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志賀夫人のこと [隠れ郷土史]

信玄モノでは、家督を継いだ晴信(信玄)が、山国甲斐から肥沃な信濃への侵攻過程で自信と過信が昂じ、度重なる信濃佐久衆の背信にイラつき無理に出兵を重ね、信玄ファンでも眉をひそめ目を覆いたくなるような行状が描写される。
「叛く佐久を殺せば佐久は限りなく叛くでしょう。佐久の人ことごとく叛いて死に絶えても、草木が武田に叛くでしょう」新田次郎氏の小説で誰かが諫言していたが、その佐久侵略の過程で血塗られた最たるエピソードが佐久郡志賀城攻め。
志賀城は遠いので訪城はしていません。城主は笠原新三郎清繁。佐久衆や反武田勢力の最後の砦、碓氷峠を越えて関東方面への玄関口、境目の城。

関東管領上杉憲政、この人は戦国で一番弱い武将の例えがあるが、救援郡を小田井原に展開して志賀城を後詰して武田の背後を脅かす。
だが武田軍の板垣信方、甘利虎泰の両翼が管領軍を撃退。討ち取った兵三千。
その討ち取った兵の首を晴信は志賀城の周囲に架け並べた。
新田次郎氏の小説の副題では「生首三千」という。
私が「船山」を知った年、2007年ドラマでもこの場面はお茶の間を刺激しない程度に生首が並んでいた。
志賀城.jpg生首三千.jpg
小山田2.jpg小山田1.jpg
城兵の士気は萎えて落城する。城主の笠原清繁も戦死。
捕虜となった雑兵や籠城軍に加わった非戦闘員たち、男は黒川金山送り、身請け人のない女は奴婢・女郎として売られる。甲斐府中に市が立った。
前述のドラマでも、甲府府中に市が立ち、捕らわれ人は親類縁者がある者は二貫文から十貫文で身請けされ、他は人身売買される描写があった。
信玄ファンでもここは避けて通れない。
人買い市1.jpg人買い市2.jpg
この後、反武田勢力で信濃最強の村上義清が
「志賀城の如くなりたいか!!」
「武田に降るは死より恐ろしいぞ!!」
部下を叱咤、徹底抗戦のキャッチフレーズにする。過去に演じた上條恒彦、永島敏行、配下の鹿内孝も叫んでいた。

志賀城内で捕らえられた笠原夫人という女性がいます。
「妙法寺記」、天文十五年(1546)の項に・・・
「シカ殿御上ヲ小山田羽州給テ駒橋へ御同心申候」とあるそうです。
これは志賀城主夫人を“恩賞”として賜った小山田出羽守信有が、山梨県大月市駒橋(大月図書館辺り)へ連れ帰り妾として住まわせたという記事。
夫人は21歳だったという。美貌と聡明謙虚な人柄として近郷に名をなした。

またまた前述の2007ドラマでは、小山田信有(演:田辺誠一)が、連れ帰った志賀夫人(演:真木よう子)に寝首をかかれ、如何にも復讐劇、サスペンス劇場といった感だったが、実際は天文二十一年(1552)に小山田信有が他界した後も生き、天正六年(1578)、五十二歳の生涯を終えたといいます。寝首なんかかいていない。

だが、信有の死因がイマイチはっきりしないのも事実なのです。
病死説、戦傷説がある。もしかしたら・・・

志賀夫人はドラマで、晴信初陣の”海ノ口城”城主、平賀源信(源心?)の娘という凄い設定になっていたが、それは創作でしょうね。

小山田信有の岩殿山城の東、葛野川に沿う山の中腹、静かにたたずむ曹洞宗宝林寺。
岩殿城の鬼門の護りです。
この寺の境内、後ろの山林の登り口に、大きい五輪塔が立っています。
志賀城で捕らわれ、この地へ連れて来られた志賀夫人の墓と伝わります。
宝林寺.jpg志賀夫人の墓.jpg
大月図書館の資料には、「美貌と聡明謙虚な人柄で近郷に名をなした」とあり、また別の資料に、「朝夕物悲しく涙がちに暮らしていた」という記載もあった。
想うは佐久郡志賀城のことでしょうか。
「岩殿山で三味を弾くは殿、語るは殿のご夫人か」
「岩殿山で琴を弾く、弾くは殿、唄ふは殿の御めかけ」
と唄われます。
場面1.jpg場面2.jpg場面3.jpg
大月図書館には小山田氏を表題にした資料は散見されなかったが、この志賀夫人が生きていたのを最初に知ったのがこの旅館。
橋倉鉱泉「心のふるさと橋倉」の図書室にあった地元の本。
この宿は居酒屋のオヤジレベルであまりオモシロくない館主のダジャレと、料理がヘルシー過ぎて再訪はしていません。冷たい鉱泉も私には向いてなかった。二人客向けではなく女性グループ向けだと思う。
なかなか面白い造りなのと、手付かずの大自然に囲まれてるのでそういう意味ではいい宿でした。
橋倉看板.jpg橋倉露天.jpg橋倉書庫.jpg
橋倉の山々1.jpg橋倉の山々2.jpg橋倉の山々3.jpg
橋倉吟醸.jpg甲州馬刺.jpg橋倉の熊.jpg
霧に覆われてる岩殿城。
大月市民の誇りでもある。
見るからに険しそうなので登城していないが、その方面のサイトを見るとかなりキツいらしいです。
霧の岩殿城.jpg岩殿城2.jpg
この日、中央道で大月市に降りた途端に滝のような豪雨だった。
これは歓迎の証か志賀夫人の涙か。

小山田氏は最後の最後で寝返ったのでいい印象はないが、地元の評判は悪くない。
連れられて来た志賀夫人は悲嘆に暮れながらも、したたかに強く生き抜いたと信じたいもの。
コメント(2) 

コメント 2

似非師匠

笹子峠を越えて、岩殿城に移動ですね。
この時代、この手の話はたくさんあり、山岡の女城主(信長の叔母)なども
いますね。
以前、伊達政宗のドラマだったか、市毛良枝がそんな役を演じていたような
気がしましたが、言い伝えでは皆美女になっていますね。

甲府盆地側の人間から見ると、小山田氏は主家に背いた逆臣という認識
があるようですが、そもそも郡内地方は小山田氏の領地、河内は穴山氏が
領していて、武田はそれら地侍の上にたまたまいたという見方によれば、
不忠の臣ということはないのでしょうね。
江戸時代になってからの概念だとも思います。

まあそれにしても、勝頼も新府から岩殿城を目指すのではなく、真田の城
へ移っていればどんな展開になっていたのでしょうか?

by 似非師匠 (2011-03-23 16:03) 

船山史家

似非師匠さん遅くなりました。
真田方面へ向かったらどうだったろう。勝頼一向をかくまったとは思うけど、何処までかくまえたか。

人間ドラマに登場するYokoってキャラが、上田の別所温泉に泊まったんですが、
「上田の近くに真田って場所がありましたよ。関係あるんですかね?私、本を読まないのでわからないんです」
「ちったぁ本を読め。だからお前は“老婆心”程度の意味がわかんないんだ」

甲斐の記事は、ガソリンが落ち着いたらまた取材に行かないと。ちょっとネタがなくなりました。あっ、穴山氏のドラマがあったな。でも謎が多くて。また地味で暗~いネタになるかもです。
by 船山史家 (2011-03-26 06:30) 

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