戦に決してしまったのだ。
「伊南を伊達から護る。耳にしておろう仙道郡で伊達が何をしでかしたか。伊達に下るは死を意味すると兵どもに告げよ」

和泉田城を盛秀率いる田島勢、伊達軍が包囲した。
この時、勘解由は政宗からの書状を開いている。それは恐るべき命令書であった。
「西会津の者ども伊達に従わぬなら攻め取って撫で斬りにすべし」というもの。
小手森城、高玉城、安子ヶ島城の再現がなされるのだろうか。(続く)
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