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楽な訪城 「増尾城跡公園」 [隠れ郷土史]

大阪ネタと和歌山ネタを作成中です。その間、昨日もそうでしたが、掲載し忘れて埋もれていたネタでお茶をにごします。いきなり千葉県へ飛びます。
増尾城公園入口.jpg増尾城堀1.jpg増尾城堀2.jpg
増尾城堀3.jpg増尾城郭内1.jpg増尾城郭内3.jpg
この城塞はここへ行くまでは東武野田線の新柏駅からタクシーかなぁ。この時は北柏駅南、手賀沼近くにある行政からタクって行った。バスの便はわからない。
誰がいた城かは詳細不明。大正十一年、十二年に刊行された何かの資料に、松戸を本拠とする高城氏の一家臣が主であったと伝わる程度。
相馬氏ではないかという説も。
増尾城縄張図.jpg増尾城説明版1.jpg
増尾城大土塁1.jpg増尾城大土塁2.jpg
増尾城大土塁4.jpg増尾城大土塁5.jpg
増尾城大土塁6.jpg増尾城大土塁7.jpg
コンパクトにまとまっていて、ゼェゼェ言いながら登城しなくてすむし、藪を払う必要もないです。
詳細が不明なので写真を並べますが、大蛇のような土塁の高さだった。「これぞ土塁!!」って感じでしょ。
増尾城大土塁9.jpg増尾城大土塁10.jpg
増尾城大土塁11.jpg増尾城土塁上から郭内を見る1.jpg
増尾城土塁上から郭内を見る2.jpg増尾城土塁上を歩く老夫婦.jpg
西日の増尾城.jpg増尾城郭内2.jpg
今回の増尾城は、前に掲載した“噂の東京マガジン”松ヶ崎城や(http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-02-06-2)、新横浜駅近くの発掘現場、篠原城(http://funayama-shika.blog.so-net.ne.jp/2011-02-10、現在は宅地造成中です。)と同様で城主がはっきりとわからない。
というのは、戦国城郭の大多数は軍事作戦を遂行する為の部隊や在番衆によって守備される「城主不在」の場合が多いのです。
城代や城将は城主ではないのです。
軍事局面での緊張感が薄れると、それらの城塞は次第にその存在価値を失い、使い捨てにされるか放置される。だって維持普請や修理、保守費用がバカにならないからですよ。
やがて戦火、騒乱の時代が過ぎて政権が安定化し、年月が経てば「城主不在」はやがて「城主不明」になっていくのだが、かつて城塞があった土地の上層農民には帰農した土豪やその後裔がいて、他との差別化を図ったり誇らしげに吹聴したりする。「うちの村の古城は誰々の末裔がいたんだぞ~」みたいに。藤原秀郷や畠山重忠、太田道灌や和田義盛といった名族の伝承地が多いのはその為だと思う。

私の住む横浜市にも、横浜新道の近くの今井町に「源義仲の忠臣、今井兼平の城」とか、大船駅の西の長尾台は「長尾景虎の長尾一族発祥の地」という伝承地があったりする。長尾台は信憑性はあるが、まさか今井兼平が横浜市内にいたとはとうてい思えない。
「城主不在」「城主不明」「使い捨て・放棄」これらのケースは至極当然だったのだ。

この公園を散策する初老の夫婦がいた。
高校生の男女も。てめぇら授業サボってこんな公園でイチャついてんじゃねー[パンチ]
だがそう言う俺もここにいるじゃねーかって。
震災前、2月のとある日の光景です。
南柏地図.jpg
コメント(2) 

コメント 2

雨曇子

よくぞ尋ねてくれました。
ここは、私の散歩spot。
多少薀蓄はありますが、
いつか、blogにします。
ありがとう。
by 雨曇子 (2012-11-29 20:43) 

船山史家

雨曇子さん。
この記事は6月にUpしたのですが取材は2月です。写真が荒涼としてます。空気も地面も乾いていました。
何故、ここに来たかというと。。。
「かるのこ」の延長で、単にヒマだったんだと思います(笑)。
いつかUpしてみてください。雨曇子さんの視点で。
by 船山史家 (2012-11-30 07:11) 

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